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呪われ姫の絶唱  作者: 朝露ココア
第8章 砂銀の日
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安息律

夕陽が沈み始める。

暗闇の天上、鈍い光が煌々と輝いている。

帝国から遠く離れた異国でも、砂銀の星は強く輝いて見えた。


荒涼とした岩肌の上にぽつんと立つ赤煉瓦の建物。

ノーラとペートルスはテモックに乗って秘境の宿を訪れていた。


「す、すごく寒いです……!」


「乾燥帯の夜は冷えるね。それに部屋を暖める魔石も備わっていない。そこに毛布があるから、何枚も重ねるんだよ」


もうすぐ砂銀の日は終わる。

明日からは普通の学園生活に戻る……はずだったが、明日はサボることになってしまった。


ペートルス様が言うのだから仕方ない。

ノーラは強引に納得した。


「この宿はね、小さいころに両親と来たんだ。それから両親が亡くなっても……定期的に足を運んでいる。夜空が綺麗に見えるんだ」


ペートルスは窓から夜空を眺めながら語る。

ノーラも毛布にくるまってモゾモゾと足を動かし、窓辺に寄った。

都市部のように明るくないから、夜は煌々と輝く星が見える。


煌めく星を視界に収め、ノーラは目を瞬かせた。

すごく綺麗だ。


「あの、ペートルス様。大変失礼な質問をしてもよろしいでしょうか」


「どうぞ」


「ペートルス様のご両親は、どうして亡くなられたのでしょう」


ずっと気になっていた。

ルートラ公爵家に来たときから、今に至るまで。

使用人たちに聞いても、みな知らぬ存ぜぬ。


ペートルスは昔を懐かしむように語ることがある。

亡き両親の話題を出すとき、彼はいつも虚しそうで。


「どうして……か。殺されたんだよ」


「……それは、つらい話をお聞きしました」


「いいや、つらくないよ。両親が殺されたという事実を、僕は忘れたことがない。記憶に鮮明に刻んでいるからこそ、強い意志を抱き続けることができるから」


人の死が壁になるのではなく、糧になる類の人間だ。

ノーラは少し羨ましく思う。

小さいころ、自分は母が病死したときにふさぎ込んでしまったのに。

彼は強い人間だと再認識した。


「……君の母上のためにも」


「え? いま何かおっしゃいましたか?」


「ううん、なんでもない。辛気臭い話はやめにしよう。そうだ……ノーラ。冷えるけど外に出ない?」


「外……寒いけどなぁ。でも夜空見たいしなぁ。砂漠も見たいなぁ……でも寒いよなぁ」


葛藤。

毛布にくるまってうなる。


やや悩んだ挙句、ノーラはコートを手に取った。


「しゃーないっすね」


「感謝するよ。思い出はできるだけ作っておきたいんだ」


ペートルスは先刻買ったバイオリンを手に取った。

静かに宿を抜け出して宿を出ると……ひんやりとした冷気がノーラの肌に突き刺さる。

ここから南下して砂漠に入れば、もっと寒いのだろう。


「ぐぅ……やっぱり寒いんですが」


「僕が抱きしめて温めようか?」


「い、いえ……お気持ちだけで温まっておきます」


ペートルスに続いて岩肌を歩く。

夜空に煌めく星を眺めながら、吹き抜ける風を浴びながら。

誰もいない秘境の岩山を。



不意にペートルスが立ち止まり、視界が開けた。

彼方まで広がる灰色の世界――砂漠だ。


「誰もいない世界。一切の喧騒がない場所。ここなら僕は……どんな音にも苛まれず、安息を得ることができる」


ペートルスはバイオリンの弓を動かし、音色を奏で始めた。

ゆっくりとした長い音から、次第に短い音へ。

スタッカートを刻み始める。


公爵家の夜、聴いた音色と同じだ。

深奥に籠められた――怒り。


「……あれ、この音色って……」


どこかで聞いたことがあるような。

公爵家に来る前よりも、ずっと前。

幼い日の、どこかで。


ペートルスは一旦バイオリンを弾く手を止めた。

砂漠を見つめながら彼は呟く。


「初めて会ったとき、エレオノーラは綺麗な声で歌っていた」


思い出す。

互いに出逢いを想起していた。


イアリズ伯爵家の木の下で、ノーラは歌っていた。

亡き母に教わった歌を。

見て恐れられるのなら、せめて声だけは美しくあろうと。


「衝撃を受けた。君の歌声に酔いしれた。いつまでも聴いていたいと……心から感動したよ。そして、君の歌に旋律を奏でたいと思った」


ペートルスは再びバイオリンを弾き始める。


「……たしかに、その旋律はわたしの歌に合いそうですね。でも、音色に激情を感じるのは……どうしてでしょう」


「…………」


彼は答えない。

依然として音を奏で続ける。

砂漠の彼方へと響いていく。


旋律への答えは歌。

ノーラは乾いた空気を吸い込み、ペートルスが褒めてくれた歌声を響かせ始めた。


「――♪」


ぴたりと重なり、共鳴し。

どこまでも美しい歌と旋律が響き渡る。


旋律に籠められた激情は次第に和らぎ、安らぎを帯びる。


(……耳鳴りが消えた)


ペートルスはかつてない安息を覚えた。

己を包む音色。

それはまるで、幼き日に感じた両親の抱擁のようで。


彼はいつしか意識を手放していた。


 ◇◇◇◇


毛布の隙間から入り込む寒気と、瞼の上に降り注ぐ光。

心地よい微睡みから目覚たペートルスは、ゆっくりと身を起こした。


彼は自分のそばに温かい何かがあることに気づき、そちらへ目を向ける。

安らかな寝息を立てるノーラの姿がそこにはあった。


(僕は……)


記憶は昨夜で途切れている。

ノーラの歌を聴きながら演奏していたら、急に意識が途切れたのだ。

かつてないほどの安息に包まれて。


思えば、こんなに寝覚めの良い朝はいつ以来だろう。

ずっと自分の『耳』が感じる音に悩まされ、眠れぬ日ばかりを過ごしてきたから。


「……不思議なものだね」


そばで眠るノーラを見て、ペートルスは彼女の髪をそっと撫でる。


「んぅ……レオカディア様……まだ早いです」


「僕はレオカディアじゃないよ」


瞬間、ノーラは目を大きく開いた。

見上げた先、真紅の眼がこちらを優しく見つめている。

彼女は極限まで取り乱しながら、慌てて身を起こした。


「お、お、おはよう、ございますっ……」


「おはよう、いい朝だね。昨夜のことをあまり覚えていないんだけど……」


昨夜、ペートルスが倒れた後のこと。

ノーラは宿のそばにいたテモックを頼り、ペートルスを運んでもらったのだ。


何度声をかけても起きないので、体調が悪いのではないかと心配になり……そばで過ごしていたらノーラも眠ってしまった。

一連の流れを聞いたペートルスは深々と頭を下げた。


「迷惑をかけてしまったね。僕はもう大丈夫。それどころか、とても清々しい気分なんだ」


「よかったです……どこか体に悪いところでもあるんですか?」


「いや、特には。君の歌を聴いて……あまりにも安らかな気分になってね。それで倒れてしまったみたいだ」


朝の光をいっぱいに浴びてペートルスは伸びをした。

清らかな空気が開けた窓から流れ込む。


ペートルスの晴れやかな横顔を窺うと、ノーラは胸をなで下ろした。

彼があんなに満足そうに笑ってくれるのなら、一緒に来て良かったと思える。


「エレオノーラ」


ノーラの真名を呼び、ペートルスは振り返った。

彼が見せたのは儚い笑み。


「ありがとう。僕の……最後の、大切な人」

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