巫女の力
万物之道ハ 万象惹起ス
世界之理ハ 偽神知処ス
我駆動之柩
不断之行 久遠之步
拝察焔神 吾等ハ教令ス
拝察彼女 吾ハ救済ス
主佩 意志 継承
吾佩 仮死 健常
生死 魂魄 逓送ス
挙止 公理 輻輳ス
『――神様ならそうする』
◇◇◇◇
「へっ……へくちっ! ずずずずずっ……」
風邪をひいてしまった。
寒気の中、ノーラはベッドの上で悶えていた。
季節の変わり目は体調を崩しやすい。
寮の自室から窓の外を見やると、すっかり葉を落としきった枯れ木が見える。
暖房の魔石も近ごろは皆勤賞である。
「お腹空いた……でも外には出られない……」
あまりにも怠い。
食堂に行って誰かに風邪をうつすのも悪いし。
レオカディアに紙鳩でも飛ばして、食べ物を持ってきてもらうべきだろうか。
動く気が起きず、うだうだしていたときだった。
不意に部屋の扉がしつこく叩かれた。
ノック数、二秒につき七回。
乱打である。
『ノーラちゃーん。いるー?』
「いるいる。はよ入れ」
顔を覗かせたのはエルメンヒルデだった。
ベッドで寝込むノーラを見て、彼女はけらけらと笑った。
「風邪ひいたんだって? この軟弱者め」
「馬鹿は風邪ひかないらしいね。つまりわたしは馬鹿じゃないってことが証明されたんだよ。……で、エルンは何の用? わたしをからかいに来ただけ?」
「まさかぁ。エルンは優しいからね、ノーラちゃんの風邪を治しにきてやったんだよ」
自信に満ちた表情でノーラのそばに座り込んだエルメンヒルデ。
彼女はノーラの額に手を当てると、摩訶不思議な言葉を発し始めた。
「――」
徐々に室内に眩い輝きが満ち、温度が上がっていく。
エルメンヒルデの手から伝った魔力がノーラの全身を抱擁。
全身を苛んでいた倦怠感が一気に払われていく。
「お……おおおっ!? すげえ、寒気が消えていく!」
「――よし。これで治ったかな。もう大丈夫そ?」
「うんうん! まさかエルンにこんな力があったとは……」
「仮にも巫女ぞ? 風邪の治療くらいはできるって」
エルメンヒルデの力は謎に包まれている。
彼女がクラスNに所属する所以は『巫女の力』……すなわち巫術。
魔法だかなんだかわからない術を使いこなし、こうして人を助けることもある。
しかしエルメンヒルデは自分の力について話したがらず、研究にも消極的な節がある。
体調が快復して華やいだ気分のノーラは、勢いよくベッドから立ち上がった。
「ありがとね、エルン! 舐めてたけど意外とやるじゃん」
「ノーラちゃんはいつも一言多いんだよねぇ。付き合って約一年、舐められていると初めて知った冬の朝……」
「あー腹が減ったぜ。お風呂にも入りたいな。エルン、巫女の力で食べ物とか出せない?」
「巫女の力をなんだと思ってんの? 神様じゃないんだからさ。神様の代理だけど」
「エルンが自分の力を詳しく説明しないのが悪いよ。風邪が治せるなら、食べ物も出せると思うじゃん?」
エルメンヒルデは苦笑いする。
ノーラの言も一理あるが、さすがに都合よく解釈されすぎである。
「腹が減ったのなら食堂へ行きなさい。エルンは忙しいから、すぐにお暇するよ」
「忙しいって? なんか課題とかあったっけ」
「ううん、シュログリ教の行事が近くてさ。年末にエルンが舞をすることになってるんだ。その練習をしなくちゃ」
シュログリ教の伝統行事、年の瀬の巫女舞。
巫女長のエルメンヒルデは神楽を任されていた。
夏休みからずっと舞の練習を欠かさずに行っている。
「あー……大変そうだね。シュログリ教のお祭りとか少し興味あるけど、教皇領は結構遠いんだよな。帝国のいちばん西の方でしょ?」
「そうだよー。年末の神楽は冬休みと重なってるし、見にこれなくはないと思うよ? せっかくだからノーラちゃんにもシュログリ教のことを知ってほしいけどな」
グラン帝国は多神教国家ながらも、シュログリ教が強勢を誇っている。
建国から連綿と続く焔神への信仰。
このニルフック学園すらも、焔神からの神託で建てられたと聞く。
三大派閥のひとつに『宗教派』が数えられているように、シュログリ教の影響力はかなり強いのだ。
国内の権力者ならば、誰でもシュログリ教の恩恵を受けたいと思っている程度には。
「まあ、機会があればね。じゃ、わたしは飯食いに行ってくるから。エルンも部屋出ろー」
機会があればとかいう、二度と機会が訪れない言葉。
食堂の方へ向かうノーラの背を見つめ、エルメンヒルデは嘆息した。
「盲亀浮木 以詮術移行」