山中、謎のブックカフェにて
翌日、元旦。
早朝から元気なエルメンヒルデに叩き起こされたノーラ。
二人はシュログリ教が手配した馬車に揺られ、奉納の儀を行うという山へ向かっていた。
馬車には神楽で使ったという、採り物や巫女装束が積まれている。
ノーラは向かい側に座るエルメンヒルデに尋ねた。
「そういえばさ、護衛の騎士団とか……なんていうの? 僧兵? みたいなのは引き連れていかないの?」
「エルンが巫女長になるまでは、護衛も連れて行ってたらしいよ。でもいらんでしょ。邪魔なだけじゃね?」
「お前……どうなっても知らないからね。賊に襲われて拉致とかされたらどうすんだよ」
警戒心がなさすぎる。
仮にもシュログリ教で重要な地位を占める、貴族のご令嬢だというのに。
「そういえば、わたしに話したい大事なことって?」
「あー……後で話すよ。うん、話すのに相応しい場所でね」
エルメンヒルデは歯切れ悪く言った。
ここ最近は衝撃的な出来事ばかりゆえ、どんな話を切り出されても驚かない自信がある。
ノーラは泰然自若として構えていた。
「これから向かう山って、シュログリ教にまつわる神聖な場所だったりするの?」
「いや、ふつーの山だよ。登山家も登ってたりするし、動物を狩ってる猟師もいる。山頂にあるシュログリ教の御社だけは、一般人立ち入り禁止だけどね」
管理者がシュログリ教の人間ではなく、近辺の村の長だとか。
たまに社に盗人が入りそうになって捕まるとか。
どうでもいい情報を聞きつつ、ノーラは山へ向かった。
◇◇◇◇
霜が降りる山道を歩く。
儀式で毎年シュログリ教の巫女長が通るだけあって、山道はしっかりと舗装されている。
そこまで足腰につらい行程はない。
運動音痴なノーラもかろうじて登山できていた。
「なんか寒くないな。真冬の朝、しかも山の中だけど」
「昨日の神楽の影響だろうねぇ。ほら、あっちの空はまだ赤いし。熱気がこの地方まで伝播してきてるんだよ」
エルメンヒルデは彼方の空を指さした。
大神殿がある方角の空は、いまだに赤く染まっている。
そして熱気を孕んだ風が、遠方のこの山まで届いていた。
「神楽の影響すげー。マジで神の御業じゃん」
「ふふふ……もっと褒めてくれてもいいんだよ?」
「でも、すごいのはエルンじゃなくて神様だよな……」
「…………そうだねぇ」
ノーラの言葉に、エルメンヒルデは渋々うなずいた。
もちろんエルメンヒルデもすごいと思うが。
どこまでが焔神の力で、どこまでが彼女の力なのかわからないのだ。
それはさておき、とノーラは山を見上げた。
「いつまで歩くんだよこれ。長くね?」
「まだ登り始めて三十分しか経ってないよ。一時間くらいがんばってー」
「やっぱり来なければ良かったぜ……って、ん? ねえ、エルン。あの建物はなに?」
不意に視界に入った木造の建物。
山道の脇にポツンと佇んでいる。
エルメンヒルデは目を瞬かせ、建物に向かって走っていった。
ノーラも慌てて後を追い、建物の看板に書かれた文字を読み上げる。
「『ブックカフェ・エルヴィス』……だって」
「え、こんな辺鄙な山にカフェ? 一年前にエルンが来たときは、こんなお店なかったけどねぇ……」
「お客さんとか、年に数人くらいしか来なさそうじゃね?」
「うん。怪しさ満点すぎる!」
二人は怪訝な視線をカフェに向けた。
違法なブツを売買している店ではないだろうか。
表向きはカフェだが、特殊な注文をすると違法薬物が出てきたり。
ノーラはエルメンヒルデの服の裾を引いて、退散を促した。
しかしこの巫女、興味を持ったものには気後れせずに突っ込んでいくスタイル。
一切の躊躇を見せずに店の扉を開け放った。
「お邪魔しますー」
「待て待て待て……」
慌ててノーラも後を追う。
心地よい鈴の音が鼓膜を叩く。
店に入った瞬間、山道よりも清澄な空気が肺になだれ込んだ。
本特有のスモーキーな匂いと、快晴の日のように澄んだ空気がブレンドされたかのような、独特な雰囲気。
壁際の書棚にはきっちりと整頓された本が並んでいた。
「ようこそ、『ブックカフェ・エルヴィス』へ」
カウンターには一人の女性が座っていた。
長い赤髪に、エメラルド色の瞳。
不可思議な気配を持つ少女は、理知を秘めた視線で二人を射抜いた。
「こんにちはー。お店って開いてますか?」
「ああ。山頂へ向かう傍ら、ここでひと休みしていくといい。歓迎しよう」
「だってさ。ノーラちゃん、ちょっと見ていこうよ」
「う、うん……意外と雰囲気いいし。気になるかも?」
カフェの中に他の人はいない。
こんな誰もいないような山の中、しかも元日。
営業しているのが理解できないくらいだ。
ノーラは興味本位に書棚を見てみる。
全体的に古めの本が多いが、最新の本まで揃っているようだ。
エルメンヒルデはざっと内装を見渡して呟く。
「ブックカフェ……帝都では流行ってるけど。こんな場所に店を構えてもねぇ」
「しっ、エルン。店員さんに聞こえるでしょ?」
声を潜めて言ったつもりが、カウンターから冷めた笑いが響いた。
「フッ……いや、そこの巫女の言う通りだとも。客足はほとんどない。無聊をかこつ変物の趣味だよ」
趣味で、採算度外視でのカフェ経営。
ノーラも将来はそんな感じで過ごしてみたい。
……が、どだい無理な話だろう。
ぐるりと書棚を見て回っていると、ノーラは目をカッと見開いた。
「こっ……これは!?」
「どうしたのノーラちゃん!?」
「ぶ、文豪のミリヤム・アルザティの本がある! しかもオリジナルの版だよ!? 数百年前の作家の本までたくさんあるし……すごいすごい!」
並ぶ名著の数々。
そのほとんどがオリジナルの版。
保存状態は極めて良く、劣化も見られない。
瞳を輝かせるノーラに、エルメンヒルデが釈然としない様子で尋ねた。
「なんか興奮してるけど……そんなにすごいものなの?」
「当たり前でしょ! 数百年前の文豪の正本なんて、一冊だけでもお屋敷が買えるくらいの価値があるんだよ? ここは博物館か何か……?」
このブックカフェは信じられないほどの価値を保有している。
驚愕するノーラとは裏腹に、エルメンヒルデは何がすごいのか釈然としない様子で。
「まあ、本を見るのは後でいいからさ。なんか注文してみない?」
「ああ、うん……たしかに喉が乾いてるし」
ノーラはカウンターで瞑目する店員に、おずおずと歩み寄る。
「あのぉ……ここにある本って、読んでもよろしいのですか?」
「無論だ。ブックカフェだからね。気になる書物があれば、遠慮なく手に取りたまえ」
「わぁ……ありがとうございます!」
「さて、注文を聞こう。お品書きはこちらだ」