墜落、いつかの願いの狭間へと
「あれ、オレ……ここは」
ぼんやりだった意識が、ゆっくり戻ってくる。
見渡すと、さっきまで居たリビングだった。
泣き疲れたオレは、ちゃぶ台の上まで運ばれたみたい。
足元にはふかふかのタオルが敷かれ、お風呂で濡れた身体は乾いている。
「喉乾いた……」
水の入っていた皿を覗くが、残りは僅かだった。
すると手が伸びて、皿が下げられていく。
「ザラメのヤツ、水ぐらい補充してやれよな」
見上げると、野蛮人間こと郡が皿を手にぼやいていた。羽毛を逆立てるオレを気にも留めず、台所へと足を運ぶ。
蛇口から水を汲み、オレのいるちゃぶ台まで持ってきてくれたんだ。
思ったより野蛮なヤツじゃないのかも?
水を飲むオレに、今度は紙袋を持ってくる郡。
「これ、デウスからの差し入れだ。起きたらあげてやってくれって」
現れたのは、“プレミアム”の文字と、艷やかな煮干しがプリントされた袋。これはひょっとしなくても……
「高級煮干しだ!!」
流石デウス様だぞ!
目を輝かせるオレに対して、郡は淡々と続けた。
「餞別だと。お前、ツカイマじゃなくなったんだってな」
「……あぁ…………うん」
漏れ出たのは、力無いか細い声だった。
……やっぱりあの“再起”によって、ツカイマのオレは死んだんだ。
止まり木を無くして、宙ぶらりんな心地。
……オレはこれからどうすれば良いんだろう。
そんな感情が漠然と、だけど確かに頭の中を責め立てた。
「まっ、貰えるもんは貰っとけ」
そう言って別の皿に煮干しを装う。
軽いトーンだったのは、オレを気遣ってくれたからか。それとも、ツカイマの事情に興味が無いだけかな。
用事が済んだのか、郡は自室に引っ込んでしまった。
――――
「午後からは大気が不安定になる見込みですね。風も強くなる恐れがあります」
「洗濯物は部屋干しを〜」
テレビは点けっぱなしなのに、すごく静か。
視線を下ろすと、テレビの前でザラメが横になっているのに気づいた。開いた窓からそよぐ風が、おろした髪を微かに揺らす。
部屋着だろうか。黒いTシャツを着たザラメは、座布団を枕にして寝息を立てている。
「行こう」
ザラメを一度だけ見やり、翼をはためかせて飛び立った。
これ以上、忘れたくなんてない。
思い出さなきゃ。オレが守りたいと、報いたいと誓った――あの子のことを。
――――
見渡す限り、昼下がりの空には雲が横たわっていた。灰色の……煙を固めたみたいな色だ。
冷たい風を、翼で切っては進んでいく。
見下ろす先には、人間の暮らしが広がっている。
高い建物に低い建物。黒や焦げ茶、赤茶色の屋根が身を寄せるように並んでいて、パネルが付いているのもあった。
家々の隙間を縫うように敷かれた道には人間が点々としていて、大きな道路には車が列を成す。
「どこだ? お屋敷は」
朧げで頼りない記憶を頼りに、彼女のお屋敷を目指す。
確か縁側に……大きなカエデの木があったはず。
そうこうするうちに、オレが襲った学校が見えてきた。
2つの校舎にグラウンドを柵に囲った、この辺りだと規模の大きい場所。
紅葉した木々が彩っているが、夢で見たカエデは無い。
「時代が違うし、ひょっとしてまだお屋敷自体が無いのか?」
だったらオレは、どこに行けば良い。
学校を通り過ぎ、川を渡り。オレは行き場のない衝動だけで、町の端の山へと向かっていた。
――ポツ。
雫が頭に落ちてきた。
続いて、2つ3つ。翼に弾く大粒のそれらは、灰色の雲から降ってきたもの。
数分もしないうちに、雨は激しくなっていく。
呼応するように、風も吹き荒む。
「不味いな」
翼が濡れたら、飛べなくなる。
ひとまず、麓の木の下で雨宿りだ。
高度を落とす身体に、風と雨が打ちつけた。
「前がっ……見えない」
視界を遮る雨水に目を細くし……それが仇になった。
「い゙っ……!」
飛んできた木の枝が頭にぶつかり、体勢が崩れ。
突風に流されて、オレは墜落した――。
――――
――さん! ――ルさん!!
名前をつけて欲しかった。
名前を呼ばれてみたかった。
――目――開――てく――い!
人間に振り回されて、利用されて。苦しそうに笑うお前が、報われてほしかった。
お前の痛みが、辛さが。無駄になんてなってほしくなかった。
空なんて飛べなくていい。
どこにも行けなくていい。
お前の傍に居たかったんだ。
――っかり、――ケルさん!!
頭を打って、思考が混乱しているのかな。
頭の中は真っ白なのに、感情が攻めぎあって……自分でも分かんないや。
“再起”されたんだ。もうツカイマでも無いし……デウス様にも、傷を癒してもらえない。
このまま……また死んじゃうのかな。
――死なせません!
遠くから声がして――次の瞬間、あたたかな“熱”が流れ込んできた。
揺り籠であやされるような心地良さに、酔いしれてしまいそうだ。
瞼の裏に、緑色の“脈”が刻まれる。
それはまるで、命を吹き込む葉脈のような。あるいは、心に焼きつける火花のような。
力が湧き出るような感覚。
願いが、祈りが。蘇ってくる。
あの子の輪郭が。還ってくる。
「あか……ね」
知っている。
このぬくもりの在り処を。
聞こえる。
あの子じゃないのに、懐かしい声が。
――あぁ、なんだ。
「ニケルさん!!」
夕焼けの茜が、瞼を緩める。
――――ずっと、呼んでくれていたんだ。




