必然性――ヒロイン
デニスに連れられ、ノーラは生徒会室を訪れた。
話があると――そう言われて、生徒たちから好奇と恨みの視線を向けられながら。
「お茶です」
「あ、どうも……」
体格の良い糸目の男子生徒がノーラにお茶を出す。
彼はアイボリーの髪を揺らして、ノーラの顔を覗き込む。
それから優雅に一礼して名乗りを上げた。
「申し遅れました。生徒会の書記を務めております、セリノ・ウラムナムと申します。以後お見知りおきを」
「ノーラ・ピルットです……」
ノーラとデニスが向かい合う形で座り、セリノがその背後に控える。
いったいなぜ自分が生徒会室に。
戦々恐々とするノーラに、デニスはゆっくりと語りかける。
「ご足労いただき感謝します。お城でお会いしたとき以来でしょうか」
「そうですね……お久しぶりです」
夏休み中、デニスと一度だけ会った。
ノーラが浮かれてラップを歌っている最中に、デニスに話しかけられてしまったのだ。
今思い返してもアレは最悪な出会いだった。
「……」
「……」
さて、話を待っているのだが。
デニスは話題をなかなか切り出さない。
気まずい沈黙が続く。
「あの……殿下? お話とは?」
「あ、あぁ……そうですね。すみません……」
よそよそしい態度に、ノーラはどこか既視感を覚えた。
なんか見覚えがあるなぁ……と。
そんなノーラの思案を断ち切り、デニスは尋ねる。
「文化祭の準備は……順調に進んでいるでしょうか?」
「あ、はい。わたしのクラスはお化け屋敷をすることになりまして。今はみんなで案を出し合っているところです」
「なるほど。面白そうなテーマですね。と、ところで……生徒会にも出し物があるのをご存知でしょうか?」
「存じ上げませんね。どういう出し物をするのですか?」
「…………」
またもやデニスは黙りこくった。
純粋にノーラは質問しただけなのだが、何かマズいことを言ってしまっただろうか。
そのとき、背後で様子を見守っていた書記のセリノが沈黙を破る。
「生徒会の出し物は『演劇』。ニルフック学園には伝統がありまして……代々の生徒会は同じテーマの演劇を文化祭で披露してきたのです。しかも今年は殿下が主役を務められますから……それはもう素晴らしく、誰もが感涙し、歴史に名を残す傑作となるでしょう。我ら生徒会はなんとしても今年の演劇を成功させ、殿下の華々しき学園生活を……」
「セ、セリノ……その辺でいいから。……ええと、すみません。今セリノが言ってくれたように、生徒会は演劇をすることになっているのです。しかし、問題がひとつ発生してしまいまして……」
問題と聞くと嫌な予感しかしない。
デニスの気まずそうな視線を見ても、その予感は的中しそうだ。
「……ヒロイン役の副会長が病気で倒れてしまったのです。そこでヒロインの代役を探しており、ノーラさんにお願いをしようかと」
「へ……? な、なんでわたしなんですか? 他の高貴な方々にお願いすれば……いいんじゃないですかね
」
「ヒロイン役は歌を披露するんです。ですので……上手な歌を歌っていたあなたが適任かと、思いまして……すみません」
デニスの声量は尻すぼみになっていく。
最後の方は消え入りそうな声で。
絶対無理だ――とノーラは思う。
生徒会に混じって演劇をするなど、恐れ多いにもほどがある。
クラスNに入っている時点で嫉妬の嵐が浴びせられているのに、演劇のヒロイン役までやったらタダではすまない。
「わたし以外にも歌が上手な方はたくさんいます。誉れある生徒会の舞台に、わたしなんかが出るわけにはいきませんよ……自分のクラスの出し物もありますし」
「そ、そうですよね……すみません、無茶な話をしてしまって。では、この話はなかったことに……」
瞬間。
ノーラの首筋に冷たい何かが触れた。
恐るおそる振り返ると……そこには短剣をこちらへ突きつけた、笑顔のセリノが立っていた。
「殿下のご下命です。まさか断るわけ……ないですよね?」
ぐい、と刃の平らな側部が首に押し当てられる。
笑顔のままセリノは首を傾げ、言うことを聞けと脅迫した。
それを見たデニスは慌てて立ち上がる。
「ちょ、ちょっとセリノ! ダメだって!」
「いえ、殿下。反抗的な者には力で理解させなければ」
なるほど。
これは……弱気な主を、強気な臣下が引っ張っている感じの関係性。
ただし臣下が暴走すればヤバいことになる可能性も。
関係を察したノーラは首に当てられた刃物を指先で掴む。
「まあまあ、お座りください殿下。セリノ様……そういう暴力的な行為は、デニス殿下の名誉を著しく落とすことになりますよ。自重しましょう」
「……! たしかにおっしゃる通りです。殿下の名誉を傷つけることなど、あってはならない……! 失礼しました」
セリノはすぐさま矛を収めた。
やっぱりこの書記、忠義に厚すぎて冷静な判断ができないタイプだ。
要するに成績が良い馬鹿である。
「それで、殿下……わたしがヒロインでなければならない理由は、特にないんですよね?」
「そう、ですね。とにかく歌が上手ければと」
やはり断るべきだ。
平民をヒロインに登用したとあっては、デニスの誇りすら汚すことになってしまう。
そう思い、ノーラは改めて誘いを断ろうとした。
しかし、セリノが彼女を引き留めるように言う。
「殿下はノーラ殿の歌声を認めておられるのです。ヒロインの代役候補を生徒会で考えたとき、殿下は真っ先に貴殿の名を挙げられ、今までに聴いたことがないほど綺麗な歌声であったと。そうおっしゃられていました」
「え……そ、そうなんですか?」
「ええと……城でノーラさんの歌を聴いて、不思議な魅力を感じたのです。吸い寄せられるような、聴き入ってしまうような。力強くて儚くて、何色にもなれそうな……そんな音色でした」
「……ラップで? あの変なラップでそう感じたんですか?」
「はい、ラップで。他のジャンルの歌もぜひ聴かせていただきたいのです」
ノーラは頬をほころばせた。
見られることで恐れられる自分が、せめて声だけは美しくあろうとして磨いたもの。
それが歌声だった。
褒められて悪い気はしない。
それでも……自分の技量がどの程度のものなのか、理解できていないのだ。
ペートルスやレオカディアに歌声を褒めてもらったことはある。
だが、文化祭の大舞台に立てるほどではないだろう。
「少し考える時間をいただいても?」
「……! もちろんです。まだ文化祭までは時間がありますから、じっくりと考えてから返事をお聞かせください」
慎重に検討するべき事案だ。
自分ひとりでは判断がつかない。
ここは友人たちを頼ることにしよう。