敵愾心
冬季休暇に入り、ノーラとペートルスはルートラ公爵家に帰宅した。
年末の神楽を見に行くため、西方のシュログリ教皇領へ向かうことになる。
出立の準備をするべく、いったん公爵家に戻ることになったのだ。
「……久々の帰宅だね。僕はお爺様に顔を合わせてくる。レオカディア、ノーラを頼むよ」
「承知しました」
ペートルスは早々に離宮へ向かった。
今日も彼の表情は変わらず笑顔だが、纏う雰囲気がいつにも増して刺々しい。
最近のノーラはペートルスの表情ではなく、雰囲気で感情を見分けられるようになりつつある。
学園にいるときと比べて、実家にいるときの方が彼は緊張感を持っている。
それくらいは理解できるようになっていた。
「エレオノーラ様。すぐお休みになりますか?」
「そうですね。明日の朝には出発しますし、早めに寝ておきます」
通りすがる使用人たちに『お久しぶりです』とあいさつを交わし、長い廊下を歩く。
昨年は実家のように住みよい場所に感じていた。
いや、つい半年前の夏休みも安心感を覚えていたのに。
なぜだか今は妙に居心地の悪さを感じる。
どうしてなのだろう。
「……」
「エレオノーラ様、いかがなさいましたか?」
「……いえ、なんでもないです。ご飯の前にお風呂にしますよー」
◇◇◇◇
「お久しぶりです、お爺様」
離宮、ルートラ公爵の私室にて。
ペートルスは恭しく祖父に跪いた。
公爵は孫を一瞥し、再び手元の書類に目を落とした。
「……禁書は持ち帰ったのか」
「いえ、もうしばらくお待ちください。上春ごろに入手できる目途が立ちました。卒業までには確実に」
「ふむ……一任する。策があるのならば構わん」
話しは終わったと言わんばかりに、公爵は口を閉ざす。
だが、ペートルスはまだ部屋を去らない。
ここが一種の戦場であることを、彼は忘れてはいなかった。
「時にお爺様……冬季休暇の間、教皇領へと赴くことになりまして」
「…………理由を述べよ」
「シュログリ教の者より、年末の神楽に招待されたのです。宗教派の面々と関係を築く貴重な機会かと存じ、招待を引き受けました」
「宗教派か。ある意味では皇帝派よりも厄介な連中だ。一部を取り込むか、勢力を削ぐことができれば上々。エンミルル方面への進出を見据えるならば、亀裂は入れておくに限るか……」
地図をなぞり考え込む公爵を横目に、ペートルスは蔑みの感情を抱えた。
どれだけ卑劣な政を積み重ねようが、最後は泡沫と化す。
彼は悩める公爵にさらなる追撃を仕掛ける。
「それと……エレオノーラも連れて行こうと思います。彼女も招待されたので」
「……」
公爵の眉間にしわが寄った瞬間を、ペートルスは見逃さなかった。
この反応が――答えだ。
「何か問題が?」
「……いや、好きにせよ。アレの管理はお前に任せている。確実に宗教派の権威に取り入り、次への足がかりとせよ」
「承知いたしました」
◇◇◇◇
公爵の部屋を去ったペートルス。
彼はさっそく私室へと向かい、黒い紙に筆を走らせた。
鳩の形を成した黒い紙は、窓辺から夜闇を縫って飛び出していく。
「……あとは反応を見るだけだ。僕の予想が正しければ、シュログリ教の権力者と彼女が接触する前に……奴は仕掛けてくるはず」
事はすべてペートルスの想定通りに進んでいる。
だが、油断はできない。
己の祖父は社交界を何十年と生き抜いてきた怪物。
容易く出し抜ける相手ではないだろう。
ペートルスは明確にルートラ公爵を『敵』と見做している。
ここが敵地の内であることも承知の上だ。
「イニゴ。君は僕と共に教皇領へ赴く……と見せかけて、クエリエブレム伯爵領へ行ってもらう。軍備再編を進めてもらいたいからね」
「はいよ。あと数か月……急がないといけませんなぁ」
「スクロープ侯爵家、クエリエブレム伯爵家、エンガメラック男爵家、ナバ連邦政府……その他諸侯、諸勢力の数々。協力者は揃いつつあるが……皇帝派の動きが読めない以上、まだ満足はできないね」
ペートルスの瞳に輝きは宿らない。
彼に未来はなく、光明も見えず。
それでもなお進み続ける。
「――ルートラ公爵を倒すには、まだ至らない。大義が必要だ」
焦燥と憎悪。
彼を突き動かす執念は、絶えず燃え続ける。