小鼠の執着
『失敗作か』
ああ、そうだ。
俺は失敗作、壊れたように剣を振り続ける。
人ではない、獣だ。
未来も、愛も、幸福も。
俺という獣の生涯には必要ない。
ただひとつだけ、執念を。
渇望し、憎悪し、願い続けろ。
この刃は――必ず奴の首に届く。
忌憚すべきは黎き業。
血に流るる悪しき野望。
必要ない、俺には鈍色の刃さえあればいい。
ニルフック学園への入学理由――復讐のため。
テュディス公爵家の養子に入った理由――復讐のため。
絆を紡いだ理由――きっと、復讐のため。
「……殺してやる」
◇◇◇◇
教皇との話の後、ノーラは男子たちが滞在する部屋へ向かった。
新年のあいさつをまだ正式にしていない。
「あぁ……なんだこれ、めんどくせえな! おいフリッツ、代わりに解いてくれ!」
「お断りします。多少の手間はかかりますが、しっかりと解法を勉強しておけば解ける問題ですよ」
机に向かって頭を抱えるマインラート、それを呆れた様子で眺めるフリッツ。
新年早々何をやっているのか。
ノーラは気後れしつつ声をかけた。
「あけましておめでとうございます。フリッツ様、マインラート様」
「おや、ピルット嬢。あけましておめでとうございます。昨日もあいさつに伺ったのですが、レビュティアーベ嬢と一緒にお出かけしていたようですね」
「はい。一日遅れになってしまいましたが、今年もどうぞよろしくお願いいたします」
ノーラの礼に、フリッツもまた深々と礼を返す。
しかしマインラートは興味なさそうに頬杖を突いていた。
「マインラート様は礼儀がなっていませんね。平民に送る言葉なんてないとでも言いたげです」
「よくわかってるじゃないか。俺は今、冬休みの課題で忙しいんだよ。貴重な時間を奪わないでくれ」
「そういえば……ピルット嬢は課題を順調に進めていますか? 新年早々こんな話はしたくないのですが、早めに終わらせておくに限るかと」
「あー……ま、まあ、ほどほどに? 冬休み明けまでには終わらせます」
そもそも課題を持ってきていない。
ニルフック学園に置き忘れてきた。
課題を持ってきているだけ、マインラートの方が偉いのでは?
「そういえば……ペートルス様はお出かけしているそうですが。ヴェルナー様の姿も見せませんね」
「ヴェル先は相変わらず外に出て鍛錬中だ。……ったく、たまにはゆっくり過ごせばいいのにな。元旦から走り込みして、素振りをして、ご苦労なこった」
相変わらず強さへの執着がすごい。
ノーラが入学したてのころよりも、ヴェルナーが鍛錬する頻度は増しているような気がする。
そろそろ卒業も近いというのに、何が彼をそこまで駆り立てるのだろうか。
クラスN全員で旅行しにきたのは、卒業する三年生に思い出を作ってほしいという目的もある。
しかし当の三年生たちは各自で動いていて、思い出作りどころではない。
「ヴェルナー先輩はどちらに?」
「中庭の方にいらっしゃいます。シュログリ教の僧兵の方と手合せをしていることが多いです。とはいえ今は正月ですから、僧兵の方も休んでいらっしゃるかもしれませんね」
「わかりました。とりあえずヴェルナー先輩にもあいさつをしてきます」
部屋を出て、神殿の裏手に回る。
アニアラ大神殿は非常に広大で、内部に自然環境が作られているほどだ。
森のように木々が並び立つ中庭へ。
今は冬だから木が枯れているが、他の季節には風光明媚な姿を見せるという。
冷たい空気が張り詰める枯れ林を進んでいると、ノーラの鼓膜を剣撃の音が叩いた。
近づいてみると、木々の合間から剣を振るうヴェルナーの姿が見えた。
一心不乱に型をなぞり、剣先で空を切る。
「ヴェルナーさまー」
「……何をしに来た」
視線をノーラに向けず、ヴェルナーは素振りを続ける。
「もちろん新年のごあいさつです。あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」
「あぁ。だが、俺は今年で最後になる。今年もよろしく……というのは少し違うかもしれんな」
「そんなことありませんよ。卒業してもずっとお友達……? ですよね?」
「……どうだろうな」
そこは『一生親友だぜノーラ』とか快く言ってほしかったが、ヴェルナーがそんなことを言うわけがない。
ノーラとしては卒業したらもう会わない、なんてことは嫌だった。
可能であれば卒業後も定期的に顔を合わせたい。
ペートルスと違い、ヴェルナーは離れたら二度と顔を見せない気がして。
彼のことを深く知らないのに、離れてしまうのは寂しかった。
「よかったらお出かけしませんか? どこか買い物にでも」
「いや、結構だ。今は鍛錬に注力したい」
「そうですか……」
ノーラは眉を八の字に曲げて黙り込んだ。
ヴェルナーが描く剣筋は芸術的。
長年積み上げてきた技巧と美しさが見て取れる。
「…………」
ちら、と。
ヴェルナーがこちらを見た。
彼は少し拗ねたように黙り込むノーラを見て、ばつが悪そうに喉を鳴らした。
「チッ……どこに行きたい」
「はい、新春の売り出しに! 神殿の周りは国中から商人が集まって、すごく賑わいを見せているみたいですよ!」
予想通りと言うべきか、なんだかんだでヴェルナーは付き合ってくれる。
ノーラとしてもこの展開を予想して拗ねた節がある。
調子よく答える彼女に、今度はヴェルナーが不服そうに口元を歪めた。
「遊んでいる暇はないのだがな……まあいい。フリッツとマインラート、エルメンヒルデも連れて行ってやれ」
「了解です。卒業が近いですが、ヴェルナー様は卒業後も剣の道を往くんですか?」
中庭から帰る道すがら、ノーラは尋ねる。
「卒業後の進路は考えていない。俺は……ただ目的を果たせればそれで構わん」
ヴェルナーはテュディス公爵家の養子。
権力を使えば、どんな進路にだって進むことができるだろう。
だが彼は未来などに興味はなさそうで、いつも淡々としている。
彼の胸に在るのは力への執着のみ。
「目的って……なんなんですか?」
「……もうすぐわかる」
それきりヴェルナーは口を閉ざした。
相変わらず何を考えているのかわからない人だが……ノーラにはヴェルナーと過ごす沈黙の時間が心地よかった。