向き合うべき時
「――ああ、間違いない。この女は記憶が改ざんされている」
ガエルが言い放った衝撃の言葉。
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
呆然と目を瞬かせるノーラを差し置いて、ペートルスが口を開いた。
「やはり……そうですか。具体的な日時はわかりますか?」
「いや、わからん。記憶に干渉する術の封は確認できる。だがいつ仕込まれたものか、どのようにして解除するのかは専門外だ」
「ふむ……」
ノーラが置いてけぼりのまま話を進める二人。
どうにか現状を把握しようと、彼女は尋ねた。
「あ、あの……どういうことですか? わたしの記憶が改ざんされてるって……」
「そのままの意味だよ。レディ・イアリズが邪法を使っていたと聞いたとき、不意に思い出したんだ。邪法の中には記憶を司る術もあったと。念のため検査させてみたが、判断は正しかったようだ」
「つまり……義母が自分の記憶を改ざんしているということ、ですか?」
「おそらく。無論、邪法ではない手段で記憶が改ざんされた可能性もあるし、他の者が犯人の可能性もある。この事実が君の右目や暗殺の件と結びつく可能性もあるから、大きな収穫だったよ」
だとしたら、ヘルミーネも。
自分と同じ被害に遭っている可能性があるのだろうか。
ノーラは自分の記憶をたどってみる。
これまでの生涯に空白はなく、不自然に感じたこともない。
あるいは違和感を覚えることすらないように、精巧な記憶改ざんが行われているのか。
悩んでいると、ガエルが眉間にしわを寄せてノーラを睨んだ。
「邪法は最も研究が進んでいない法術だ。記憶の封を解けと言われても不可能だ。術者本人ですら封を解けない可能性が高い。まあ……診察証明書は出しておこう」
「助かります。仮にレディ・イアリズがノーラに記憶改ざんを施していた場合……ドクター・ガエルの診察証明書はひとつの証拠になる」
右目の呪い、暗殺、そして記憶改ざん。
三つの大きな問題がノーラを中心にして渦巻いている。
それらは全て関連性があるのか、はたまた別個の問題なのか。
ノーラが己の問題と向き合っている間に。
その隣に立つペートルスもまた、ひとつの真相にたどり着いていた。
◇◇◇◇
「び、びっくりです……まさかわたしの記憶が書き換えられているなんて。もしかしてこの汚い言葉づかいも、記憶が改ざんされたせいで……!?」
「いや、それは自然に育まれたものじゃないかな」
診療所を後にして街道へ戻る。
いまだに事態を受け止めきれないノーラだが……義母が邪術なるものを使っていた時点で、何が起きようとも不思議ではないのだ。
「僕も大きな収穫を得ることができた。……君のおかげで、ようやく前に進むことができる」
ペートルスはいきなりノーラの手を取った。
(えっ……?)
晴れやかな笑みだ。
一見して同じだけど、違う。
いつも張りつけていた作り笑いではない。
「エレオノーラ。今からもっと遠くの街に飛んでいこう」
「ん……ええっ!? 今から、ですか? 明日までに帰れるでしょうか……」
明日は普通のクラスで講義がある。
今ここからテモックに乗って帰っても、学園の到着は夜になるだろう。
さらに遠くへ向かえば間に合わないことは必至。
ノーラの憂いをよそに、ペートルスは軽々と言い放つ。
「サボろうか。僕も明日は無断欠席するよ」
「そ、そんな。優等生のペートルス様が無断欠席だなんて、正気ですか?」
「もうそんなことはどうでもいいのさ。今はとにかく……君と時間を過ごしたいんだ。一秒でも多く、エレオノーラと一緒にいたい」
なんだかペートルスの様子がおかしい。
普段から浮ついた男だが、ここまで積極的に来るのは。
だが、思うのだ。
この姿がペートルスの本当の姿だとしたら。
何も背負う必要がない外国だからこそ、本音を聞けるのだとしたら。
「……はい、行きましょう! わたしにもっとたくさんの景色を見せてください」
ノーラはペートルスがつないでくれた手を引いた。
今こそ彼の本質に触れる機会だ。
そして自分をもっと見てもらうための機会でもある。
「もっと中央の都市部に行こうか。それとも南の砂漠を見てみるかい?」
「うーん……どっちも見てみたいです」
「いいよ。たくさんの景色を見に行こう」
テモックにまたがり、二人は空へと飛翔した。