降神巫
「……今しがた戻りましたぞ、ミクラーシュ先生」
「おや、ペイルラギ。お帰りなさい。どうやら仕損じたようですね」
ノーラを仕留め損ねた刺客……ペイルラギはマスクを取ってはにかんだ。
「いやはや、面目ない。標的を守っていた男が想像以上に手練れでして……というのは言い訳ですな。不足の事態を見据えて、幾重にも策を練るが一流。某の怠慢であります」
「そうですね。ただし、咄嗟の機転は評価しましょう。神殿への通路を崩落させたのはお見事でした」
素直に弟子の行動を評価するミクラーシュ。
ノーラを仕留めきれないと悟るや否や、ペイルラギは方針を転換し、神殿への通路を崩落させて火を放ったのだ。
ミクラーシュは一部始終をすべて見ていた。
彼が宗教都市各所に放つカラスの群れと視界を共有し、監視の網を張っている。
「我々の目的はふたつ。うち、いずれかひとつを達成すればいい。ひとつは『標的エレオノーラ・アイラリティルの暗殺』。もうひとつは『エレオノーラ・アイラリティルと教皇の接触阻止』。ひとつめの目標が達成できないと悟った時点で、ふたつめの目標達成に切り替えたのはお見事です」
事実、ノーラは自室に引き返している。
ペイルラギによる妨害がなければ、今ごろは教皇と接触している頃合いだろう。
クラスNの生徒たちが滞在する宮殿。
そのそばに生える枯れた木々には、無数のカラスが留まっている。
カラスと視界を共有してノーラを監視しながら、決して教皇と接触させないように。
ミクラーシュは常に警戒していた。
隠れ家の隅では、一人の少女が安らかに寝息を立てている。
ミクラーシュが彼女の名を呼ぶと、刺客の性か、すぐに目を覚ました。
「イトゥカ。次の任務です」
「ふわぁ……おはよう、先生。任務?」
「標的は私が監視しておきます。その間、あなたとペイルラギに任務を課しましょう」
◇◇◇◇
翌日。
ノーラは殺されかけたにもかかわらずぐっすりと眠り、今年最後の朝を迎えた。
「おはよう、ノーラ」
「おはようございます……」
クラスNの面々と顔を合わせる。
ペートルスは何食わぬ顔であいさつをした。
彼以外に昨夜の件は話していない。
そもそも平民のノーラが命を狙われるのも不自然な話だし、事情を知っているペートルス以外に話す必要はない。
今は刺客のさらなる動向を監視しよう、という方向で話し合っている。
幸いにも被害者はなく、エルメンヒルデの儀式も邪魔されなかったらしい。
本日行われる神楽にも支障はないとのこと。
「今日はいよいよ神楽が始まる。夜までは祭りを楽しむとしよう」
「祭りか……くだらん。俺は夜まで部屋にいるぞ」
ヴェルナーはぶっきらぼうに言い放った。
そんな彼の興味を誘うためか、マインラートが口を開く。
「ヴェル先、そうノリの悪いこと言うなって。聞いた話じゃ、この祭りには古今東西から商人が集まってくるらしい。戦いにしか興味ないヴェル先でも、楽しめそうな出店はあると思うぜ? 俺は昨日、兵法書を売ってるバザールも見つけたしな」
「……そうか。ならば行ってみるのも悪くないかもしれんな」
「決まりですね。みんなで祭りを回り、夜には神楽を楽しみましょう」
フリッツの声を皮切りに、クラスNの面々は宗教街へと繰り出していく。
エルメンヒルデは今ごろ準備に奔走しているのだろうか。
この旅行の目的は、卒業を控えた三年生との思い出作り。
せっかく招待してくれたのだし、今は刺客の件など忘れて全力で楽しもう。
◇◇◇◇
祭り囃子が聞こえる。
日が沈むとともに灯ってゆく、聖なる炎。
神楽を見るため、徐々に祭壇周辺に集まる人々。
クラスNの面々は、神楽がすぐ目の前で見られる特等席にいた。
ノーラがぐるりと周囲を見渡すと、見たこともないくらい多くの人が祭壇に集っていた。
学園祭で演劇をしたときの数倍は見物人がいるだろうか。
国内最大級の宗教の祭事ともなれば、当然の規模と言えよう。
シュログリ教の信徒からすれば、この特等席がとても羨ましいのかもしれない。
「……始まるよ」
ペートルスの一声にノーラは顔を上げた。
神殿から続く燭台に火が灯っていくと、水を打ったように場が静まり返る。
やがて神殿から巫女たちが歩いてくる。
中心にいるのは装束を着たエルメンヒルデ。
彼女は視線ひとつ動かすことなく前へ進み、祭壇の中央へ。
他の巫女たちは祭壇を取り囲み、聖火を灯していく。
「…………」
エルメンヒルデは静かに採り物を振りかざす。
小さな鈴の音が遠くへ遠くへ響き渡る。
右回り、左回り。
桃色の髪を揺らしながら、ゆったりと回り始めたエルメンヒルデ。
火の粉が彼女を中心として舞い上がり、天を赤く染め上げていく。
徐々に、徐々に。
旋回の動きは激しくなり、辺りに満ちる熱気が高まる。
焔の幕が立ち昇る。
焔神をその身に降ろす――降神巫。
「綺麗……」
己の瞳に舞を宿し、ノーラは感嘆の声を上げた。
ただの踊りではない、ただの儀式ではない。
これはもはや一種の芸術である。
エルメンヒルデが舞う度に生じる聖炎。
天へ舞い上がり、空へ溶けゆく。
夜にもかかわらず明るく、冬にもかかわらず暑い。
そして周囲に満ちる神聖なる気。
魔力でも熱気でもなく、筆舌に尽くしがたい気配が満ちていた。
「すごい……本物の神がそこにおられるようです」
「エルメンヒルデちゃん、やっぱり綺麗だな……俺に靡かないのだけ惜しいぜ」
「一糸乱れぬあの足さばき、熟練の戦士ですら難しいだろうな。奴に剣を握らせたら、かなりの剣舞が見られるのではないか?」
クラスNもまた、それぞれ別の観点から感動の声を上げる。
舞が進むにつれ、世界が別の空間に染め上げられていくかのよう。
どんどんシュログリ教の世界に呑まれていくノーラの傍ら、ペートルスが小さく呟いた。
「……人間の業じゃない」
「わたしもペートルス様に同意です。わたしが一生練習しても、あんなに上手に踊れる気がしません……!」
「あ、あぁ……とても上手な舞だ。最後までしっかりと見届けよう」
かすかにペートルスの声色に滲んだ狼狽。
彼が見せた意外な一面は、神楽に夢中で誰も気がつくことはなかった。