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呪われ姫の絶唱  作者: 朝露ココア
第9章 惑わぬ佯狂者の殉教
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隣合わせの死線

夜にもかかわらず、神殿周辺は明るい。

煌々と輝く燭台の炎が絶えず燃えている。


ノーラは巫女に先導され、神殿と宮殿をつなぐ回廊を歩いていた。

後ろには足音ひとつ立てずに歩く式神の姿もある。

巫女は先を往きつつ、ノーラに尋ねた。


「何か不都合はございませんか? 神殿に滞在するにあたり、要望があれば遠慮なくお申し付けください」


「いえ、特に不満は。お気遣いいただきありがとうございます。そういえば……今日は一度もエルンの姿を見ていないのですが、彼女はいま何を?」


「巫女長は明日の神楽に備え、明日の夜まで瞑想されています。清水にその身を浸し、一睡もすることなく祝詞を奏上なされる。厳しい試練を耐えられた果てに、その身に主を降ろされるです」


聞いただけでも肝が冷える。

宗教の伝統的な儀式とはいえ、そこまで厳しい儀式をするとは。

ノーラだったら一時間と経たずに音を上げる自信がある。


「た、大変そうっすね……シュログリ教の巫女さんにとっては当たり前なんでしょうけど」


ノーラが呟くと、巫女は神妙な声色で答えた。


「いえ、私どもは神楽はおろか、前日の儀式にも耐えられません。比類なき精神力あればこそ、エルメンヒルデ様は巫女長として認められているのでしょう」


人とは一見してわからないものだ。

フリッツやマインラートが見えぬ鎖に縛られていたように。

あの朗らかなエルメンヒルデでさえ、シュログリ教では厳格な禊に耐えている。


自分は何か誇れるような、隠された長所があるだろうか。

ただ素行や言葉づかいが悪く、右目に呪いを持っているだけの女。

……そう考えるとなんだか虚しくなってきた。



ノーラが俯いた、その瞬間。

背後の式神が動いた。


「失敬」


ノーラと巫女の前に出た式神。

展開された魔力障壁、響く鈍い音。

この一幕を前に、ノーラは瞬時に悟ることができた。

もはや慣れたものだ。


「あ、これ刺客ですよね?」


「ご明察。どうやら慣れたご様子で。お二人は私の後ろに下がっていてください」


刺客に命を狙われた経験は初めてではない。

免疫がついたとまでは言わないが、狼狽えはしない。

事前に兆候もあったのだ。

エルメンヒルデが式神なんかを派遣してきたことも、ノーラの警戒心を高めている要因のひとつだった。


動揺する巫女をそっと抱き寄せ、ノーラは明るい夜闇に視線をめぐらせる。

右、左と不規則に銀色の矢が飛来。

式神はすべての矢を的確に防御し、払い落としていく。


「数は一人。手練れですね」


幸いにも神殿内は明るい。

すさまじい速度で動き回る刺客だが、ノーラもかろうじて視界に収めることができていた。


攻撃はすべて式神に防がれると判断したのか、やがて遠方からの投擲は止む。

刺客は堂々とノーラたちの前に出て、刃を構えた。

顔も体も、全身を黒装束で包んだ男だ。


「…………」


「いかにして神殿へ潜りこんだのか。狙いはなんなのか。尋ねたいことは山ほどありますが……」


式神は刺客へ向けて手をかざした。

爆風と魔力とが駆ける。


「ノーラ様をお守りするのが主人の命ゆえ。退いていただこう」


地中から顔を出した木の根が、一息に刺客へと襲いかかる。

刺客は咄嗟に飛び退くが、さらに追撃が仕掛けられる。

とめどなく己を襲う攻撃に、彼はマスクの下の顔を苦渋に歪めた。


――想定外だ。

本来なら一撃でノーラを仕留め、逃走する手筈だったというのに。


「……致し方なし」


呟き、刺客は踵を返す。

作戦変更だ。


疾走していく刺客の背を眺め、ノーラは目を丸くした。


「えっ、逃げたんすか?」


「……賢明な判断と言えるでしょう。あの刺客も手練れには違いありませんが、私には一歩及ばず。単独で仕掛けてきたのが間違いでしたね」


なんだか拍子抜けだ。

学園で襲ってきた刺客は、意地でもノーラを殺そうとしてきたのに。

それほどまでに式神が強大なのか、あるいは……。


ノーラが考えをめぐらせた瞬間、遠方でくぐもった音が響いた。

震源は遥か前方、神殿の方向。


何事かと顔を上げると、長い回廊の先が燃えていた。

神殿と宮殿とをつなぐ石門が崩落し、また神殿の木製の家屋が赫々と燃えている。


「いえ……逃げたのではなく、別の作戦に切り替えただけのようですね。あの刺客が石門を崩落させ、神殿に火を放ったようです」


式神の一言に衝撃が走る。

たしかに、あちらは刺客が走っていった方角だが……意味がわからない。


「逃走するための時間を稼ぐため、ってことですか?」


「どうでしょう。端からこちらは追うつもりはありませんでした」


燃える神殿を見て、ノーラの隣で震えていた巫女が立ち上がる。

彼女は血の気が引いた顔色で、神殿のそばの燃える建物を見た。


「なんということを……」


「え、えっと……巫女さん、どうしましょうか?」


「私は神殿の状況と、教皇様の様子を確認して参ります。ノーラ様はいったん部屋へ戻り、そちらの式神のそばを離れないよう、お願い申し上げます」


「わかりました。えっと、一人で大丈夫ですか?」


「私のことはお気になさらず」


もはや誰かと面会どころの話ではない。

早急に神殿内の人々の安全を確保し、消火する必要がある。

巫女は血相を変えて駆け出して行った。


刺客の狙いがノーラだったとはいえ、一緒にいた巫女が単独で行動するのは心配になる。

後ろ髪を引かれる思いでノーラは踵を返した。


「またわたしのせいで、他の人にご迷惑を……」


自分がここに来なければ、こんなことには。

暗殺を嗾けた人間が悪いのは自明だが、それでも自分が引き金になっていることは否めないのだ。


肩を落として歩くノーラに、式神は抑揚のない声で尋ねた。


「ヒトとは迷惑をかけ合って生きるもの、と主人は言っていましたが。違うのですか?」


「ああいや、そうなんですけど。わたしの場合は迷惑のかけすぎというか。……てかエルン、そんな金言じみたこと言ってんだ」


たまの迷惑をかけたとしても、自分が支える側に回れるのならいい。

だが、ノーラには他人を支えるほどの力や権力はないのだ。

だから極力、迷惑はかけたくない。


「エルンの瞑想の邪魔になってないといいなぁ。……と、とりあえずこの件はペートルス様に報告しないと」

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