洗礼
演劇の練習は庭園で行われている。
香りよく美しい花々が咲き誇る、学園の名所。
文化祭の準備期間中は生徒会が貸し切り、関係者以外立ち入れないようになっていた。
「こちらがエンカルナさんの代役をしてくれることになった、ノーラ・ピルットさんです」
デニスがノーラを演劇の関係者たちに紹介する。
彼らは訝し気な視線でノーラを見つめていた。
「ノーラと申します! よ、よろしくお願いします……!」
頭を下げると、まばらな拍手が起こった。
歓迎はされていない気がする。
もちろんデニス推薦の手前、誰も文句は言わないが。
そのとき、一人の男が前に進み出た。
黒いフードを着て、白い口髭をつけている……おそらく学園の生徒だ。
被った白髪の下からは、薄く青い髪が顔を覗かせている。
演劇の役で老人の変装をしているのだろう。
「ふふっ……こんにちは、お嬢さん。僕は魔法使い役、ガスパル・カーマ・テミッシュ。あぁ……一応、生徒会の経理でもあるよ。どうぞよろしく」
「よろしくお願いします、ガスパル様」
差し伸べられた手を取り、ガスパルと握手する。
そして手を離そうと思ったのだが……離してくれない。
ガスパルはゆっくりと手を持ち上げ、ノーラの指先をまじまじと眺めた。
「うぅん……キュートな指だ。荒れていないし、酷使した跡もないね。平民出身だって聞いていたけれど……ふふっ」
「あ、あの。離してもらっていいですか」
「おや失敬。華奢な手に思わず見とれてしまったよ……」
ウザい。
あまりにも気障すぎる。
ペートルスとはまた違ったタイプの貴公子的な。
「え、えっと……ガスパル。ノーラさんが困っていますよ」
「失礼、殿下。何はともあれ……エンカルナの代役が決まって良かった。まずはあいさつも兼ねて、出演者たちの自己紹介を行いたいところですが……ふふっ」
ガスパルは不敵に笑い、黒いマントをばさりと翻した。
彼はノーラとデニスから離れたかと思うと、他の出演者たちの前に立って両手を広げる。
「まずは"実力"を見せていただこうか、ノーラ嬢?」
「はい? なんすか?」
「殿下は歌が上手いことを理由に、貴女を推薦された。だが……僕をはじめ、キャストの皆は貴女の歌唱力を知らないのさ。んっ、金糸雀のような歌声を! 僕たちにッ! 聴かせておくれ!」
ガスパルの叫びに対して、出演者たちから歓声が上がった。
なるほど……いきなり人前で歌わされるとは。
彼らの立場からしてみれば、得体の知れない平民が割り込んできたのだ。
当たり前の反応だろう。
「えっと……ノーラさん、大丈夫ですか? 突然の要求ですし、無理をしなくても……」
「いえ、大丈夫です。お気遣いいただきありがとうございます、殿下」
最終的には大舞台に立たなければならないのだ。
こんなところで尻込みするわけにはいかない。
決意を固めてノーラは進み出た。
◇◇◇◇
「んぅ~……エクセレンッ!! 貴女の歌声はまるで秘密の扉を開ける呪文のようだよ。その魅力に引き寄せられて、僕はヘヴンに連れ去られそうになるんだ! 甘美なるブルーノート、ダイヤモンドのスタッカート!」
ひと通り歌を披露し終えたノーラを、ガスパルがハイテンションで喝采していた。
何を言っているのか理解できないが……どうやら合格できたらしい。
他の出演者たちの反応を見ても、最初に向けられていた疑念は晴れている。
恥ずかしそうに笑うノーラの傍らで、デニスが安堵するように胸を撫でおろした。
「よかった……皆さんには納得していただけたようですね」
「でも、問題なのは演技力ですよ。わたし、ヒロインにあるべき清楚さが欠けまくっているので……」
「まあ、演技で言えば全員素人のようなものですし。そこまで気張る必要はありませんよ」
デニスはそう言ってくれるが……社交界で戦う貴族たちは、多少なりとも演技をすることに慣れている。
ノーラも学園に入学してから、最低限の振る舞いはできるようになったが。
まだまだ無礼な態度は出てしまうし、ヒロインの格には程遠い。
舞い上がって小躍りしていたガスパル。
彼は急にすんと静まってノーラの顔を覗き込んだ。
「ときにノーラ嬢。先程から気になっていたのだが……その眼帯は? ケガでもしているのかい?」
「あっ……これはですね。あの、力が封印されていると言いますか。この眼帯を外すと恐ろしいことが起こってしまうのです……」
「力が封印されし魔眼……!? なんてユニークな魅力を持っているんだい? さすがはクラスNの生徒だね……!」
「でも、演劇をするにあたって眼帯をつけてるのは不自然ですよね?」
言われて初めて気がついた。
この眼帯をどうしようか。
ヒロインの姫が眼帯をしていたら、違和感が半端ないことになってしまう。
「んぅ……たしかに。その眼帯を外すことはできないのかい?」
「はい、できないんです。やはりわたしは適任ではないのでは?」
「――いえ、逆に面白いかもしれません」
デニスはノーラの右目を見て考え込んだ。
「ニルフック学園の文化祭は、斬新なものを評価する風潮があります。生徒会の演劇だけは伝統を重んじていますが……少しだけアレンジを加えてみて。右目に特殊な力がある設定にするのも一興では?」
「おぉ……さすが殿下! 帝国の歴史に根差す演劇の設定を変えてしまうのは、何かと反対もあるでしょう。しかし、そこを乗り越えてこその文化祭。ふふ……面白いことになってきた」
生徒会の演劇は、国の成り立ちの伝承に基づく内容だ。
易々と設定を変えてしまうと、国の祖先に敬意を払っていない……と思われてしまうかもしれないが。
意外と出演者たちは設定の変更に乗り気なようだった。
毎年のように内容が同じなので、正直飽きがきている側面もあるのだ。
「設定の改編については私が考えます。皇子である私が変えた方が、角も立たないでしょうし……」
「殿下にならば安心してお任せできますね。素敵なストーリーを期待していますよ。……さて、それでは練習を始めようかッ!」
かくして演劇の練習は始まった。