獅子身中の虫
クラスNの面々は新年祭が開かれている宗教都市へ繰り出した。
新年を祝うムードに包まれた街中は、多くの人々で賑わいを見せている。
「いいねぇ……今までは実家で厳かに新年を祝っていたが、たまにはこういうのも悪くない」
マインラートは行き交う人々を見て、眩しそうに目を細めた。
笑顔で民が暮らしている。
ただその光景を見るだけで、彼の心は少し晴れやかになる。
シュログリ教では『新年は多くの人々とともに祝うべし』という教えがあるそうだ。
一般的な帝国貴族は家族だけで静かに正月を過ごすが、賑やかな雰囲気も悪くない。
「向こうには屋台とか露店がたくさんあるんですよ! 前にフリッツ先輩が食べてみたいって言ってた、ライチ飴もありますよ!」
「ほう……シュログリ教の伝統的な菓子ですね。一度は口にしてみたかったのです」
エルメンヒルデが先導して歩き、他の面々が続く。
彼女ほどシュログリ教の祭事のガイドに最適な人物はいない。
「俺は食い物よりも、綺麗な装飾品とかを探したいな。案内してくれるかい、エルメンヒルデちゃん?」
「いいですよー。マインラート先輩におすすめしたいのは……欲望を抑えるネックレスとか、理性を高めるリングとかですね!」
一行が和気あいあいと会話する中、ヴェルナーは後ろを歩いて黙りこくっていた。
これが彼の平常運転といえばそうなのだが。
ノーラは彼に近寄り、それとなく話しかけた。
「ヴェルナー様は何か見たいものとかないですか? 興味があるものとか……」
「特にない。お前たちについていく」
「な、なんかこう……剣とか売ってたらいいですね?」
剣を売っている新年祭とは。
自分の言葉に疑問を抱き、ノーラは首を傾げた。
「ノーラ。俺に気を遣う必要はない。俺は趣味も生きがいも特にない、つまらん人間だ。気にせず祭りを楽しめ」
「もちろんお祭りを楽しむのは大前提ですよ。でも、ヴェルナー様にも楽しんでほしいなって。気を遣ってなんかいませんし、ヴェルナー様が満足しているならそれでいいですよ!」
「……そうか」
楽しんでいるかどうかなど、本人にしかわからないのだ。
つんとしているが、実際はヴェルナーも楽しんでいるかもしれないし。
とにかく今はこの時間を大切にしたい。
あれこれと店を巡り、食べ物を堪能し、新鮮なものを見て。
少しだけ足に疲労を覚えてきたころ、不意にヴェルナーが足を止めた。
「ヴェルナー様?」
彼は視線の先にある露店へ足を伸ばす。
慌ててノーラも後を追った。
店先にはずらりと綺麗なアクセサリーが並んでいて、輝きに魅了されてしまいそうだ。
じっと商品を見つめるヴェルナーに対して、商人が手もみしながら尋ねた。
「いらっしゃいませ。何かお探しですか?」
「……これは」
彼が指先でつまみ上げたのは、ひとつの首飾りだった。
他のアクセサリーのように宝石や金をあしらったものではなく、不思議な紋章を模ったものだ。
「おお、お客様はお目が高い! それは南方から伝わる首飾りでございます。ええと、どのような紋章でしたかは詳しく存じ上げませんが……とかく特別な紋章であったかと!」
商人の適当すぎる言葉に、ノーラは苦笑いした。
しかしヴェルナーの表情は真剣そのもので。
彼は首飾りを見つめて瞳を揺らしていた。
「これを買おう」
「かしこまりました! ありがとうございます!」
即断即決。
ヴェルナーが首飾りを買う姿を見て、後ろからやってきたマインラートが驚愕の声を上げる。
「おいおい、マジかよ。ヴェル先がアクセサリーを買うなんてな」
「……」
おそらくヴェルナーはお洒落に興味があって買ったわけではない。
彼にしか知り得ない、特殊な何かに惹かれて首飾りを手に取ったのだと……ノーラはそう思う。
エルメンヒルデがノーラの袖を引き、耳元で囁いた。
「あの首飾りについてるのはねぇ、南のシェンって国に伝わる紋章だよ。特定の部族の所属を示す紋章だったはず」
「へぇ……物知りだね。フリッツ様より博識じゃん」
「ピルット嬢? 聞こえていますよ?」
あの首飾りが旅路の思い出になればいい。
卒業後、ふとした日に昔を懐かしむ機会になってくれれば。
それがノーラにとって、何よりの願いだった。
◇◇◇◇
クラスNの面々が祭りを巡っているころ。
ペートルスはただ一人、教皇領の東方へ赴いていた。
茶色のチェスターコートとボーラーハットを身につけたペートルスは、鋭い視線で向かいに座る男を射抜いた。
「刺客ミクラーシュ。貴殿と交渉の場を設けた理由は、もうわかっているかな?」
ノーラの暗殺を仕損じた刺客、ミクラーシュ。
彼は腑に落ちない様子で首を傾げた。
「はて。ペートルス卿、あなたはルートラ公爵の孫。ルートラ公爵に代わり、私を殺しに来たのですか?」
「まさか。お爺様が仕損じた殺し屋を生かしておくわけがない。わざわざ僕が殺さずとも、君たちはこのまま死ぬ運命だよ」
ノーラの暗殺を命じた人物。
それはペートルスの祖父、ルートラ公爵である。
ペートルスはとうに祖父の真意に気がついていた。
すべてを承知の上で、策謀を巡らせる。
「――僕の麾下について生き延びるか、このまま部下もろともお爺様に殺されるか。答えを聞きに来たのさ」
ペートルスは結論から告げた。
祖父を裏切り、自分に味方しろと。
「……妙な話です。ペートルス卿はルートラ公爵の後継者、そして手先とも呼ばれる御仁……そんなあなたが、なぜルートラ公に牙を剥くような真似を?」
ペートルスがルートラ公と対立する理由が見当たらない。
順当にいけば、次代公爵の座はペートルスだ。
継承争いをしているわけでもないのに、祖父に反逆する意味がないのだ。
「ふむ……君の疑問はもっともだ。では、何よりも納得する理由を教えてあげよう」
交渉の席を立ったペートルスは、ミクラーシュにレイピアを突きつけた。
「――あの人が気に入らないから、だよ」
最大限の憎悪と怒りを籠めて。
彼は呪詛を吐いた。
「フッ……良いでしょう。どちらにせよ、返答は二つに一つ。今この瞬間より、貴殿を主と仰ぎましょうか」