邪法
「……つーわけで、留学生のランドルフは今日でロドゥラグ騎士学校に帰る。最後にあいさつしてもらおうか」
ソシモに促され、教壇の上にランドルフが立つ。
夏の初めから晩秋まで、留学生として滞在していた彼は母校へ帰ることになる。
「短い間でしたが、ニルフック学園で過ごした日々はすばらしいものでした。多くの方と交流し、刺激のある毎日を送ることができて感謝しています」
定型文のような暇乞いを述べ、ランドルフは礼をした。
特に問題を起こすこともなく、淡々と日々を送り。
それなりの人脈も築いて。
伯爵家の令息としては上々の成果だ。
「またお会いしたときは、ぜひ仲よくしてください。みなさまのご活躍をお祈りしています」
心にもないことを言いやがって。
……とノーラは内心思いながら、上の空で話を聞いていた。
◇◇◇◇
地面に落ちた枯葉を踏みしめ、ノーラは寮への帰路を歩く。
そろそろ寒風が肌を刺す季節になってきた。
コートの類を引っ張りださないと……などと考えながら歩いていると。
「おい」
ノーラを待っていたのか、道の先にランドルフが立っていた。
「うわ、まだ帰ってなかったのかよ。早く帰れよ」
「俺とて早く帰りたい。お前に大切な情報を伝えるため、時間を割いてやっているんだ。感謝しろ」
大切な情報。
もしかして暗殺者の首魁が割れたとかだろうか。
ランドルフは周囲を見渡し、ついてくるように視線で促した。
「どこか二人で話せる場所があればいいのだが」
「わたしの部屋すぐそこだよ。来る?」
「ああ……お前が構わないのならそこでもいい」
無闇に男を部屋に招き入れるとは、どういう警戒心をしているんだ……とランドルフは苦言を呈したかったが。
この女は元来そういう性格だと思い出し、口を噤んだ。
ランドルフを部屋に招いたノーラは、棚から茶葉と魔石、ティーカップを取り出して紅茶を淹れる。
あとは適当に保存していた茶菓子を添えて。
彼女の動きを見ていたランドルフは、虚を突かれた表情をしていた。
「なんすか」
「いや……お前、よく茶を淹れることができたな。そこまで親しくない相手に出す茶菓子の選択、令息に出すティーカップの選別……悪くないセンスだ」
「わたしだって成長してるんだよ。特にニルフック学園に入ってからは、クラスNの生徒とか友人と茶会することも増えたし。引き籠っていた時代とはわけが違うんだ」
淑女として振る舞おうと思えば、違和感がない程度までには成長している。
たまに暴言が出るし、驚くと変な声も出るけど。
「そうか……重畳だ。ヘルミーネの姉として立派な振る舞いを心がけることだな」
「いや、ヘルミーネが立派な振る舞いを心がけろよ。あいつよりはわたしの方がマシだよ」
「俺はそうは思わない。ヘルミーネは彼女なりに努力しているんだ……っと、こんな話をしている場合ではなかったな。さっさと本題に入るとしよう」
惚気を引っ込め、ランドルフはやや真剣な顔つきになる。
彼は懐から小箱を取り出し、布に包まれた物体を中から出す。
布には魔力が籠められているようだ。
ランドルフは慎重に布を解いていく。
はらりと布が広がっていく様を、ノーラはじっと見守っていた。
「これって……髪飾り?」
真紅の花に、黒い羽を差した髪飾り。
一見すればただのアクセサリーに見えるが。
「お義母様がヘルミーネに贈った髪飾りだ。だが、安易に触れてはならん」
「どういうこと……って、聞かなくてもわかるよ。なんかこの髪飾り、嫌な気配を感じる」
「ほう……慧眼だ。どうやらコレには"邪法"が付与されているらしい」
「じゃほぅ」
初耳。
呆けた面を晒すノーラに、ランドルフは大雑把に説明する。
「違法な術だ。俺にも詳しいことはよくわからんが、魔術や呪術とは別物らしい。ヘルミーネの調子がおかしいと感じ、いつも付けている髪飾りを抱えの術師に調べさせたのだ」
「調子がおかしいって……どういう?」
「普段より声量が小さい。怒りに任せて放つ魔術が弱い。癇癪をあまり起こさない。起床時間が少し遅い。これらの特徴が、髪飾りを付けてから現れた」
「きも」
ヘルミーネの観察だけは一流。
この一途すぎる男、やはり義妹に明け渡して正解だった気がする。
あの妹のどこを好いているのか理解はできないが。
「鑑別によると、この髪飾りに付与されていた邪法は『服従の邪法』。そこまで強固なものではなく、命じられれば無意識に従ってしまうというものらしい」
「えっ……じゃあ、お義母様がヘルミーネを服従させてたってこと?」
「……そうだな。これにより、お前の暗殺を企んだのがお義母様という可能性も浮上してきた」
あの義母ならやりかねない。
幼少期に伯爵家に嫁いで来てから、度々ノーラを邪険にしていたし。
離れに越してからはほとんど顔を合わせていないが……小さいころ、いきなりやってきた義母を恐れていた記憶がある。
「ヘルミーネに口を割らせ、お前が屋敷にいないことを知った可能性もあるな」
「お父様には相談したの?」
「無論だ。だが……邪法の使用は認められたが、お前の暗殺を指示した証拠は見つかっていない。しばらくはお義母様の動向を注視すると、お義父様はおっしゃっていた」
正直、めちゃくちゃ黒い。
暗殺の主犯が義母というのは、かなり信憑性が高まった。
いっそ邪法とやらの行使だけでも牢にぶち込んでしまえ……とも思うのだが。
暗殺の確たる証拠を掴むまで泳がせた方が、協力者なども炙り出せる。
「今回の一件を受け、ヘルミーネは俺の実家に来てもらうことにした。愛しき婚約者を傷つけるなど、お義母様であっても許されることではない。いつからヘルミーネが母の毒牙にかかっていたのかはわからんが……とにかく彼女は俺が守る」
「はいはい、かっこいいね。とりあえず情報共有ありがとう。この髪飾りは……どうする?」
「邪法行使の証拠として、お義父様が保管しておくそうだ。お前もお義母様にもらった物があれば、捨ててしまった方がいいだろう」
「そんなもんあるわけないじゃん。話したこともほとんどないし」
今回の件はペートルスにも報告しよう。
大きく事態が動いた。
「話はこれで終わり?」
「そうだな。また情報が入り次第、伝えることがあるかもしれない。それと……これは今回の件とは関係ないのだが」
こほんと咳払いして、ランドルフは視線を逸らした。
「ヘルミーネの好きなもの、お前は知っているか?」
急な問いにノーラは硬直した。
暗殺の話から、急に世間話のノリである。
「え、知らんよ。なんで?」
「砂銀の日だ」
「あー……大切な人に贈り物をする日だっけ?」
世間の恋人たちが浮かれ始める時節。
銀色に輝く星が最も強く輝くころ、大切な人との絆を願って贈り物をする行事がある。
もちろんニルフック学園の生徒の間でも、砂銀の日に関わる痴話が聞こえ始めている。
「あいつ、小さいころは人形とか好きだったけどね。今はさすがにないと思う。ヘルミーネのことだし、煌びやかなドレスとかアクセサリーを贈れば大体喜ぶんじゃない?」
「違いない。だが、たまには違った趣向の贈り物をしたいと思っていてな……」
「隠された好物を見つけるのも恋人の責務なんじゃないですかね、ヘルミーネ大好きのランドルフさん」
「なるほど……まだまだ理解が足りないということだな。わかった、俺の想いを信じてみることにしよう」
ノーラには贈り物をしたい相手はいるだろうか。
そもそも『大切な人』とは何を示すのか。
少しは考えてみるべきかもしれない。