心配
一年生、クラスBの出し物は『未知のお化け屋敷』に決まった。
ノーラがバレンシアに提案した出し物である。
文化祭まで残り半月ほど。
クラスの面々は斬新かつ恐怖心を煽るお化けを熱心に考え、デザインや企画に取り組んでいた。
「視覚を頼りにしないで暗闇の中を進む迷路があったら面白いかもな。スライムでも壁に埋め込んでやろうぜ」
「うーん……それだと斬新さがないんじゃない? 逆に真っ白な空間の方が、未知な感じがして怖いかも」
「いま衣装をデザインしてるのが黒い怪物だから、補色関係も考えて……」
生徒たちは真剣に案を出し合っている。
ノーラは彼らの様子を眺めつつ、お化け屋敷で使う予定の魔法人形を整備していた。
「ノーラさんはどう思う? 何かいいアイデアとかない?」
そんな折、急に生徒のひとりがこちらを振り向いて尋ねた。
整備の手を止めてノーラは答える。
「ええと……ソシモ先生は鏡像の魔法を使えるよね? 先生の魔法を使って、リアルタイムで姿がお化けに変身していく演出なんてどうかな?」
「おぉ……面白いアイデアだね! ノーラさん、いいアイデア考えるじゃん!」
「問題は先生が魔力切れを起こす可能性があることだけど。ラモン様も同じ魔法を使えたはずだから、交代でやればどうにかなるかな」
「俺か? ははっ、たしかに鏡像の魔法は使えるけど……先生と共同作業かぁ。まじめにやってくれるか心配だな」
最近はノーラもクラスの生徒と遠慮せず話せるようになった。
いまだに壁を作る生徒もいるものの、大体は普通に接してくれる。
この文化祭の準備期間においても、彼女は蚊帳の外ではない。
ただし、ひとつだけ問題があって。
「ノーラ、時間よ。生徒会の人が呼んでいるわ」
「あっ……バレンシア。わかった」
整備しかけの魔法人形を置いて立ち上がる。
生徒会の演劇の練習があるため、お化け屋敷の準備にあまり協力できないのだ。
クラスの生徒たちに対して申し訳なさを感じてしまう。
どちらも大事だが、やはり力を入れるべきは文化祭の顔にもなる演劇の方だろう。
ノーラが教室の出口へ向かうと、衣装を縫っていた女子生徒が声を上げた。
「……中途半端にやられても迷惑なんだけど」
消え入るような呟きだが、ノーラは聞き逃さなかった。
今のは明らかに自分に向けて言われた言葉だ。
言ったのは平民を毛嫌いし、普段はノーラと口も利かない女生徒。
「ああ、すみません。やる気がないわけじゃないんですよ。時間があればわたしも協力したいのですが」
「ふん……運よく殿下に選ばれたからって、調子に乗ってる?」
(なんだコイツ……)
スルーすべきなのだろうが、あいにくノーラは自制が効かない性格だ。
こういう場面で言葉づかいが汚くなることは減ったが、それでも癇に障る。
「気に障るようでしたら申し訳ございません。ですが、わたしはクラスへの協力も、演劇の練習もやめるつもりはありませんので。お気になさらないでください」
「チッ……そういう態度よ。平民のくせに生意気ね」
「わたしのような卑賎な者に時間を割くくらいなら、どうぞ衣装製作を進めてください。お貴族様の大事なお時間を無駄にするのは申し訳ないですから」
ノーラの慇懃無礼な言葉に激昂したのだろうか。
手を止めて女生徒が立ち上がる。
彼女は憤りを隠せない表情でノーラに歩み寄るが……影が二人の間に割って入った。
「アイスレン伯爵令嬢。そこまでにしませんか」
「ネドログ伯爵令息。私はただ、彼女の中途半端な態度が気に入らないだけですが?」
様子を見かねたランドルフが乱入。
彼は周囲に見えないように足でノーラを小突きながら、笑顔で女生徒の前に立つ。
「高名なニルフック学園の文化祭を、俺は楽しみにしていたのです。きっと多くの生徒が協力し、すばらしい祭りにするのだろうと。母校へ帰る前に、最後の思い出にしたいですし……どうかクラスの和を乱すような真似はご遠慮ください」
「……和を乱しているのはどちらでしょうね」
ランドルフに宥められ、彼女はふてくされた。
やりとりを見て、ソシモが気だるげな足取りで歩いてくる。
「ランドルフの言う通りだな。留学生に醜態を晒して恥ずかしくないのか? ほら、さっさと作業に戻れー」
ソシモが煩わしそうに追い払うので、ノーラは慌てて教室の外に出る。
ランドルフに礼を言おうとするも、彼はどこかノーラを嘲るような笑みを浮かべた後、何も言わず踵を返した。
どういう心情なのか理解できない。
安堵と呆れが混じったため息をつく。
教室の外に出ると、生徒会書記のセリノが立っていた。
「お邪魔してしまいましたかね?」
「いえ、大丈夫です。クラスの出し物も大事ですが、学園にとっては演劇の方が大事ですから」
「おお、よくおわかりですね。特に今年は殿下が出られますからね。絶対に成功させるべきなのです」
相変わらずのデニス信者だ。
セリノは皇帝派の中でも第二王子派の忠臣。
常にデニスに付き従い、デニスを第一に考えている。
廊下を歩きながら、ノーラとセリノは演劇について話し合う。
「そういえば……ヒロインの設定を変更するという話がありましたが、どうなったんですか?」
「ああ、そちらに関しては殿下からご説明があります。殿下が直々に書き直された設定ですから、とても魅力的で奥深い設定になっていましたよ。初代皇帝の妃は持病を患っていましたから、それになぞらえた設定になったようです。それと……今までは隠蔽されてきた歴史も詳らかにする予定だとか」
配役はノーラがヒロインの姫、デニスが主人公の初代皇帝。
グラン帝国建国にまつわる話で、ニルフック学園創立からずっと演じられている伝統の演劇らしい。
練習を始めてから数日。
いまだにノーラは自分が適任なのか、釈然としないところもある。
傍目から見て自分がどう映っているのかなど、知りようがないのだから。
「あの……セリノ様。わたしってヒロインの役をしっかりと演じられていますか?」
「どうでしょう。殿下に釣り合う方かと言われれば、なかなか首肯しかねますが。まあ演劇のヒロインとして見る分には、それなりの風格はあるでしょう。歌ならばノーラ殿、演技ならばエンカルナ殿に軍配が上がると言ったところで」
「なるほど。やはり演技に関しては、まだまだ磨きをかけないとですね」
「前向きで結構です。しかし……私が個人的に心配しているのはノーラ殿ではなく……」
そこでセリノは口を閉ざした。
心配しているのは……なんなのだろうか?
言いきらなかったということは、言いたくないことなのだろうが。
とにかくノーラにできることは、ひたすら演技力に磨きをかけて劇を仕上げること。
代役としてこれ以上ないほどの成果を上げなければ。