翻弄、人外たちのコロシアム
屋上の扉を開け、決闘の場所にやってきた俺たちを、律儀にもニケルは待ち構えていた。
「来たな」
腕を組んで、仁王立ち。
翼のマントが、戯れるかの如く風に靡いた。
我が物顔で、薫香が漂う。空気が希釈するのにも関わらず、甘ったるい匂いが鼻腔を侵す。現状身体は何ともないが、毒素であることに違いはない。長居はできないだろう。
「……そっちは1人足りないけど?」
人差し指で俺たちを順番に指しながら、ニケルが怪訝な顔で問いかけた。
そう。今ここにいるのは、俺とザラメ、コスズに佐藤にミドウの5人。デウスがいないが、これも作戦のうちだ。
その作戦っつ―のは。まず屋上で、ニケルと相対する俺たちが陽動を行う。そしてタイミングを計り、デウスがニケルの“再起”を仕掛ける……といったもの。
彼そのものを“再起”することで、リィンシーとやらの影響をかき消すことができるのだとか。
――あんなにも強力な“奇跡”……もつのだろうか……。
と、デウスが物憂げな顔をしていたのが気になるものの、最善の手であるならやらなきゃ損だ。
っつー経緯で、デウスとは別行動。あいつは今、扉の裏で“再起”の準備をしている。
「デウス・エクス・マキナはどこだ?」
ニケルに聞かれても、断じて答えるわけにはいかねぇ。
策を勘付かれないよう、言い逃れるのだ。
「さぁな。お前が別の神に浮気したから、家で泣いてんだろ」
「マ、マジか」
良い感じだ。ニケルも話に食いついている。
「マジマジ……大マジ……」
「ずぅっと泣いてるヨ。ねっ、せんせー?」
「ああ。髪が乱れたまま、枕を濡らしていたねぇ」
「そうだったのか……悪いことしちゃったかな」
上手く信じてくれている。
このまま逃げ切れれば……。
「皆さんの言う通りです! デウスさんは、決して裏から奇襲しようだなんて考えてないですよ!!」
「ザラメお前えええええええ!!」
こいつやりやがった! 言いやがったよ!!
大戦犯ザラメの両頬を、これでもかと引っ張ってやる。
「正直バカの減らず口はこれかぁ!!」
「やえへふらはい〜! (やめてください〜!)」
このクソキョンシーめ、バレちゃあ奇襲にならねぇじゃねぇか!
ニケルもこっちの手の内が分かった以上、ただで返してくれないだろうな。
なんなら、自分を欺いた報復として、毒素を倍にして攻めてくるかもしれねぇ。
そんな懸念を抱いていたが――。
「泣いてなかったのか? デウス様。お見舞いとかいらないのか?」
あたふたした様子で尋ねるニケルに、俺は悟る。
…………こいつ、復讐とか向いてねぇだろ。
――――
引き続き、屋上にて。
気を取り直す意味も込め、わざとらしく咳払いをするニケル。危うく騙されそうになったことがまだ恥ずかしいのか、耳の先がまだ赤い。
……さっきよりも匂いがマシになったような気がするが、俺の鼻が慣れちまっただけだろうか。
「さっきのはノーカウントだからな」
とか何とか言ってる。
「分かったから、早く進めてヨ」
ミドウが冷ややかなのは、ニケルのペースに飽きてきたからだろうな。
が、ニケルは気にも留めていない。
マントで体を包んだかと思えば、大きく広げて靡かせて。強く、高らかに叫んでみせた。
「我の願い、果たさせてもらうぞ!!」
鼓膜を震わせるのは得意げで仰々しい声。
しかし気のせいかだろうか。強張っているようにも聞こえたのだ。
何か覚悟を胸の内に秘めている……うっすらとそんな気がした。
「いざ!」
次の瞬間、コンクリートの床を蹴る音。
と、同時にニケルが風を切って突っ込んできた。
狙いは、俺たちを散らすこと。
「2人は……下がって」
コスズが前に出て、俺と佐藤に退避を促す。
戦力外通知だ。事実だし、退くしかないが……。
俺たちが距離を取り、扉の傍まで後退する間にも、ニケルの猛攻は続く。フェンスに足を掛け、バネみたいに跳び回っているのだ。
戦力外な人間陣は、コスズの防壁――氷柱を連ねたものに前方を守られているが、他のヤツらには適応されない。
ザラメやミドウはニケルの攻撃に翻弄されていた。
足蹴りを躱しながら、ザラメは問う。
「“願い”って……復讐、ですか」
「ああ。宿願、神様への祈り……オレがツカイマとして存在する理由っ、だ!」
「わわっ……!」
回し蹴りが、ザラメのみぞおちを掠めた。
「郡さん! ニケルさん強いです!!」
「よそ見するな、ザラメ!」
ザラメが興奮気味で告げる間に、フェンスの上に降り立つツカイマ。その姿は、風見鶏のようで……などと例えている場合ではない。
「アシッドハリケーン!!」
ニケルがマントを翻すと、空を切る風の音。吹き荒れ、渦を描き、屋上の中心を竜巻が占拠した。
氷柱同士の間を縫って襲い来る、ニケルの一撃。
ある程度離れていても、暴風が身体を打ちつけて痛い。
近くで戦うあいつらには、俺が感じる以上の脅威になっているはずだ。
「うっ、飛んじゃいそうです……!」
踏ん張るザラメだが、時折かかとが浮いている。
するとコスズ、
「竜巻……コワス」
氷柱を竜巻のど真ん中から突き上げた。
風の塊が掻き消される様に、戦意が一層昂ったらしい。ニケルは口の端を持ち上げた。
「やるじゃん」
怪しく笑い、怪鳥は腕を前に出す。親指を立て、人差し指を伸ばし、後の指を折り曲げたら、ピストルのできあがりだ。
「何する気だ、あいつ」
場外で呟く俺に、ニケルはすぐに答えを示した。
「ヴェノムショット!!」
刹那、2人目掛けて迫るは紫色の弾。
間一髪で避けたザラメが目を剥いた。
「と、溶けてますっ……!」
着弾地点……コンクリートの床が、煙をあげている。目を凝らしてみると、ジュクジュクと膿のようになって溶け出している。
「お手製の劇物だからな、そんじょそこらの毒とは比べ物にならないぞ」
2発目を撃たんと構えるニケルに、包帯が絡みついた。
「お仕置きだヨ!」
仕掛けたのはミドウだ。
ニケルの両腕を包帯で捕らえ、そのままフェンスにぶん投げる。
だがニケルが一枚上手。フェンスに足を屈めて、そのまま綺麗に着地しやがった。
「埒が明かねぇ」
一見すると互角だが、ニケルの方が優勢だ。屋上のフェンスやら風通しやらを上手く活用し、多勢であるザラメたちを確実に追い詰めていた。
なんつーか、見ていてもどかしい。
逆転の一手がほしいところだ。
「ちょっと郡」
歯噛みする俺に、佐藤が耳打ちしてきた。指を手前奥に動かして、来いって促してくる。
「なんだよお前、こんな時に」
「良いから」
佐藤に先導され、ニケルにバレぬよう音を潜めて後に続く。
「これって……」
そこは屋上の隅。
俺たちが出てきた扉……上にタンクを設えた建物の角を曲がった突き当たりで。
積み上がったそれらを見据え、一人頷く。
「使えるかもしれねぇな」
異変の始まりから今までを振り返り。
躊躇うこと無く、それに手を伸ばした。
一か八か、賭けに出てやる。決意とともに、ニケルの前に姿を現した。
「なんだ人間、何をコソコソ……」
「これが目に入らねぇか?」
俺が突き出した分厚い冊子に、ニケルが目を丸くする。冷汗を噴き出し、顔が引き攣り、伸ばした手はわなわなと震えていた。
「おま、それ……やめろっ!」
聞く耳持たず、カバーをガバッとご開帳。そこに書かれたタイトルを、これっぽっちの悪意もなくザラメが読み上げてくれた。
「『読めばキミも漆黒の伝道師! クールな言葉辞典Ⅱ』?」
「人間なんてキライだああああああ!!」




