新たなる姫君
文化祭前日。
ノーラは舞台の端でクライマックスの場面を見守っていた。
「さあ、アガピト! この悪夢を終わらせるときが来た!」
「愚か者よ! ワシの力を見くびるな!」
王子クーロと邪悪な魔法使いアガピトの激しい戦い。
演じるデニスとガスパルは優雅に、かつ鮮烈に火花を散らす。
舞台裏からのエフェクトは盛りだくさんだ。
やがてデニスがガスパルを退け、舞台の中央に薄い光が射す。
そっと舞台の裾に消えるガスパル。
同時にデニスがその場に力なく倒れた。
「くっ。アガピトに受けた邪悪な毒が……私の命もここまでか……!」
伝承では、クーロ王子は邪毒に侵されて死にかけたという。
そこを救ったのがマリレーナ姫。
すなわちノーラ演じるヒロインである。
ノーラは舞台の中央へと走り出し、うずくまるデニスへ……というよりも客席に聞こえるように声を張り上げた。
「ああ、クーロ王子! どうか死なないで!」
「姫よ……あなただけでもお逃げを。わ、私は国のために戦った……誇らしいことです」
「いけませんわ。私を救ってくれた王子をどうか助けたい。そう、私の聖なる歌で……!」
そしてノーラは歌いだす。
聖なる歌の力で邪を祓い、王子を救ったという伝承をなぞって。
美しい声が木霊する。
生徒たちはみな彼女の歌に聴き入った。
「……というわけで、今日の練習はここまでです。明日はいよいよ本番。練習の成果を出しきり、最高の劇にしましょう」
デニスの激励に、練習に参加していた生徒たちは拍手した。
しかしただ一人……ガスパルは不安そうに声を漏らす。
「そういう殿下がいちばん心配だよ。今日だって声が震えていたし……なんて情けないのか」
「す、すみません……そうですよね」
「ま、そういうところも殿下のチャームポイントかな。ふふっ……」
デニスに嘲笑を送ったガスパルに対し、セリノが『殺しますよ?』と笑顔で脅迫している。
いまだにデニスは怯えを消せない。
その理由が、なんとなくノーラにはわかる気がした。
きっと彼は『立派な人物』を演じることに気後れしている。
普通のセリフはすらすらと吐き出せるのに、勇ましい英雄のようなセリフを吐くときにだけ震えていた。
けれど、それを指摘するのも違う。
人に言われるだけで簡単に恐怖は拭えないのだ。
「…………」
ふと、ノーラの目に一人の令嬢が映る。
遠くの校舎から、こちらをじっと見つめるエンカルナ。
彼女の視線はただ一人、デニスに向いていた。
(……大丈夫、かな)
ノーラが口を出すまでもない。
誰よりも熱心に、この演劇を見ている者がいるから。
◇◇◇◇
寮に帰宅したノーラを待っていたのはレオカディアだった。
部屋の中央に置かれているドレスラック。
そして台に鎮座するアクセサリーの数々。
「……これ、は」
「お帰りなさいませ、ノーラ様。明日はいよいよ文化祭ですね。以前に相談された、気品を出すための服飾に関しまして……準備が整いました」
そういえばそんな話もしていた。
しかし、ここまで本気で取り組まれるとは。
目の前で絢爛豪華に輝く宝飾を見てノーラは戦慄した。
「ノーラ様がドレスの類を苦手なことは存じ上げております。逆に申し上げれば、そんなノーラ様でもご満足いただけるような品を揃えました。さあ、お着替えしましょう!」
有無を言わさぬレオカディアに気圧され、されるがままになるノーラ。
次々とドレスを着せられ、採寸され、また別のドレスを着せられ……どれほどの時間が経っただろうか。
最終的にレオカディアが『これです』と決め打ちしたファッションは。
「え、えぇ……と。これが、わたしに合ってるんですかね?」
黒を基調にしたレースのドレス。
赤いアクセントの羽型コサージュ。
そしてノーラの個性とも言える眼帯は、ハート型のものに変わっている。
どう考えてもノーラが着るようなドレスではない気がした。
自分はもっとこう、目立たない落ち着いた色合いの服を着るべきだと。
「……こ、これ。ヒロインじゃなくて、敵の王女感が出てますけど」
「ノーラ様のドレスを作るにあたって、ペートルス様とデニス殿下に事前に相談していたのです」
「えっ、いつの間にデニス殿下と相談を!?」
レオカディアは困惑するノーラに対し、得意気に語る。
「実のところを申し上げますと、ノーラ様が演じるマリレーナ姫は邪教を崇拝する国の王女だったのですよ。邪悪な魔法使いのアガピトもまた、マリレーナ姫の国の貴族。アガピトはクーデターを企て、自国の王女を攫ったのです。そこを隣国から訪れていたクーロ王子に救われ、二人が結婚してグラン帝国が樹立されたのです。マリレーナ姫が邪教の国の王女だったという事実は、伝承から消されていますが……」
「そ、そうなんですか? 初めて聞きました」
「ですから、そのドレスは歴史的に正しい意匠なのです。デニス殿下やペートルス様と相談し、今回は正しい歴史に基づいた格好をしよう……という話になりました」
今のノーラに求められているのは『ノーラらしさ』ではなく『マリレーナらしさ』だ。
役に忠実な着こなしをするという意味では、このドレスは正しいのかもしれない。
「でも、アレですね。邪教の国の王女が聖なる歌を知っていたの、少し変な感じがします」
「邪教の国の王女だからこそ……ですね。自分たちの神や術に対抗する聖歌を、マリレーナ姫は脅威として把握していたのです。シュログリ教に密偵を送り込み、歌詞や旋律を盗んでいたそうですよ」
「なるほどー……まあ、わたしが劇で歌うのは適当に作られた聖歌もどきですけどね。本物の歌はもう伝承が失われているので」
改めて鏡を見てみる。
やっぱり自分には似合っている気がしないが、邪教の国の王女と考えるとアリかも。
ひとつだけ気になるのは。
「わたしの青い髪、ちょっとミスマッチかも?」
「おぉ……ノーラ様、そこまで感性を磨かれたのですね! さすがです。ドレスの種類すら知らなかった一年前が嘘のようです」
そう言いながらレオカディアは櫛やゴム、謎の瓶を取り出した。
「なんすか?」
「メッシュを入れましょう。やはり黒がお似合いかと」
「め、めっしゅ……!? そんな陽の者みたいな!?」
「いいですか、ノーラ様。明日は学園の生徒のみならず、帝国中の重鎮が劇を見に来られるのです。もはや別人のような精神を持たねば、乗り越えることはできないでしょう。逆に考えれば、これは成長するためのまたとない機会。文化祭の期間だけで構いません。あなたは別人になるのです……!」
またしてもレオカディアのポジティブマインドが発動。
ノーラは瞬く間に言いくるめられ、髪に黒メッシュを入れることになる。
かくして新たなる『呪われ姫』が誕生したのだった。