文化祭に向けて
気品が足りない。
その問題を解決するため、ノーラはペートルスを訪ねた。
気品の化身とも言える彼なら、この問題をどうにかしてくれるかもしれない。
「難しい話だね。男性の僕と女性の君とでは、また趣が異なるだろうし」
ペートルスは悩まし気に答えた。
そうしている間も、彼は紅茶を優雅に飲む。
どこを切り取っても絵になりそうで……そういう風格を欲しているのだが。
「僕は品のないノーラが好きなんだけどね」
「え、そうなんですか?」
また変わったお方だ。
今の言葉……裏を返せば、やっぱりノーラの素は品がない性格だと思われているということだが。
嬉しいような、嬉しくないような。
「まあ、僕の個人的な嗜好を話しても仕方ない。今は演劇のヒロインとして、気品を高めたいのだろうし。そうだね……まずは形から入ってみるのはどうだろう?」
ペートルスは給仕しているレオカディアに目配せした。
彼の意をすぐに察し、レオカディアは給仕の手を止める。
「レオカディア。ノーラは演劇で姫を演じるそうだ。僕の見立てだとすごく綺麗にできると思うんだけど……どうかな?」
「さすがの慧眼です、ペートルス様。ノーラ様は大変素質がおありかと」
二人が何を話しているのか理解できず狼狽する。
形から入る……と言っていたが。
レオカディアの自信に満ちた表情を見て、ノーラは恐るおそる尋ねた。
「あの……何を?」
「レオカディアの実家……エックトミス男爵家は、服飾で有名な豪商の家系なんだ。流行の最先端を捉えているエックトミス男爵家なら、きっと気品に満ちたドレスアップをしてくれるよ」
「そういえば……そんな話がありましたね。レオカディア様とそのお父上は、芸術的な文化を振興しているとか」
舞踏会でドレスを用意してくれたのも、化粧の道具を揃えてくれたのも、全部レオカディアだ。
思い返せば大半のファッションは彼女から享受していたのである。
「で、では……レオカディア様にお任せしても?」
「もちろんです。全力でノーラ様を最高のプリンセスに仕立て上げますので。期待してお待ちください」
とりあえず外面は取り繕えそうだ。
あとは細かな所作に気をつけ、地道な積み重ねを。
貴族の社交場たるニルフック学園で過ごすのだから、淑女然とした所作は練習しておいて損はないはずだ。
背筋を伸ばして紅茶に口をつける。
正しい姿勢で飲むと、味まで美味しくなる気がした。
「僕もノーラの歌を聴くのが楽しみだ。演劇、期待しているよ」
「ありがとうございます。そういえば……ペートルス様のクラスは何をするんです?」
「音のないレストランだよ」
――パチン。
ペートルスは指を鳴らした。
瞬間、世界から音が消える。
『こうやって音を消すのさ。食堂の二階を貸し切って、レストランを開くんだ』
頭の中に声が響く。
これがペートルスの特殊な力。
音を自由自在に操り、何もかも思うがまま。
副作用として聴覚が異様に過敏になっているらしいが。
再びペートルスが指を鳴らすと、世界に音が戻る。
「時間があればぜひ来てほしい。君は忙しいから来られるかわからないけど、精一杯おもてなしさせてもらうよ」
「音のないレストラン……たしかに気になりますね! 時間があれば行かせていただきます」
文化祭に向け、ニルフック学園は盛り上がりを見せている。
これからさらに忙しくなっていくだろうし、今のうちに学園を見て回るのもいいかもしれない。
◇◇◇◇
学園の西門のそばには、主に武術系の部活が集まっている。
普段はあまり訪れない場所だが、せっかくだから行ってみることにした。
文化祭では各武術系の部活・サロンの対抗試合がある。
今まで積み上げてきた研鑽を誇りに、生徒たちがぶつかり合うのだ。
西門の付近で多くの生徒たちが走り込みや模擬戦をしている。
みな対抗試合で負けないよう、必死に鍛えているようだ。
ノーラは武術系に関してはまったくの無知だが、見ている分には面白い。
「あ、ヴェルナー様だ」
中でも一線を画した雰囲気の集団がいた。
ヴェルナーが長を務める剣術サロン。
彼らは鬼気迫る形相で鍛錬を積んでいて、近寄りがたい雰囲気を醸し出している。
そんな中、ノーラは無遠慮にヴェルナーに近寄っていく。
彼もこちらに気がついて剣を振る手を止めた。
「……ノーラ。何か用か?」
「いえ、近くを通りかかったので。すごく真剣に鍛錬していますね」
剣術サロンの生徒たちは非常に集中している。
ノーラの接近にも気がつかず、ひたすらに技に磨きをかけて。
「力を試す機会は貴重だ。俺たちが他の生徒に劣らず、圧倒的な力を持つことを確認しなければならない。……剣術サロンに生半可な覚悟を持った奴はいないからな」
サロンは部活と違い、正式に学園から認可されていない集団だ。
ほとんどのサロンは部活に実力で劣ると聞くが……この剣術サロンはその限りではない。
異常なほどの力への執念と渇望。
去年も一昨年も、ヴェルナーの所属する剣術サロンが文化祭で優勝を収めてきた。
ノーラは先程から気になっていたことについて尋ねる。
生徒たちが木剣で斬りつけている人形を見ながら。
「あの……人形に張りつけてある絵、どう見ても学園長の似顔絵ですよね?」
「……気のせいだ」
「気のせいですか、そうですか」
絶対に学園長の似顔絵である。
何か恨みでもあるのだろうか。
「特に用がなければ、俺は鍛錬に戻るぞ」
「あっ、はい。お邪魔してすみません。文化祭の対抗試合、がんばってくださいね」
「ああ……俺は勝つ」
ヴェルナーにとって勝利は必然。
彼はその先にある壁を見据えていた。
◇◇◇◇
図書館はいつもより人が少ない。
どの生徒も文化祭の準備で忙しいし、試験の直前でもないし。
一応、文化祭を記念した栞を配っているのだが……興味のある生徒は少ないようで。
栞をもらいに来たノーラは虚しい気持ちになった。
一階の学術書エリアに行くと、そこには意外な姿が。
科学書の棚の前で本を漁っているフリッツだ。
「こんにちは」
「おや……ピルット嬢。何か調べものですか?」
「記念の栞をもらいにきたんです。フリッツ様は……今日もお勉強で?」
ノーラの問いに対し、フリッツは否定を返した。
「いえ。私が調べているのは……」
彼が抱えている本の題名は。
『世界魔物大全』というものだった。
「魔物です。ピルット嬢はこんな魔物を見たことがありますか?」
フリッツが見せた紙には、一匹の動物のようなものが描かれている。
容姿は形容しがたい。
獅子と、竜と、カラスと。
様々な動物の特徴を併せ持った奇妙な生物だ。
「こいつはフリッツ様が描いたんですか?」
「ええ。実は……未来予知の能力によって、この異形の怪物を見たのです。出没する時間は不明ですが、学園の敷地内に現れると」
「こ、これが出てくるんです? にわかには信じがたいですけど……」
「私も同じ気持ちです。寝起きに見た予知でしたので、寝ぼけているのではないかと自分を疑いましたよ」
フリッツの予知は外れたことがない。
そのほとんどが些末でくだらない内容だが、今回は少し異質だ。
「該当しそうな魔物を調べているのですが……見つかりませんね」
「そもそも学園は魔物が棲息する場所から遠いですし、結界を抜けて来られるとも思いません。勘違い……ならいいですけど、フリッツ様の予知は正確ですからね。一応、誰かに報告しておいた方がいいのでは?」
「……そうですね。ペートルス卿に報告しておきましょうか。いざというとき、あの方は教員よりも頼りになりますから」
全面的に同意。
下手に教員に相談するよりも、ペートルスの方がよほど適切な対応をしてくれる。
「さて。私はそろそろ文化祭の準備に戻ります。ピルット嬢もがんばってくださいね」
「はい。ありがとうございます」
なんだか心配になる情報もあるようだが。
とにかく今は目先の文化祭を成功させよう。