獅子奮迅
「ど、どうしましょう……学園の問題は帝国の問題。ここは皇子の私が解決しなければ……いや、でも怖いし……」
「ご安心ください殿下。このセリノが身命を賭して殿下をお守りいたします」
ノーラが避難した生徒会室では、小刻みに震えるデニスと、彼を激励するセリノの姿があった。
生徒会の面々は一人も欠けずに集まっている。
校舎の四階の窓から地上を見下ろすと、そこには多数の怪物が徘徊していた。
エンカルナは怪物たちの様子を見て頭を抱える。
「あの巨体では校舎の中には入ってこられないわね。ただし、あの獣供は人間を見境なしに襲うみたい。最善策は救援が来るまで、ここでじっと待機することでしょう」
安全な場所で待機して騒動の解決を待てばいい。
しかしデニスは心が急く様子で異を唱えた。
「まだ危険な場所に取り残された人がいるはずです。衛兵も少ない今、私たちが動かなくてどうするのですか?」
「殿下。あなたはご自分の立場を自覚なさい。誰かを救うために命を落としては、元も子もありませんわ」
「エンカルナさんの言葉はもっともですが……冬休みということもあり、学園の守衛は数えるほどしかいません。このまま放っておけば学園が好き放題荒らされてしまいます」
どちらの言い分も一理ある。
ノーラは彼らの議論に加わらず、様子を静観することしかできなかった。
窓際ではガスパルが微笑を湛えて地上を見下ろしていた。
そんな彼にノーラはそっと話しかける。
「……ガスパル様。あの怪物、結局なんなんでしょうね。文化祭の時にも乱入してきましたし……」
「ふふっ、アレは合成獣だよ」
間髪入れずにガスパルは答えた。
耳慣れぬ単語に首を傾げる。
「合成獣? なんすかそれ」
「かつて魔女が創ったとされる禁断の獣。複数の獣を組み合わせて、よりベターな個体を作ろうという試みがあったんだ。今は法律で禁止されているけれどね。元々はボディを欠損した人間を救うために創られた技術らしいが……魔女の作った技術が悪用され、合成獣が生み出されたという」
「な、なんでそんなものが学園に蔓延ってるんですかね?」
「学園長の趣味じゃないかな。噂に過ぎないが、彼は学園に合成獣を飼っているという。バイオロジストとしての探求心が、禁忌を踏み越えることは珍しくないだろうしね。とはいえ……なぜ合成獣がいきなり解き放たれたのかは謎だけれど」
さも当然かのように語るガスパル。
そんな彼の話を聞いていたのか、セリノがすかさず詰め寄ってくる。
「ガスパル殿……そこまで知っているのなら、どうして黙っていたのですか?」
「話したところで何かが変わるわけでもあるまい。僕の役目は死地に飛び込もうとする殿下を止めることだけさ……おや?」
余裕に満ちた表情に対して、常に神経を研ぎ澄ませていたガスパル。
彼は校舎を駆け上がり、生徒会室に向かってくる気配を察知して顔を上げた。
勢いよく生徒会室の扉が開け放たれる。
咄嗟にセリノはデニスの前に立ち、エンカルナとガスパルは迎撃姿勢を取る。
しかし生徒会室に飛び込んできたのは……意外な人物だった。
「たっ、助けてくれー!」
金髪を撫でつけた少年。
普段から嫌味に満ちた表情は焦燥に染まり、青白い顔で過呼吸になっている。
彼の姿を見たデニスは目を丸くした。
「エリヒオさん?」
「あ、殿下……な、なんとか生徒会室まで逃げてこられたか……」
彼は安堵のあまり、糸が切れたようにその場にへたり込んだ。
いつも自信に満ちたヴェルナーの義弟、エリヒオ。
しかし、今はしおらしく俯いている。
この状況下であれば無理もないが……従者も連れずに一人で行動しているのはどういうことか。
デニスは彼を落ち着かせるようにソファに座らせた。
「何があったのですか? ここは怪物が入ってこられない場所ですから、落ち着いて話してください」
「あ、ありがとうございます……殿下。その、ちょっと事情があって学園に戻ってきたら……なんなんだ、この惨状は!? 僕の従者はみんな攻撃を受けて壊滅してしまったし……」
「私たちも事情をよく把握できていませんが、突然怪物たちが現れたのです。エリヒオさんが無事にここまでたどり着けて良かった……」
胸を撫で下ろすデニス。
しかしノーラ的には、エリヒオなんて合成獣に食われてしまえば良かったのに……と内心で思わざるを得ない。
あんなに嫌な性格の奴を心配できるなんて、デニスは聖人か何かだろうか。
「ところで……話しづらければ結構ですが、エリヒオさんはどうして学園に?」
「うっ……それは……」
口ごもるエリヒオ。
打ち明けたくない事情なのだろうが、そんな彼の心情は露知らず。
話を聞いていたエンカルナが言い放った。
「補習でしょう? 今年の二年生の落第候補一覧に、テュディス公爵令息の名前があったわ。落第候補生は冬休み中も強制登校だもの」
「も、もちろん補習もあるが……! それだけじゃない! 人の登校理由を勝手に決めつけるな!」
ヒステリックに叫ぶエリヒオに対し、生徒会の面々は呆れた表情を浮かべる。
何が逆鱗に触れるかわからない男……平常運転である。
エリヒオは鋭い視線をノーラへ向けた。
「おい、そこの青い女。ヴェルナーの居場所を知らないか?」
「知らないっす。あと、人のことを『女』と呼ぶのは失礼なのでやめた方がいいですよ。貴族の令息なんですから多少はマナーを弁えてください」
「……お、お前に言われる筋合いはない」
何を言っても無駄だ。
ノーラが嘆息すると、ずっと地上を見ていたガスパルが沈黙を破る。
「ふふっ……エリヒオ。君がお探しの義兄は、今まさに地上の合成獣ファイトしているようだよ。アレを見るがいい」
一同は視線を地上へ向けた。
激しく暴れ回る合成獣。
その周囲を目にも止まらぬ速さで駆け巡るヴェルナーの姿。
彼の剣閃が華麗に合成獣の急所を裂く。
たしかな実力を伴った剣技は難なく合成獣を屠るが……孤軍奮闘だ。
何匹も蔓延る合成獣の群れに、徐々に押されているようだった。
「な、何をやっているんだアイツは!? さっさと安全な場所に避難しないか!」
エリヒオがヴェルナーに非難の声を浴びせる。
彼の言は珍しく正論で、一刻も早く避難すべきだった。
「大変だ……急いで助けに行きましょう! まだ安全な場所がわかっていないのかもしれません!」
腰を浮かせかけたデニスを、すかさずセリノが制止する。
「お待ちを。ヴェルナー殿も心配ですが、殿下の御身に何かあっては困ります。ここはガスパルに迎えに行ってもらうとしましょう。よろしいですね?」
「もちろん。僕としては……ヴェルナーには退けない理由があって、あえて危険な地帯に残っていると思うけれどね。それでは行ってくるよ」
ガスパルは戦闘用の魔法杖を携えて出口へ向かう。
彼は学内でも屈指の魔術の使い手だ。
危険な場所へ赴いても対処できる。
そんな彼をノーラは慌てて追いかけた。
「あ、あの! わたしも行っていいですか? 足手まといになるかもしれないですが……」
「ノーラ嬢ならそう言うと思っていたよ。君はヴェルナーと仲がいいからね。さあ、行こう」
「おい、青い女……青い小娘。待て」
出て行こうとするノーラをエリヒオが引き留めた。
青い女も小娘も変わらないというツッコミは差し置いて。
エリヒオが渡してきた書簡を眺めた。
「これは?」
「父上がヴェルナー宛に書いたものだ。内容は僕も知らない。アイツに会ったら渡しておけ」
「はぁ……わかりました。エリヒオ様の個人的な頼みならともかく、テュディス公爵からの書簡なら雑には扱えませんし」
「お前は一言多いんだよ! まったく……」
ブツブツと文句を言うエリヒオを背に、ノーラは校舎の外へ駆けだした。