鬼も角折る
アルセニオの亡骸の隣に立ち尽くすヴェルナー。
ノーラは恐るおそる彼へと歩み寄った。
「終わった、んですよね……?」
「ああ。これで終わりだ」
視線を合わせることなくヴェルナーは言った。
一部始終を見ていたノーラだが、それでも判然としない点がいくつかある。
中でも最も気になっていることを尋ねた。
「ヴェルナー様と学園長は、どういう関係なんですか……? あの、答えにくかったら答えなくてもいいんですけど」
「……答えたくない。俺だけが知っていて、俺だけが納得すればそれでいい」
「そうですか。うん、それでいいと思います」
ノーラは俯くヴェルナーの前に回り込み、半ば強引に視線を合わせる。
彼の灰色の瞳が揺れた。
「どんな過去があっても、どういう事情があっても……わたしはヴェルナー様のこと、尊敬できる先輩だと思ってますから。今回もわたしを助けてくれて、本当にありがとうございます」
アルセニオが悪であったことは明らかだ。
そんな状況で、ノーラはヴェルナーを人殺しだと糾弾したりはしない。
自分を守るために戦ってくれた、優しい先輩。
入学したばかりのころから彼の性根はまったく変わらない。
「……俺は俺の願いを果たしたまでだ。お前が感謝する必要はない」
ヴェルナーは血振りせずに剣を鞘に納めた。
「お前を校舎まで送る。まだ合成獣が残っているからな。来い」
「はい……本当に大変なことになってしまいましたね。この後始末はどうすればいいんでしょうか」
「学園にはペートルスがいる。奴が上手いこと処理してくれるだろう」
掛け値なしにペートルスに信を置くヴェルナー。
実際、彼ならば混迷を極める学園でも巧みに立ち回り、事態を収束させてくれる可能性が高い。
問題は……責任の所在。
ほぼすべての責任は学園長のアルセニオにあると思われるが、当の本人は死んでしまった。
少なからず合成獣が大脱走した光景を見た生徒もいることだし、騒動になるのは避けられないだろう。
学園長が禁忌を犯していたと語ったところで、どれだけの人が信じるのか?
表立っては名高い侯爵で、優秀な学園長だった彼の裏の顔を。
「それと……奴が、アルセニオが語っていたことについて。この際だからノーラに話しておこう。奴にお前の右目の力が効かなかった件についてだ」
先のアルセニオとの対峙を経て、ヴェルナーはノーラの右目の正体に確信を抱いていた。
どうしてノーラが『そのような』右目を持つことになったのかは不明だが、どのような原理で動いているのかは理解したのだ。
己の手のひらを見つめ、ヴェルナーは語る。
「……俺とアルセニオが操っていた力は、『邪』に由来するもの。簡単に言えば、邪気によって形成される力だ」
「邪気っていうのは……魔物を構成する物質のことですよね? 魔力とも有機物とも違う、『人類から最も遠い気』と呼ばれている……」
「そうだ。お前の右目もまた、邪気が関与している可能性が高い」
「え……?」
衝撃的な一言にノーラは足を止めた。
しかしヴェルナーは変わらず先をゆくので、慌てて後を追いかける。
「ど、どういうことですか?」
「入学したばかりのころ、俺とお前で実験をしたのは覚えているか? 魔物に右目を向け、恐怖するか検証した件だ。結果は……魔物は恐怖しなかった」
「つまり……わたしの右目に邪気が関与しているから、魔物にも効かなかったと?」
「そうだ。アルセニオもまた黎の……黒き力を日常的に使用し、邪気に馴染んでいたから効かなかった。俺は力を封印していたから、ノーラの右目の力が効いた。推察するにお前の右目は……人が魔物を本能的に恐れるのと同じ原理が働いているのだと思う」
自分が魔物のように恐れられている。
振り返ってみれば、ノーラに向けられていた畏怖の視線は、魔物を見るときのものに近いのかもしれない。
「お前は……その右目に、とてつもなく強大な魔物と同等の邪気を飼っている。そう考えるのが妥当な落とし所だろう」
「この右目に、そんな性質が……」
邪。
そう聞くと、義母トマサが操っていたという『邪法』との関連性も見えてくる。
ノーラの右目と義母が関係しているのは不明だが……ヴェルナーの助言により研究は大きく進展した。
クラスNでどう発表しようか。
合成獣の奇襲に気をつけつつ考えていると、校舎の入り口に到着していた。
「ふう……良かった。わたしもヴェルナー様も無事に帰ってこられましたね。ガスパル様もご無事だといいのですが」
「あいつなら心配はいらん。中々の曲者だ」
「では生徒会室に戻って、みなさんに報告しましょう!」
まずは生徒会の面々に事情の説明を。
学園長が黒幕だったという話を懇切丁寧にしなければ……。
「あれ? ヴェルナー様、どうしたんですか?」
自分に続く足音が途絶えて、ノーラは振り向いた。
玄関口でヴェルナーが立ち止まっている。
彼は今までに見たことないような、どこか困ったような、神妙な面持ちで佇んでいる。
「俺は……もういい」
「えっ。いいって?」
「もうニルフック学園の生徒である必要はない。テュディス公爵令息である必要もない。ただの人殺しだ」
たとえノーラがヴェルナーを認めたとしても。
一部の生徒や諸侯は、ヴェルナーがアラリル侯爵を殺した事実を是としない。
自分が安穏とクラスNに所属できる時間は過ぎ去った。
これ以上留まっては、クラスNの他の生徒たちに迷惑をかけるかもしれない。
ヴェルナーの胸中にはそんな自責の念があった。
「何言ってるんですか! わたしがヴェルナー様の正当性を主張します、だから……」
「気持ちだけは受け取っておこう。だが……物事というのはひとつの側面だけでは語りきれんものだ。俺は速やかに消えるのが筋というものだろう」
ヴェルナーはノーラに歩み寄り、自分の首元に手をかけた。
するりと彼の首から抜けた首飾り。
「これは俺の母の形見だ。いつか無くしたと思ったものが、クラスNの皆で出かけた場所でめぐり合えた。きっと……お前たちと歩いてきた軌跡が、俺をここまで導いてくれたのだろう」
開かれたノーラの手に、首飾りが落ちる。
見上げればヴェルナーは清々しい笑みを浮かべていた。
彼がこんなに満足げに笑った瞬間は見たことがない。
どうにかしてヴェルナーを引き留めないと。
ノーラは必死に思考を巡らせるが、彼の事情を深く知らない以上、何も言えなくて。
「俺は少しだけ早い卒業を迎える。ノーラ。お前と出会えてよかった。……ありがとう」
踵を返して遠ざかっていくヴェルナー。
そんな彼の背に向かって、ノーラは大声で伝えた。
「ヴェルナー様! ありがとう……ございます! またお会いしましょう、絶対!」
感謝を伝えること、ありがとうと言うこと。
学園に入学して、最初にヴェルナーに教えてもらったことだ。
ヴェルナーは振り返ることなく、荒れた学園を歩いていった。