管弦に宿りし神
「――エウフェミア・アイラリティルは病死したのではありません。被告人に殺されたのです」
水を打ったように静まり返る法廷。
ランドルフの暴露はその場にいた人間すべてを震撼させた。
エウフェミアは二つの側面を持っていた。
皇帝派の柱、イアリズ伯爵家の夫人。
宗教派の要、大きな影響力を持つ元巫女長。
いくつかの縁を持っていたエウフェミアは、グラン帝国において顔も広かった。
そんな彼女が病死した折は多くの人が悲しんだものだ。
「ど、どういうことだ、ランドルフ!?」
「言いがかりも大概にしてちょうだい! 私が前夫人を殺したですって!?」
「原告、被告ともに静粛に。証人……話を続けよ」
ラインホルトは喚く両者を諫め、話の続きを促す。
あまりにも突飛な話だがラインホルトの表情は真剣そのもの。
疑いの念は欠片もなかった。
「十年前のことです。イアリズ元伯爵夫人エウフェミアが病死しました。私はそのころ、原告の子女エレオノーラの婚約者として過ごしていました。わが父ネドログ伯爵バレリオ、伯爵夫人のハシンタとともに、イアリズ伯爵家へ足を運ぶことも多くありました」
幼少の砌、ノーラはランドルフの両親とよく顔を合わせていた。
離れに籠ってからは会っていないが、今でもイアリズ伯爵家との交流はあるらしい。
「エウフェミア夫人が病死する前のことです。俺の母が夫人と茶会をしているとき、妙な話をされたと。曰く――『私の往く先は邪なる者による末期。真実は管弦に宿りし私の神が知るでしょう』と。幼少期に俺もその場に同席しており、よく覚えています」
「……どういうことだ?」
「母も意味がわからなかったと語っておりました。しかし、今となっては理解できます。『往く先は邪なる者による末期』……これは自らが邪法によって死に至ることを予期していたのでしょう。そして『真実は管弦に宿りし私の神が知るでしょう』という言葉に関しては……」
そこで口を閉ざし、ランドルフはノーラを見た。
話を聞いている最中、ノーラは心の底に思い当たる節があった。
「たぶん真実を知っている神っていうのは、お母様の『式神』……だと思う……」
エウフェミアは元シュログリ教の巫女だが、主神の焔神はとうの昔に死んでいる。
ならば該当する『神』はたったひとつしかないだろう。
得てして的を射たり――ランドルフは口の端を持ち上げた。
彼が片手を挙げると、従者が弦楽器を運んできた。
アレは……ノーラがランドルフに持ってくるように言われたものだ。
「お前の友人、アナト辺境伯令嬢に裏を取っている。この弦楽器にはどうやら式神が眠っているらしい。受け取れ」
いつの間にかランドルフはエルメンヒルデと接触を図っていたらしい。
彼の自信ありげな視線からは『俺も裏で動いていたんだぞ』という意思が読み取れる。
弦楽器を受け取り、ノーラは素直に感謝した。
触れる。
小さいころは大きく感じていたこの楽器も、今となってはちょうどいいサイズだ。
(どうしたらいいんだろう……?)
さて、楽器に式神が眠っていると言われても。
どう呼び出せばいいのだろうか。
たしかに教皇領で出会った式神のような、どこか不思議な気を感じるのだが。
ノーラが縋るように弦の部分に触れると、不意に光が見えた。
虹だ。七色の光だ。
既視感とともに、無意識に手を伸ばしていた。
この光がきっと求めている識で、意志に応えた神だ。
「……来て」
ノーラの呼びかけに答えるように光は強い輝きを放つ。
たしかな輪郭を持つでもなく、ぼんやりと白い人型となった光。
それはゆらりと立ち上がり、くぐもった声を響かせた。
『……十年振りの現出である。いやはや、いつエレオノーラに呼ばれるかと静心なく待っておった』
誰もが戸惑いを隠せずにいた。
この裁判はイレギュラーが多すぎる。
弦楽器から現れた式神は床に腰を下ろす。
初めて見るはずなのに、なんだか懐かしさを感じる。
ノーラは抵抗感なく式神に語りかけた。
「あの……わたしが小さいころから見ていた、七色の光ですよね?」
『いかにも。お主が生まれたころから、エウフェミアが死するまでそばに蟠っていた。こうして言葉を交わすのは初めてだがな。我は主たるエウフェミアに命じられ、彼女の死後はずっと楽器に宿り、エレオノーラが呼ぶのを待っておった』
元巫女長なのだから式神を使役しているのも道理だ。
主が死してなお、この式神は主命を果たすために機会を待っていた。
周りが動揺する中、真っ先に落ち着きを取り戻したラインホルト。
彼は威厳ある声で場を掌握して裁判を進める。
「貴殿は原告の元夫人、エウフェミア・アイラリティルの……式神、だったか? シュログリ教に伝わる巫術によって呼び出される、一種の魔力体だったと記憶しているが」
『然り。主の死後、我は遺言による主命を果たすため眠りに就いた。娘のエレオノーラが助けを求めたとき……救いを齎す主命である。このままエレオノーラが我が存在に気づかず、楽器の内で朽ちるかと思われたが……そこの小僧の機転と現巫女長の助けにより、顕現することができた』
ランドルフを一瞥して式神はくつくつと笑った。
この一件がなければ、死ぬまで式神の存在に気づかなかったかもしれない。
「良いだろう。式神とやらを証人として認める」
『今の我に求められるは、主の死因についでであろう。なれば……小僧の証言は正しい。我が主、エウフェミアは邪法によって殺められ、病死を偽装された。犯人はそこの女だ』
侮蔑の声色で式神はトマサを指し示す。
トマサの肩がビクリと震えた。
『邪法には相手の生命力を奪い、衰弱死させる術がある。我が主はその毒牙にかかり死んだのだ。無論、膨大な力を持つ主は抵抗することもできたであろう。しかし主はその裏にある権力の大きさを考慮し、死を受け入れることにした。幼いエレオノーラを守るためにも。来たるべき日まで、その真実を秘匿することを決意してな』
式神の言葉に誰もが聞き入っていた。
気がかりな部分は多い。
特に裏にある権力という言葉が引っかかる。
ラインホルトだけは何かに納得したように首肯し、被告側に視線を向けた。
「……だそうだが。被告側、意見は?」
被告側の弁護士がすかさず弁駁する。
「仮にそのような邪法を被告が行使できるのならば、エレオノーラ・アイラリティルをその術で殺していたはずです。暗殺の依頼という、痕跡が残る手段をわざわざ選ぶ必要はないでしょう」
「一理あるな。式神とやら、どうだ?」
『エレオノーラに邪法は効かぬ。なぜならば、彼女の体や記憶が邪に染まっているからだ。幼少の砌、彼女はその女から邪眼を植え付けられた。よって邪気に体が馴染み、生半可な邪法が効かぬようになった。ゆえにその女は邪法による殺害ではなく、暗殺という手段を選んだのだろうな』
ぞくりとノーラの体が震える。
自分の体が邪悪な気に染まっている。
この右目が邪悪なものだと理解はしていたが、そこまで全身に浸透しているとは。
学園長アルセニオに邪眼が効かなかった理由と同じだ。
よどみなく答えた式神に対し、トマサの弁護人はさらに反論を繰り返す。
「詭弁です。そもそも、その式神という怪しげなものが言っていることが真実であるとは限りません。証拠能力がないと抗議します」
またもや『未知の壁』が立ちはだかる。
先の判決でも邪法の研究が進んでおらず、証拠能力に欠けるという理由から訴えが退けられた。
式神が述べた言葉の意味も、伝わっていない人の方が多いだろう。
式神の言すら決定的な証拠と認められないのなら、何を示せばいいのか。
何か手はないかとノーラが思考をめぐらせたとき。
またしても新たなるイレギュラーが法廷に舞い込んだ。
しかも特大の新手だ。
「――いいえ、その式神の言葉は事実ですよ。私が認めましょう」
シュログリ教皇エウスタシオ7世。
ゆったりと入場してきた彼は、ノーラを見て微笑んだ。