友に遇ふ
一瞬だった。
熟練の殺し屋たちの業はかくも素早く、美しく。
そして残酷を極めていた。
「エルン……?」
鈍い音を立てて、エルメンヒルデの体が崩れ落ちる。
「よっしゃ。これで標的の護衛は死んだねー。奇襲の一撃が防がれたときはビビったよ」
「だから油断するなと言ったであろう。慢心は己が命を奪う引き金となるのでござる」
倒れて動かなくなったエルメンヒルデを見て、ノーラはへたれこんだ。
死んでいる。
確実に……首筋を裂かれて死んだ。
自分のせいで、友が死んだ。
「わたし、わたしの……」
視界が真っ黒に染まっていく。
もう何も考えられない。
逃げる気力も、抵抗する気力も。
一切合切が消え失せて、抜け殻のように。
糸が切れたように動かなくなったノーラを見て、刺客たちは彼女に憐憫の視線を向ける。
「ふむ……一息で終わらせてやるがよい、イトゥカ殿」
「はーい」
刃を携えてノーラへ歩み寄るイトゥカ。
この青髪の少女を殺せば任務達成だ。
イトゥカが刃を逆手に振りかざした、その瞬間。
ノーラの右目が彼女を射抜いた。
「ひっ……!?」
いつしか外されていた眼帯。
全開にした呪いを真正面から受け、イトゥカは刃を取り落とした。
カランとした金属音が社に響く。
ノーラは地を蹴り、社の外へ向かって駆け出した。
一瞬諦めかけたが、エルメンヒルデは自分を庇ってくれたのだ。
ここで諦めたら彼女が報われない。
だが、すかさず目前にペイルラギが立ちはだかる。
彼は右目の情報を知っているのか、視線を合わせずにノーラの行く手を阻もうとした。
「ど、どけっ!」
「行かせないでござるよ」
右足首に鋭い痛みが走り、ノーラは地面に転がる。
ペイルラギの巧みな暗器の投擲により、容易く逃走は妨害されてしまった。
「っ……クソが」
地面を這って呪詛を吐くノーラ。
どうして自分はこんなに弱いのだろう。
せめてもの抵抗で右目を頭上へ向けるが、やはりペイルラギは右目を見ようとはしない。
「油断は禁物。速やかに……」
速やかに殺す。
一切の躊躇を見せず、ペイルラギが暗器を突き立てたその瞬間。
「ぬうっ……!?」
焔の裁きが、ペイルラギの右腕を斬り落とした。
くるりくるりと。焔と血飛沫と共に、腕が宙を舞う。
先程までノーラを殺そうとしていた凶手が。
何事か、ペイルラギは咄嗟に振り向く。
視線の先に佇んでいたのは――殺したはずの少女、エルメンヒルデだった。
「エルン……!?」
驚いているのはペイルラギだけではない。
誰よりも、何よりもノーラが驚いていた。
大切な友人を喪って絶望していたばかりに。
「神意為ハ 無謬之断罪
瞋恚成ハ 汚濁之浄化」
尋常ならざる気を放つエルメンヒルデを前に、ペイルラギは後退る。
欠け落ち抉れた皮膚……空洞より覗くは臓腑にあらず、奇怪なる機構。
「こやつ……人ではない!」
エルメンヒルデと思しきソレは、両の手に携えた焔の剣を振り抜いた。
片手を失ったペイルラギが重心を崩しながらも斬撃を躱す。
想定外の事態。
狼狽える彼を援護するべく、社からイトゥカが飛び出した。
「ペイルラギ!」
「…………」
エルメンヒルデの背後に投擲された刃。
だが瞬間的に背後へ振り抜かれた焔の剣が、刃を消し炭にする。
続けざまにエルメンヒルデは後方へ焔剣を振りかぶる。
人間の可動域を越えた腕の動き。
死角を取ったはずのイトゥカは、まさかの反応に目を見開いた。
「やばっ……!?」
眼前に裁きの炎が迫る。
さしものイトゥカも回避する術はなく、死を悟った。
刹那、焔剣が空を切る。
エルメンヒルデが斬り捨てたはずのイトゥカの姿はなく、代わりに佇んでいたのは長身で痩せ身の男。
彼……刺客たちの長、ミクラーシュは剣呑な視線でエルメンヒルデを睨んだ。
「驚愕しましたよ。まさか人ならざる者がシュログリ教に潜んでいるとは」
「ミクラーシュ先生!」
ミクラーシュは右腕を失ったペイルラギ、狼狽するイトゥカを一瞥する。
「撤退します。これ以上の任務の続行は不可能。よろしいですね?」
「は、はいっ!」
瞬時に移動したミクラーシュはペイルラギを抱え、イトゥカと共に走り去っていく。
去り際、ノーラへ暗器をついでと言わんばかりに投擲したが……それもエルメンヒルデによって容易く弾かれた。
追い打ちをかけるべきか逡巡したエルメンヒルデだが、そばにいるノーラを見て足を止める。
もしも他の伏兵がいれば。
自分が離れた瞬間にノーラが殺されてしまう。
「ノーラちゃん」
呼び声に顔を上げる。
視線の先には人間の相貌を崩した友、エルメンヒルデの姿。
彼女がはにかむと、罅割れた顔の隙間から軋む糸が見えた。
ノーラは迷うことなく立ち上がり、エルメンヒルデの手を取った。
瞬間、エルメンヒルデの笑顔が戸惑いに変わる。
「えっ……?」
「ありがと、エルン。おかげで助かったよ」
「ノーラちゃんは……エルンのこと、怖くない?」
ついさっき、エルメンヒルデが笑った瞬間。
ノーラはすぐに感じ取ったのだ。
――怪物と恐れられることに対する畏怖を。
その昔、『呪われ姫』が抱えていた恐れと同じ感情を。
たとえエルメンヒルデの正体が何者であっても、大切な友人であることには変わらない。
「エルンはエルンだよ。入学してからずっと、わたしと一緒に過ごしてくれた友だち。そうでしょ?」
強く友の手を握りしめる。
指先から伝う温かさは人と同じ。
「うん……ありがとうね、ノーラちゃん。ちょっと待ってね……いま直すから」
エルメンヒルデは後ろを向くと、損傷した箇所を手のひらで覆った。
魔力と謎の気とが混じり合い、みるみるうちに傷が塞がっていく。
やがて元の綺麗な肌が戻る。
振り返ったエルメンヒルデは、いつも通りの笑顔を向けた。
「よかったぁ。嫌われたらどうしようかなって思っちゃった!」
「まあ、びっくりはしたけどさ。それよりもわたしの方が謝らないと……」
ノーラは荒れ果てた社の内側を覗き込んだ。
自分の命は助かった。
だが、ここで奉納の儀の準備を進めていた神職たちは……。
「わたしがいなければ……この人たちは、死ななかった」
ノーラが何か悪いことをしたわけではない。
悪いのは暗殺を企む主犯と、刺客たちだ。
理屈ではわかっていても、自分のせいで引き起こされる惨劇に……頭がどうにかなってしまいそうだった。
『呪われ姫』のしがらみは簡単に消えてくれない。
あとどれだけ、死線を積み重ねれば終わるのか。
「これじゃあ奉納の儀はできそうにないねぇ……仕方ない。逃げた刺客は後で徹底的に調査するとして……もうひとつの目的を果たそうか。ノーラちゃん。社の中は死体と血で埋まってるけど、来てもらえる?」
「う、うん」
エルメンヒルデに導かれ、ノーラは社の中へと踏み込んだ。