蛇の道は蛇
エルメンヒルデを除く面々は、馬車に揺られて帰路に就いていた。
様々な事件に巻き込まれつつも、年末年始を教皇領で過ごした日々。
良くも悪くも思い出にはなっただろう。
テュディス公爵領に差しかかり、馬車が停止する。
「俺とフリッツはここでお別れだな」
「はい。また冬休み明け、学園で会いましょう」
スクロープ侯爵領とセヌール伯爵領は、ここから南方にある。
そしてルートラ公爵領は東方に。
ペートルスは馬車から降りたマインラートとフリッツに笑顔を向ける。
「長旅おつかれさま。家まで気をつけて帰ってくれ」
「おう。……あれ、ヴェル先は降りないのか?」
「俺はテュディス公爵家には戻らん。このまま学園に戻る」
意外な答えに一同は目を丸くした。
マインラートは呆れたようにため息をつく。
「ったく……そんなんじゃテュディス公が悲しむぜ? 少しは一緒に過ごしてやれよ」
「そうですよ。ヴェルナー先輩のお気持ちもわかりますが……年始のあいさつくらい、してきたらどうでしょうか?」
「…………」
諫言に耳を傾けず、ヴェルナーは仏頂面を浮かべている。
彼にいくら言い聞かせても仕方ないと悟ったのか、二年生たちは諦めたようにかぶりを振る。
「それでは、みなさん。ありがとうございました。良い思い出になりましたよ」
馬車の扉が閉じる。
車内に残されたノーラ、ペートルス、ヴェルナーは沈黙していた。
再び馬車が走り出し、東方へ。
沈黙に耐えかね、ノーラは小さな声でペートルスに尋ねる。
「冬休み中も学園って開いてるんでしたっけ?」
「ああ。ほとんどの生徒は帰省するが……寮に残る生徒もいるよ。僕も少し用事があって、冬休みが終わる前に寮に戻ろうと思うんだ」
返答を聞いた瞬間、ノーラは瞳をわずかに輝かせた。
「あ、あのですね……ペートルス様。わたしも冬休み明けの数日前には、学園に戻りたいと思っていてですね」
「……あまりおすすめはできない。君は刺客に狙われることもあるし、人気が少ない休暇中の学園に行くのはやめておいた方がいい」
「その……課題をですね、学園に置いてきてしまっているんです」
ノーラは気後れしつつもカミングアウトした。
冬休み中の課題、そんなものは適当にやればいいと。
そう考えていた甘さが悲劇を招いたのだ。
彼女の告解を聞き、ペートルスは苦笑いせざるを得なかった。
「そういうことなら仕方ないか。課題は何日くらいあれば終わりそうかな?」
「ええと、三日で終わらせます! 全力で終わらせます!」
「課題というものは少しずつ進めることで、学習効果が出るものなんだけどね。一息にやってしまうと知識として定着しないよ」
「おっしゃる通りでございます。はい、申し訳ございません。しかし課題を提出しないよりはマシかと思いまして」
「そうだね。では僕とノーラ、ヴェルナーの三人で学園に戻ろうか」
ヴェルナーは不服そうに喉を鳴らした。
もしかしてノーラたちと一緒にいることが嫌なのだろうか。
そこまで嫌われている自覚はないのだが。
沈黙が漂う馬車に揺られ、三人はニルフック学園へ向かった。
◇◇◇◇
異様なほどに静かだ。
風の音だけが響くニルフック学園の正門前にて、ノーラは強烈な違和感を覚えていた。
いつも人で溢れている場所がこうも静かだと、別の世界に吸い込まれてしまったようだ。
「俺は先に行く」
「あ、はい。おつかれさまです」
「……ノーラ。あまり一人で行動はするなよ。どういうわけか知らんが、お前は刺客に狙われることもあるらしいからな。極力、部屋からは出るな」
ヴェルナーの忠告に対し、ノーラはこくりとうなずいた。
たしかにここまで人気がないと、学園の中でも安全とは言えない。
生徒の大半は帰省しているし、守衛も年始ということで休みの人が多い。
去りゆくヴェルナーの背を見つめ、ノーラもまた歩きだした。
「わたしは教室に課題を取りに行ってきます」
「ヴェルナーに言われたそばから一人で行動しようとしてるじゃないか。僕も一緒に行くよ」
「あ、そうでした。ありがとうございます」
ペートルスと一緒に一年生クラスBの教室に向かう。
道すがらノーラはペートルスに尋ねた。
「ヴェルナー様……ご実家で過ごさなくても良かったのでしょうか」
「テュディス公は寂しがっているだろうね。ただ、彼にも彼なりの考えがあるのだろう。色々と……複雑な事情があるから」
「ヴェルナー様はテュディス公爵家の養子、なんでしたっけ」
「そうだね。テュディス公はヴェルナーを本当の息子のように扱っているが……ヴェルナー自身は距離を置こうとしている。親子のすれ違い、というやつかな?」
僕はよくわからないけどね、とペートルスは言葉を結んだ。
反抗期を迎えることもなく、彼の両親は亡くなってしまった。
「わたしだって義母に対する煩わしさがありますからね。まあ義母に邪険にされていたわたしと、義父に優しく接されていたヴェルナー様では環境が違いますけど」
「そうだね。邪険にされていたどころか、今では君の暗殺計画の主犯疑惑があるからね……」
物騒な話をしているうちに、クラスBの教室に到着。
ノーラは自分の机の引き出しから放置していた教科書とノートを取り出した。
「あったあった。この量の課題を三日で終わらせるのか……きちぃな」
長期休暇の課題は学年が低いほど多くなる。
三年生にもなると、各々の進路に向けて自主的に勉強をする生徒が多くなるからだ。
腕にどっしりと抱えた教科書を見て、ノーラは顔をしかめた。
「ははっ。まあ自業自得というやつだね。ヴェルナーの言う通り、部屋で大人しくしながら課題をして過ごすといい」
「はい……がんばります。わからない箇所があったら、ペートルス様に聞きに行っても?」
「僕は……部屋をほとんど留守にしているから、あまり力になってあげられない。悪いね」
「わかりました。独力でがんばろうと思います」
部屋を留守にして、この閑散としたニルフック学園で何をするのだろうか。
気になったが聞くのは遠慮しておこう。
「部屋まで送るよ。行こうか」
ペートルスと共に部屋へ向かい、ノーラはさっそく大量の課題に向き合うことにした。