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呪われ姫の絶唱  作者: 朝露ココア
第8章 砂銀の日
122/216

大切

二人はさらに北東へ飛び、緑豊かな都市部を訪れた。

人口はグラン帝国の都エティスほどではないものの、とても賑わっている。


「僕はよくこの街に来るんだ。遠い異国だからあまり来れないけれど、たまの息抜きにね」


「へぇ……グラン帝国にいないからこそ肩の荷が下りるとか?」


「ふふ、そうだね。ここでは何もない、ただの『ペートルス』でいられる。君も今は振る舞いを気にせず、ただの『エレオノーラ』でいていいんだよ」


そのままの自分で。

イアリズ伯爵令嬢でも、呪われ姫でもなく。

周囲の目を気にする必要がない……そう考えた瞬間、たしかに胸がすく思いがした。

きっと汚い言葉を吐いても誰にも咎められない。


「よお、黄金の剣士! 久しいな」


街道を歩いていると、大柄な男が話しかけてきた。

背には巨大な剣を担いでおり、粗野が擬人化したような男性だ。


黄金の剣士と呼ばれたペートルスは、不敵な笑みを浮かべて応対する。


「やあ、暴れ熊。悪いけど今日は闘技をしにきたわけじゃないんだ。また今度ね」


「おっ、そうなのか? また『最強』の剣を見せてくれよ!」


「機会があればね。それでは、また」


簡単に言葉を交わして二人は離れていく。


「今の会話、どういうことすか?」


ノーラが尋ねると、ペートルスは遠くに見える建物を指さした。

赤煉瓦で作られた円形の建物だ。


「闘技場で剣闘士として戦っているんだ。僕は小さいころから……その、刺激を求める性格でね」


「はい、ペートルス様は恐怖することが好きな特殊な方です」


「こんなこと、本当なら誰にも言わないんだが……戦うのが好きなんだよ。死線を潜る度に強くなっていく感覚が癖になる。……怖いかな?」


「ううん、怖くないですよ。なんとなくそんな気はしていました。わたしの右目を好んで見るような方ですし、大胆不敵な方なのだろうと」


しかし、社交界で『戦闘が好きです』などと宣うわけにもいかない。

武術の類を嗜みとして修めている貴族はいても、戦闘行為そのものが好きな貴族は野蛮と見なされる。

ペートルスはさぞ窮屈な思いをしてきたことだろう。


「ちなみに『最強』ってさっきの人に言われてましたよね。最強ということは最強ということですか?」


「うん、そういうこと。この街の闘技場の中では最も戦績が良いらしい」


「さすペー」


一度、彼が思いきり暴れている姿を見てみたい。

しかしその機会が訪れることはなさそうだ。


ぼんやりとペートルスの後をついて行くと、不意に彼が振り向いた。

美しい手が差し伸べられる。


「……?」


「手、つないでくれる?」


「うおっ……し、失礼します」


唐突な要求だが、拒みはしない。

今日はノーラの時間をペートルスに貸すという話だし。

帝国にいるときと違って、手をつないでも変な噂を流される心配はない。


手を取ると、冷たい感触がノーラの手に伝った。


「エレオノーラの手は温かいね」


「ペートルス様の手は冷たいです。でも……手が冷たい人ほど、心が温かいって聞きます」


「僕は……ううん、そんなことないよ。決して人に誇れるような心は持っていない」


謙遜なのか、本音なのか。

わからないままノーラは手に少し力を籠めた。


二人は繁華街を進み、数々の露店を見て回る。


「せっかくの砂銀の日だ。君に贈り物をしたいんだが……」


「いらないですよ。ペートルス様とこうして過ごす時間が、わたしにとって何よりの贈り物。……なんて、少し調子に乗りすぎですかね」


本心を述べたが、キザすぎたかもしれない。

思い返して顔を赤くするノーラに、ペートルスは優しく微笑みかける。


「嬉しいよ。僕も同じ気持ちだ。こうして……いつまでも君と一緒にいられたらいいのに」


それはペートルスの切なる願いだった。

叶わないと知っていながらも、彼は未来を夢想する。


ノーラは儚げに瞳を伏すペートルスを見上げた。


「ペートルス様が望むのなら……わたしはいつまでも、あなたのそばにいますよ。こ、こんな品のない女で良ければ……侍女とか、そこらへんでお仕えします」


「はは、そういう意味じゃないんだよ。それに君を侍女にするなんて、お爺様が命じても御免だね」


そうだ、とペートルスは声を上げる。

彼の視線の先には異国情緒あふれる楽器屋が見えた。


「贈り物というわけじゃない。ただ、僕の興味本位であの楽器屋を見に行ってもいいかな?」


「はい。わたしもちょっと興味があります」


歌や楽器は趣味のひとつ。

グラン帝国のみならず、他国の楽器にも興味津々だ。


楽器屋には様々な楽器が並んでいた。

ストリングスを中心に、ピアノやドラムも置いてある。

さすがに大型の楽器は購入できないが、中型の楽器くらいは学園に持って帰れるかもしれない。


ノーラとペートルスは真剣に楽器を眺める。

帝国では見かけることのないものがあって、新鮮な気持ちだ。


「エレオノーラは、魔力で操作する楽器が得意だったよね」


「そうですね。……あんな感じの弦楽器です。お母様の形見なんですよ」


「君の母上……レディ・エウフェミアか。僕も母上からバイオリンを習ったんだ。お揃いだね」


「たまにルートラ公爵家で聞こえてきたバイオリン……ペートルス様の演奏だったんだ」


「眠りの妨げになっていたなら申し訳ない。弾きたくなるときがあるんだ」


ペートルスはバイオリンを手に取った。

帝国産のものとは異なり、使われている木材がローズウッドではなく、スプルースのようだ。

形状もいくぶんかシャープに見える。

テモックの背に乗せて持って帰れるくらいの大きさだ。


「せっかくだから僕はこれを買おうかな。エレオノーラは何か欲しい?」


「いえ。楽器はお母様の形見以外、弾く気にはなれないので……」


「そうか。君の記憶は改ざんされてしまっているらしいが……それでも色褪せない思い出はある。どうか思い出を大切にね」


大切な思い出、大切な人。

それはきっと……いま目の前にいる彼であり、彼とともに過ごす時間。


ノーラを外の世界に連れ出してくれたペートルスこそ、何にも勝る『大切』なのだと。

伝えようとしたが、ノーラは言い出すことができなかった。

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