悔いなき剣閃
文化祭、午前の部が終了。
お化け屋敷の運営に関して、ノーラは午前担当なので午後は文化祭を見て回ることになる。
そしてフィナーレで演劇だ。
エルメンヒルデと一緒に、ノーラは食堂を訪れた。
ペートルスのクラスが運営しているというレストラン。
洒落た看板と長蛇の列を見て、エルメンヒルデが呟いた。
「音のないレストランか……なんか、すごい大盛況だねぇ」
「いまお昼だしね。でも……どうするかな、これ。並んでたら日が暮れちゃうよ」
他にもいろいろと見て回りたい場所がある。
ペートルスには悪いが、ここは断念して……と思った矢先のことだった。
どこからともなくペートルスの声が降り注ぐ。
『ノーラに、レディ・エルメンヒルデ。聞こえるかい?』
「……あ、ペートルス様の声だ」
『来てくれてありがとう。ただ、今は人が並んでいてね。このレストランはあと一時間後に閉店することになっているから……そのときに来てもらえるかな? 君たちには特別に、閉店後に料理を振る舞わせていただきたい』
「わかりましたー。……だってさ。それまで他のところ見て回ろうか、エルン」
「おっけー。一時間も待つって、ノーラちゃん我慢できる?」
「で、できるよ。そういうエルンはどうなの?」
「エルンはあんまりお腹とか空かないからねぇ。ノーラちゃんが大丈夫ならそれでいいよ。行こっか」
閉店後まで料理を用意してくれる特別待遇。
そんなペートルスの厚意を無下にはできない。
二人は適当に文化祭を回って時間を潰すことにした。
そして一時間後。
長蛇の列はとうに消え、看板には閉店の文字が書かれていた。
食堂の前に立っていた三年生が、二人に向けて手招きする。
「やあ、君たちのことはペートルス様から聞いてるよ。本日最後のお客様だね。このレストランには音がない。入店した瞬間に何も聞こえなくなるから、注意してくれ」
受付から注意喚起を受け、ノーラとエルメンヒルデは店内に入った。
瞬間――ぷつりとすべての音が途絶える。
驚いて声を上げたが、何も聞こえない。
口をパクパクと動かすエルメンヒルデを見て、ノーラは思わず笑いそうになる。
「!?」
いつしか前にペートルスが立っていた。
音がないから人の接近にも気づけない。
彼は二人を導き、椅子を引いて向かい合う形で座らせた。
給仕しているのは全員生徒のようだが、まるで一流の使用人のような雰囲気を感じさせる。
ペートルスはテーブルに置かれたメニューと紙、ペンを指し示して去っていく。
「……?」
ノーラが首を傾げていると、エルメンヒルデは紙に筆を走らせた。
『筆談しろってことだね。メニューを見よう』
なるほど……と納得してメニューを見る。
かなり本格的な高級レストランというか。
高位貴族ばかりが通う学園らしい料理が名を連ねていた。
もちろん値段も相応で。
それなりに悩み、ノーラはクリームブリュレを、エルメンヒルデはハニーパンケーキを選ぶ。
手を上げて店員を呼び、メニューを指して注文。
しばらく待つと、できたての料理が運ばれてきた。
宝石のような輝きを持つ料理にノーラは唾を飲む。
本当に高級レストランと遜色ない。
「「……!」」
口に運んだ瞬間、ノーラは目を見開く。
とにかく味に深みがある。
聴覚という感覚を遮断しているから、味覚が鋭敏になっているのだろうか。
これは長蛇の列ができるのもうなずける。
奇抜さだけではなく、新たな境地を体感させてくれるのだ。
この感動を言葉にできないのが惜しむべき点か。
やはり三年生の出し物は強い。
来年度以降の参考にしなければ。
◇◇◇◇
「楽しんでいただけたかな? 二人とも」
食事後、音の戻った世界でペートルスが尋ねる。
「はい、とても美味しかったです! 音がないというだけのシンプルなテーマなのに、ここまで洗練されているなんて……」
「生徒たちの料理の腕が優れていたおかげで、ここまで質を高めることができた。彼らには感謝してもしきれないよ」
「ペートルス先輩、相変わらず謙虚だね。八割くらいペートルス先輩の手柄だと思うんだけど」
「そんなことはないよ。文化祭は皆で協力して作り上げるものだ。君たちも来年は自分の力を使った出し物をしてみると、独創性が出るかもしれないね」
ノーラの力は危険すぎて使い物にならなさそうだが。
出力を最大まで落とせばなんとかなるだろうか。
「さて……僕たちの店はこれでしまいだ。二人とも、この後はどうする? 僕はヴェルナーが参加する武術大会を観にいくけど」
「エルンはこのあと仕事があるので……お二人でどうぞ。邪魔するのも悪いしね」
「そうか。お気遣い痛み入るよ」
まるでノーラとペートルスが恋人のように扱われている。
慣れてきたとはいえ、殿方と二人きりになるのはまだ緊張するのだが。
「あ、そうそう。ノーラちゃんが出る劇までには仕事終わらせるからね! ちゃんと観にいくから、がんばって!」
「お、おう。がんばる!」
エルメンヒルデは元気に手を振って去っていく。
楽しくて忘れかけていたが、ノーラはこのあと大舞台が待っているのだ。
「武道場へ行こうか。いまごろヴェルナーは順調に勝ち上がっているだろうね」
「そうすね。ヴェルナー様は負ける気がしないといいますか。実際、過去の二年間も優勝しているんですよね」
「彼は強い。今年も優勝は間違いない……と言いたいところだけど。その真偽は僕たちの目で確かめるとしようか」
◇◇◇◇
しっかりとヴェルナーは強かった。
……いや、強すぎた。
数々の武術部の生徒を薙ぎ倒し、ものの数秒で決着をつけて。
同じく彼の麾下にある剣術サロンの生徒たちも圧倒的だった。
「な、何が起こってるのか……まるでわからないんですけど」
目にも止まらぬ速さで剣を交える生徒たちを見て、ノーラは戦慄した。
次元が違う。
ちらとペートルスを横目に見ると、彼は勝負に見入っているご様子。
「ペートルス様は目で追えていますか?」
「ああ。ヴェルナーもずいぶんと腕を上げたね。久しぶりに彼と剣を交えてみたいが……まだ彼は強くなれる。底にある力を出しきっていない」
「なんかすごい強者の風格が出てますね」
今の言から察するに、ペートルスの方が強いのだろうか。
ぐるりと周囲を見渡すと、周囲の生徒も何が起こっているのかわからないが、とりあえず応援の声を張り上げている感じ。
見ているだけで迫力があって興奮できるのは、武術大会の良いところだ。
「……あっ、マインラート様だ。あの方も勝負を真剣に見ています」
「クラスNの生徒なら、君以外は勝負の趨勢を理解できるだろう。とはいえ……やはり大会の状況を見る限り、ヴェルナーの剣術サロンが優勝で間違いなさそうだね。結果はとうに見えている」
「おぉ……! つまり一年生から三年生まで、ずっと玉座を守り続けることに! さすがヴェルナー様です」
「……今年で最後だからね。悔いが残らないよう、彼も全力で戦っているみたいだ」
ペートルスはヴェルナーの剣筋を眺め、寂しそうに呟いた。