テュディス公爵家へ
ルートラ公爵領から西方へ進み、ノーラとペートルスは海に面した領地に入った。
さらに西へ進んで教皇領を目指すのだが……ここテュディス公爵領は中継地点となる。
海沿いの街道を走る馬車。
ノーラは車窓の外を眺め、流れ込む磯の香りを堪能する。
ペートルスは街道の先、聳え立つ紫色の城を示した。
「見えてきた。あれがヴェルナーの家、テュディス公爵家だ。あそこにヴェルナー、マインラート、フリッツの三人が揃っているはず」
「紫色のお城。なんだかキモ……独特なセンスですね。テュディス公爵は紫色がお好きなのでしょうか?」
「いや、そういうわけじゃないよ。あの城は潮風で痛まない特殊な魔鋼を使っているから、紫色になってしまっただけだね」
「なるほど……海辺の家ってすてきな印象がありますが、意外と問題も多そうです」
テュディス公爵領は、帝都エティスと最も近い領地。
そのためテュディス公は『皇帝の懐刀』とも呼ばれているらしい。
ヴェルナーの義父はどんな人なのだろう。
面会を楽しみにして、ノーラは城に向かった。
◇◇◇◇
「やあやあ、ペートルス君! それと……君がノーラちゃんだね!? はじめまして! 私はテュディス公爵、ベニグノ! よろしくね」
うるさい。
これがテュディス公爵ベニグノに抱いた第一印象だった。
しかし喧しい類の人間は何人か見てきた。
イニゴやコルラード、ガスパルなど……趣は違えど、元気な人間と相対することは慣れている。
「お初にお目にかかります。ノーラ・ピルットと申します。以後お見知りおきを」
「ノーラちゃんのお話は息子から聞いているよ! 普段は寡黙なヴェルナーだが、君の話は少し饒舌になってしてくれてね……いやもう、あの子に友人ができたというだけでも嬉しくて……」
「ユア・グレイス。雑談は後でも構いませんので、ヴェルナーたちのもとに案内してもらっても?」
舌が回り出したテュディス公爵を、ペートルスが止める。
放置しておけば延々としゃべる類の人間だ。
ペートルスは扱い方を充分に心得ていた。
「おお、そうだったね! さあさ、こっちだ。久々にマインラート君とフリッツ君と会ってね、二人とも大きくなったなぁと……」
口が止まらない公爵に導かれ、二人は応接間に通される。
応接間ではフリッツとマインラートがカード遊びをしていて、そばでヴェルナーが退屈そうに座っていた。
ノーラに気づいたマインラートが手を上げる。
「よお。あんたらが来ないから暇してたところだ。フリッツは弱すぎて相手にならねぇし、ヴェル先はそもそも遊んだりしねぇし」
「おやおや、ダメじゃないかヴェルナー! お友達とはちゃんと遊ばないとね!」
「チッ……義父上、すぐに俺たちはここを発つ。さっさと消えろ」
ヴェルナーは煩わしそうに義父を睨みつける。
剣呑な視線を受けたテュディス公は肩をすくめて踵を返した。
「相変わらず無愛想な子だね。君たちは教皇領に向かうのだったかな? ウチのツンツンした息子をよろしく頼むよ!」
終始元気にテュディス公は去っていった。
ヴェルナーの父というから、物静かな人を想像していたのだが……正反対の性格をしていた。
彼を反面教師にしてヴェルナーの人格は形成されたのかもしれない。
エルメンヒルデを除き、いつものクラスNの面々が集ったところで。
フリッツがカードを放り投げた。
「お、おかしい……私がカードで八連敗を喫するなど。読みは間違っていないはずなのに……!」
「……フリッツ。先程から気づいていないようだが、マインラートは不正をしているぞ」
「なっ……!? それは本当ですか、ヴェルナー先輩!」
「人を欺くのも遊戯の内さ。いくら頭が良くても、相手の不正に気づけなきゃな」
絶望した顔のフリッツと、得意気な顔のマインラート。
楽しんでいたようで何より。
ノーラはフリッツに同情し、机に散ったカードをかき集めた。
「フリッツ様、わたしとやってみますか? わたしは不正なんかしないので。意地汚いマインラート様と違って」
「おや……ピルット嬢、私はかなり強いですよ? ええ、正々堂々と勝負をすれば、頭脳戦で右に出る者はいないのです。意地汚いマインラートが相手でなければ、圧勝してしまうでしょうね」
「はいはい、俺が悪かったですよっと」
呆れた様子で席を立つマインラート。
彼はペートルスに何かを耳打ちした後、卓上に置かれているワインを飲み始めた。
「二人とも。遊ぶのは馬車の中でもできるだろう? レディ・エルメンヒルデが僕らの到着をお待ちだ。とりあえずここを発とう」
「たしかに……ペートルス卿のおっしゃる通りですね。ピルット嬢、勝負は馬車までお預けということで」
エルメンヒルデが待ちぼうけだ。
年末までにシュログリ教の神殿に到着しないと、舞が見れなくなってしまう。
教皇領まではそれなりに距離があるし、急いだ方がよさそうだ。
ペートルスに急かされ、五人は部屋を出る。
そして城の出口に向かって廊下を歩いているときのことだった。
曲がり角から一人の男が姿を見せる。
金髪をオールバックで撫でつけた少年……テュディス公の実子、エリヒオ・ノーセナック。
彼はクラスNの面々を見た瞬間、露骨に顔をしかめた。
「クラスNの連中か……気色悪い。さっさと我が家から消えろよ」
そして初手暴言である。
かつてノーラが激怒した相手だが、常変わらず嫌味な性格をしているらしい。
ペートルスが彼を宥めるように言った。
「お望み通り、すぐにでも出ていくよ。ただし……エリヒオ、君の振る舞いは帝国貴族の威信に関わる。くれぐれも気をつけるように」
「チッ……天運に恵まれただけの連中が。特にそこの暴言女は気に入らない」
名指しで非難されたノーラ。
しかし自分は悪いことをした覚えはないので、負け犬の遠吠えにしか聞こえない。
入学初期ならばムカついていたかもしれないが、今はどうでもいい。
「そうすか。どうぞご勝手に……お邪魔しました」
ノーラの反応が意外だったのか、エリヒオは驚きに口ごもった。
五人はそんな彼をスルーして廊下を歩いていく。
エリヒオは学園でも悪評高い。
まともに相手をするだけ無駄というのは、生徒たちの共通認識だった。
そして、そんな彼らの様子を陰から見守るテュディス公は。
「やれやれ……どうにも成長しないなぁ、あの子は……」
肩を落として嘆息した。