秘めたる贖罪
奉納の儀が行われるはずだった社の一階を通過し、二階へ上がる。
エルメンヒルデは懐から鍵を取り出し、小部屋の扉を開けた。
「たぶん……これは推測なんだけど。あの刺客たちは、とある人間の命を受けてノーラちゃんを『妨害』しにきたんだと思う」
「妨害? 殺しにきたんじゃないの?」
「うん。妨害するためには、殺すのが一番手っ取り早い手段だったんだと思うよ。彼らは今からエルンが伝えようとしている事実を、ノーラちゃんに知ってほしくなかったんじゃないかな」
もしかして、すごく重要な話をされるのではないだろうか。
息を呑んだノーラがエルメンヒルデに続くと……部屋の中は普通の書庫のようだった。
「ここは?」
「シュログリ教に関する文献を保管した場所だよ」
エルメンヒルデは一冊の本を抜き取り、机上で開いた。
ノーラもつられるように本の頁を覗き込む。
紙面には人の名前らしきものが並んで綴られている。
最後の方の頁にて、エルメンヒルデがとある名を指し示す。
「……この人の名前、見覚えある?」
指さした先にはこう書かれていた。
『エウフェミア・アビーダ』――と。
「お、お母様の……旧姓……」
瞬間、ノーラはハッと口を手で塞いだ。
エウフェミアが自らの母であると公言するのは……自分がイアリズ伯爵令嬢、エレオノーラ・アイラリティルだと言っているのと同じ。
だが、このタイミングでエルメンヒルデが母の名前を開示してきたということは。
察しの悪いノーラでもわかる。
「エルン。わたしの正体、知ってたの……?」
「うん。イアリズ伯爵令嬢、でしょ? 今まで黙っててごめんだけど、ノーラちゃんの正体は誰にも口外してないから」
ノーラも先程エルメンヒルデの素性を知ってしまったばかりだ。
ここはお互い様と言ったところか。
「どうしてわたしのお母様の名前が……?」
「これは歴代の巫女長の情報を保管した書物。イアリズ前伯爵夫人、エウフェミア様は……先々代の巫女長だったんだよ」
衝撃の事実にノーラは刮目した。
母が伯爵夫人になる前、どこで何をしていたのか……まったく知らなかった。
幼少期に亡くなってしまったから、過去のことなんて知る由もない。
しかし思い返してみれば、それらしき形跡はあった。
祈りを捧げる母の姿、家のところどころに残るシュログリ教のモチーフ。
幼い日の記憶ばかりだが、断片的に思い出される。
「そうだったんだ……小さいころに亡くなったから、ほとんどお母様のことは知らなくて。教えてくれてありがとう。でも、これを伝えるためだけにここに来たの?」
「違うよ。今の話は前提として、その上でノーラちゃんにお願いがあるの」
エルメンヒルデの口から次いで出た言葉は、予想だにしないものだった。
「――学園を卒業したら、シュログリ教の巫女にならない?」
「へ……?」
「ノーラちゃんが適性を持つ幻の魔術は、エウフェミア様から受け継いでいる。その力はシュログリ教にとって必要不可欠なものだったの。エウフェミア様が去ってからというもの、シュログリ教の威信は大きく揺らぐことになった」
「お母様って、そんなにすごい人だったの?」
「うん、そりゃもうね。宗教派の勢力を削ぎたい何者かが、ノーラちゃんとシュログリ教の関係を断とうとしているんだと思うよ。エウフェミア様の再来を恐れてね。だから刺客を派遣してきたってこと」
以前、ペートルスが言っていた。
ノーラの力が存在しているだけで、脅かされる人間がいると。
脅威というのは右目の呪いだけではなく、幻属性の魔術をも示していたのだ。
「で、でも……だからって、急に巫女になってほしいなんて言われても。困るってのが正直な感想かな」
「だよねぇ。まあ、エルンも簡単に返事がもらえるとは思ってないからさ。卒業までにじっくりと考えてくれたらいいかなって」
進路の候補がひとつ増えた……などと単純に考えることはできない。
あまりに実母の過去を知らなすぎるがゆえに、実感が伴わないのが現実だ。
それに……今回のように、自分がシュログリ教に関わることでさらに迷惑をかけてしまう可能性もある。
「神殿に戻ったら、一度教皇聖下と話をしてほしいな。聖下はエウフェミア様のことをよく知っているみたいだから」
「うん。わたしなんかが、聖下とお話ししてもいいなら」
「もちろん。聖下もノーラちゃんに興味を持ってるみたいだったしね」
自分の命が狙われている一件、思った以上に根が深いようだ。
右目に秘められた呪いだけではない。
様々な政情と思惑とが絡み合って、ノーラの周囲は揺れ動いている。
「さて、お話は終わりだよ。神殿に帰るけど……その前に、一階の処理をしないとね。社の外でしばらく待っててくれる?」
「わたしも手伝うよ。わたしが……殺しちゃったみたいなものだし」
ノーラが沈鬱な表情で言うと、エルメンヒルデは小さく息を漏らす。
「別にノーラちゃんのせいじゃないと思うけどね。でも自分のせいだって思いたいなら、そう思っていてもいいんじゃない?」
どれだけ言い聞かせても、自責の念から逃れられないことはある。
エルメンヒルデとて同じこと。
式神として生きた長き生涯でも、人として生きた短き数年間でも。
後悔して止まないことは数えきれないほどあった。
「ここで亡くなった人のためにも、彼らを忘れないであげて。もしも自分のせいで惨劇が起こったと思うのなら、ノーラちゃんが前を向いて生きていくことが彼らに対する贖罪になると思うんだ。……まあ、エルンとしても思うところはあるよ。刺客とその主の無法さに対してはね」
いつか真相を見定めて、罰を下してやる。
エルメンヒルデは決意で言葉を結んだ。
「うん……そうするよ。エルン、たまに聖職者っぽいこと言うよね。少し気が楽になったよ」
「ふふふ……神様の代理人だからね! 悩みがあればなんでも相談するんだよ」
神の代理を夢見た、とある少女の代理として。
かつて式神だった『あしら』は、『エルメンヒルデ』として生き続ける。
一生涯、密事を抱えながら生きていく。