極楽、ザラメとのバスタイム
お風呂場の扉が開かれると、むわっとした湿気がオレを出迎えた。そして広がる白ばかりの内装は、他の部屋とは随分雰囲気が違っていて、別世界に来たような感覚になる。
凹凸模様の床には、4本ものボトルと黄色い容器が置いてあった。確か洗面器って言ったか。
隣には、大人が膝を曲げれば入るほどの大きさの湯船が設えている。その7割程の高さまで水が張っていて、湯気が立ち昇っていた。
扉は閉められてしまって、逃げられない。
「ニケルさん、すぐに準備しますからねっ」
そういう訳だから、オレは大人しくザラメの動きを見張ることにした。
壁に付いている蛇口を湯船からオレたちのいる側へと動かし、その直下に洗面器を置く。赤い線の入ったハンドルを回すと、水が出てきて器に溜まっていった。これまた湯気が昇っているんだから、熱いに決まっている。
3分の1ぐらいにまで溜まったところで、ザラメが取り出したのは温度計。付着したものの温度が画面に表示されるみたいだ。
「ザラメは温度が分からないので、郡さんがくれたんです。水の温度も測れちゃう代物なんですよ」
「分かんないのか? 温度」
「はい。ザラメは死んでいるので」
言いながら先端を水に浸ける。
炎を出せるんだし、普通の人間じゃないのは分かっていた。でも、死んでいたとはな……。
「……悲しくないのか? その、死んじゃってさ」
「悲しく無いですよっ。毎日楽しいですし! それに」
ピピッという音とともに、答えが遮られてしまった。続きが聞きたい。
一方ザラメは特に気にせず、数字とにらめっこしていた。なんとも健気だ。
今度は青い線のハンドルを回し、少しずつ水かさを増やしていく。
「ザラメ、生きていた時のことを覚えていないんですよね。だから分からないんです。ザラメが悲しかったのか」
続きを言いながら、困ったようにザラメは笑う。
洗面器の半分まで水を入れ終わると、再び温度計を浸けた。
「よしっ、適温ですね」
満足げなザラメの横で。
水面を見下ろすと、鳥になった自分が見えた。
翼は左右の両方にあって……
「あの時の怪我、やっぱり無いんだ……」
消えてしまったあの頃の形跡に、今も尚消えゆく記憶に、胸が張り裂けそう。
今はまだ、ぼんやり覚えていることもあるけど、近いうちに全部忘れるんだ。
険しい顔をしたオレが、容器の水面から睨みつけてくる。オレはオレがキライだ。
「さぁて!!」
そんなオレの気持ちをかき消すみたいに、ザラメの朗らかな声が響いた。
「身体を洗ってリフレッシュしちゃいましょう!」
「ピャッ」
えっちょっと待って、心の準備が!
油断した隙をつくなんて、恐ろしいヤツだぞ!
抗うより先に、オレの身体が手で包まれる。
なんかぬるっとしてるし、泡に塗れてきたんだけど?!
「やめっ」
洗面器の水が近づいてくる。
足先を引っ込めても、運命は変わらない。
やっぱり嫌だ! 誰か助けて!!
「綺麗にしましょうね〜」
「お前なんか大っキライだ!!」
――――
「極楽だぞ……」
洗面器という小さな湯船で、オレは呟いていた。
身体を洗われ、その後入れ替えた湯にどっぷり浸かっているんだ。
オレを洗った時のあの手さばき、ちょっとだけ擽ったかったけど、心地よくて……胸がほわほわとしている。
「ふぃ〜」
羽を洗面器の縁に掛けてもたれかかる。
身体がほぐれるような感覚だ。
「気持ちよさそうです!」
ザラメが笑顔で見下ろしている。
だけどすぐに立ち上がって、
「そうだ!! ニケルさん、ちょっと待っててくださいねっ」
いそいそとお風呂場を後にしてしまった。
扉を閉めた向こう側で、何やら人影がごそごそと蠢いているけど……
まぁいいや。
ここからは、悠々自適なお風呂タイムだ。
小さな湯船で、足先を水の中で上下に動かして。
毛繕いをして。
鼻歌なんかも歌って。
1人の時間を満喫していた最中だった。
さっきまで忙しなかった扉の向こう側が、やっと静まったかと思えば。
「ザラメもお風呂に入りたくなってきました!!」
「ビャアアアアアアアアアアア?!?!?!」
お風呂場に乗り込んできたザラメは、タオルで身体を巻いただけの大体肌状態だった!




