黒幕
「判決を言い渡す。主文、被告人を死刑に処す」
ラインホルトは粛々と判決を下した。
無情な判決に対し、膝から崩れ落ちるトマサ。
彼女は全身を震わせて項垂れる。
「判決理由について述べる。第一に……」
「嘘よッ!」
金切り声がラインホルトの声を遮る。
叫びを上げたトマサは立ち上がり、法壇へ縋るように泣きついた。
「お願いします、殿下! 私は無実なのです、信じてくださいませ!」
「…………」
ラインホルトはしばし瞑目する。
いまさら判決が覆ることなどあり得ないが……これは好機かもしれない。
ひとつ、明らかにすべきことがあるのだ。
この法廷に彼が乱入したのも明確な目的があってのこと。
「では、貴女が無実だとする根拠を述べよ。仮に……だが。共犯者などがいれば、告白した場合に貴女の罪が軽くなる可能性がある。これが最後の機会だ、告解はあるだろうか?」
「――」
いくばくかの静寂が場に満ちた。
トマサは瞳を見開き、呼気を乱して周囲をしきりに見渡している。
何かに怯えているであろうことは、誰の目に見ても明らかだった。
裁判所の者はみな彼女の言葉を待ち、ひたすらに口を閉ざす。
「もう一度だけ言おう。これが最後の機会だ」
トマサはやがて法壇の一角に目を止めた。
視線の先には、裁判長をラインホルトに代わったファブリシオの姿。
彼もまたトマサと同様に顔色が悪く、額に異様に汗をかいている。
トマサが口を開きかけた瞬間、ファブリシオは叫んだ。
「いけません!」
「……原告の主張を妨げるな、ファブリシオ裁判官。貴殿が被告人の邪法の行使を認めなかった理由……おおよその見当はついている。その胸につけた裁判官の徽章はお飾りか? 権力に傅いて何が『公平な裁判』だ、恥を知れ」
「っ……」
ラインホルトが指令を出すと、すぐに衛兵がファブリシオを取り囲む。
その様子を見てトマサは堪らず叫んだ。
「ル、ルートラ公爵! ルートラ公爵閣下の命です! エウフェミア・アイラリティルを殺したのも、暗殺の指令を出したのも、邪法を使ったのも……全部、あの人の命令ですわ! 私は脅されて仕方なく……逆らえば命はありませんでした!」
とうとう吐いた。
これまでの陰謀の手綱を握っていた黒幕を。
多くの者は驚愕し、また限られた者は険しい表情を浮かべた。
ノーラの胸中には複雑な感情が渦巻いている。
どこか腑に落ちる納得と、お世話になった家の主が……という戸惑い。
はたしてペートルスはこの事実を知っているのだろうか。
もしも知らないのだとしたら……いや、逆に知っているのだとすれば。
どんな顔をして彼と会えばいいのだろう。
だが、たとえどのような現実が目の前にあったとしても、自分がペートルスに接する態度は変わらないと思うのだ。
裁判所が動揺の渦に呑まれる中で。
トマサは唐突にうずくまり、うめき声を漏らした。
「っ……あ、あああぁぅ……!?」
「被告人、どうした? 具合が悪いのか?」
「あ、あああああぁっ……! ご、ごめんなさい! 申し訳ございません、違うんです、違います……!」
「っ、衛生兵!」
悶え、のたうち回る。
喉を掻きむしり、絶叫を上げ続けるトマサ。
そんな彼女を衛生兵が取り囲むが……治癒の魔法を施してもまるで収まる気配がない。
「あああっ! お前さえ、お前さえいなければ……!」
呪詛の籠もった視線がノーラに向けられる。
お前さえいなければ……なんて、むしろこちらが言いたいセリフだ。
だがノーラは言葉を返さず、ただ沈黙していた。
「あ……あああぁ……」
徐々にトマサの叫声は小さくなり、呼吸は衰えて。
陸に打ち上げられた魚のように喘いで……まったく動かなくなった。
一連の光景を見ていた式神はぼそりと呟く。
『呪殺だな。あの女の飼い主が裁判を覗き見ていたか』
「ルートラ公爵が……?」
トマサの様子を確認した衛生兵は顔を蒼白にして叫ぶ。
「し、心肺停止を確認! 死亡……しています……」
あまりにも唐突な死だ。
誰も彼もが異常な死を目の当たりにして畏怖するしかなかった。
ただ二人、派閥のトップを除いては。
「裁判は中止とする。これをもって閉廷、原告側には後ほど事情聴取の時間を設ける。本裁判について、皇城側から箝口令は敷かない。以上」
ラインホルトは淡々と閉廷を告示して立ち上がった。
箝口令は敷かない……これが意味するところは、熟練の貴族たちならばすぐに理解できた。
――皇帝派は確実に公爵派の権力を削ぐつもりだ。
最初からこれが狙いだったのかもしれない。
すでに皇帝派は一連の黒幕がルートラ公だと把握していて、裁判に割り込んできた可能性もある。
それはラインホルト自身が口を割らない限り、永遠に明らかにならない。
彼は壇を降りると、原告側の席に座る教皇に歩み寄った。
「よろしいのですか、殿下」
「ええ、今が好機でしょう。国の腫瘍……ルートラ公を切除するには、いま勝負を仕掛けるしかない。このまま野放しにしていれば、エレオノーラ嬢のような被害者を次々と生みかねませんから」
「そうですか……私も準備を始めましょう。何やら揺らぎを感じるのです。単なる派閥争いでは終わらない、きっと何かが起こってしまう。そんな予感を……いいえ、神のご意思を感じます。大きな火種になりますよ、これは」
「承知の上です。シュログリ教もまた、我々とともに道を歩めることを祈っております」
短く言葉を交わし、教皇は法廷を去っていく。
いつも微笑を湛えていた教皇の顔に、今ばかりは笑顔がなかった。
「大変なことになってしまったな……エレオノーラ、気は確かか?」
「はい。ルートラ公爵家にはお世話になりましたが、それはペートルス様からのご恩。わたしの因縁がルートラ公爵様にあると知っても、事実として受け止められます」
ノーラはペートルスを信じている。
彼が祖父の片棒を担ぐような真似をしているとは思えない。
だから心に傷はつかず、情緒を乱しもしない。
「しっかりと話をします。わたしはルートラ公爵様の陰謀に巻き込まれた被害者の一人。もっと深い真実を知るべきです」