火消し
血だまりを踏みしめ、刺客の少女……イトゥカは大きく欠伸をした。
「ふわぁ……きっついなー。ここでずっと待機でしょ? 元日からこれはキツいよー」
周囲に転がる数々の骸。
山頂、社にいた聖職者たちの死体だ。
これから行われる奉納の儀に向けて準備していた聖職者たちを、刺客は無残に殺し尽くした。
面倒そうに死体の上に腰を下ろしたイトゥカ。
そんな彼女に対して、同胞のペイルラギは叱責を飛ばす。
「だらしがないですな、イトゥカ殿。いつ標的が来るかわかりませぬ。警戒を解かれぬよう」
「うるさいなー。女の子の二人組でしょ? 今回は護衛もいないし、サクッと殺ればいいんだよー!」
「やれやれ……ミクラーシュ先生から受けた教えをお忘れか? 一流の殺し屋たるもの、いついかなるときも……」
「あーはいはい。わかったよ。気をつけるよー!」
これは駄目だと嘆息したペイルラギ。
彼らの目的は相も変わらずノーラの暗殺だ。
今回は二人で襲う上に、相手は女子のみ。
イトゥカの言う通り、失敗する可能性は極めて低いが……それでも慢心しないのが一流である。
常にノーラの動向を監視していたミクラーシュは、彼女が奉納の儀に同伴するという情報を得た。
しかも巫女長のエルメンヒルデは護衛の騎士団もつけず、警戒している素振りを見せない。
強襲を仕掛けるならばここしかない……とのことで、弟子の二人が社に派遣されたのだ。
「イトゥカは内部で待機を。某は外部で標的の接近を見張り、標的が社に入った瞬間に後方から襲う。挟み撃ちにしますぞ」
「りょーかい。早く来ないかなー」
死の匂いで汚された社に、イトゥカのため息が消え行った。
◇◇◇◇
やっとの思いで、ノーラは山頂へ到着した。
目の前には木製の社が聳え立っている。
「つ、疲れた……」
「ノーラちゃんは軟弱だねぇ。帰りも歩くけど大丈夫そ?」
「無理かも。おぶってよエルン」
「えー……どうしよっかなー?」
帰りもカフェに寄ることができれば、中間地点で休めるのだが。
あのカフェ消えたしなぁ……とノーラは不安な気持ちになる。
すでに足が棒になりかけているのだ。
エルメンヒルデは社の扉に手をかけ、力を籠めて押し開けた。
「巫女長です。奉納の儀をしに……」
閉口、沈黙。
扉を押し開けたまま硬直したエルメンヒルデ。
目前で急に静止した彼女を見て取り、ノーラは首を傾げた。
「エルン、どうした?」
エルメンヒルデの後ろから、ノーラもまた社の中を覗き込む。
視線の先――紅の海。
「っ……!?」
鼻先をくすぐった鉄の匂い。
消された燭台の下には、シュログリ教の礼服を着た人々が転がっている。
床に広がる血だまりは……彼らの肉体から流れ出ていた。
死体の山だ。
全員、殺されている。
「こ、これ……」
「――やーっと来た。あたし、めっちゃ待ったよーっ!」
社の奥から場違いに明朗な少女の声が響く。
瞬間、暗闇で鈍く煌めいた刃。
いつしか眼前に迫っていた刺客の少女……イトゥカ。
彼女が振り抜いた刃は、エルメンヒルデが咄嗟に展開した結界で防がれていた。
「ノーラちゃん、私の後ろに」
「う、うんっ……」
鼓動が加速する。
また刺客の襲撃だ。
ノーラはエルメンヒルデが広げた結界に身を隠すようにして、社の出口へ後退った。
混乱、動揺。
また自分のせいで。
今回は巻き込まれて死んだ人もたくさんいる。
ノーラは何もかもがわからなくなって、息を切らして肩で呼吸する。
結界に刃を阻まれたイトゥカ。
だが、彼女はノーラの後退を見て口の端を釣り上げた。
「ペイルラギ!」
「……ノーラちゃん!」
社の出入口に差しかかったノーラ。
彼女の頭上に、ひとつの黒き影が舞う。
全身を黒装束で包んだ男……潜んでいたペイルラギが、刃を振りかざしていた。
「お命、頂戴する」
視線が交差する。
神殿で自分を殺しにきた刺客だ。
すぐ目前まで銀色の刃先が迫っている。
細切れになった視界の中、ノーラは悟る。
(……あ、わたし死ぬんだ)
いつ死んでもおかしくない人生だ。
死ぬ覚悟はできていたし、さして怖くもないけれど。
こんなところで死ぬなんて。
走馬灯は流れない、痛みに怯えて瞳を閉じることもない。
ただ煌めく刃が異様なほどにゆっくりと、確実に迫っている。
「――」
視界の端に桃色が舞った。
一瞬のうちにノーラの上に覆い被さった少女。
エルメンヒルデは、ノーラを庇うように飛び込んできた。
深々と、ペイルラギの刃が彼女の背に突き刺さる。
「ぬっ……!」
妨害を確認したペイルラギは即座に刃を引き抜く。
同時、脇から飛んできたイトゥカがエルメンヒルデの首筋を掻っ切った。