6 『三日月隊』
月夜ノ隊に帰還するなり、クレセは三日月隊の控え室から医務室へ向かった。
【お名前と所属の隊をどうぞ】
医務室のオートロックを任されたシステム音声だ。月夜ノ隊の建物内はどこもシステムによって監視されていて、システムの許可なしでは室内に入ることができない。
「瑞浪クレセ。三日月隊の隊長よ」
投げやりに答えると、頭上から爪先まで満遍なく赤外線がスキャンされていく。
やがてピコンと異常なしを証明する音が鳴った。
【瑞浪クレセ。確認しました】
ウィーンと駆動音を立てながら扉が自動で開く。
悠然と室内へ足を踏み入れると、ベッドに横たわった悠一の姿と、瞳を閉じたまま金色の髪を上下させる少女――東山真白の姿が目に映った。平和な光景に、クレセは安堵の息を漏らす。
「真白。起きなさい」
「んーあと十分だけ」
寝起き前の決まり文句を言って、真白が口をむにゃむにゃと動かす。
「駄目よ。十秒以内に起きないと悪戯しちゃうから」
「あと五分。五分だけでいいから」
律儀に指を折りながら十数えても、真白の瞳が開くことはなかった。
「はい、タイムアップ。悪い子にはお仕置きをしなきゃね」
すぽっと真白の脇に手を入れる。なるべく虚無時間が生まれないように、左右の指先をリズミカルに動かす。
「んんっ! はあぁ~……んっ!」
「ふふ。変な声出しちゃってほんと可愛いんだから。ほらほら、早く起きないと興奮した雄どもがやってくるわよ」
もっとも防音だから、真白の喘ぎをクレセ以外が聞くことはできないのだけれど。
「や、やめっ……んっ! んん~っ!」
「ここまでしても起きないなんて。……もう少しアップテンポにしても大丈夫かしら」
「あひゃやめっ……! これ以上はもうっ!」
「女同士でなにしてんねん」
侮蔑の入り混じった関西弁の低い声が聞こえて、クレセは平静を取り戻した。
振り返ると、隊員の一人――黒川咲夜が部屋の隅に立ち尽くしていた。顔をぴくぴくと引き攣らせている。
「……咲夜」
「なんや」
「今、見たことは忘れなさい。もし口外したら、あんたの故郷の大阪を爆破するから」
「お前が慈善活動に勤しんでるのが不思議で仕方ないわ……」
咲夜が沈痛な面持ちで呟くと、あどけない寝顔を披露していたお姫様の目がすーと開いた。ぱちぱちと何度か空色の瞳を瞬かせた後に、「あっ!」と声を上げて立ち上がる。
「瑞浪さんに黒川くん。お帰りなさいっ」
邪気など少しも感じない純粋な笑顔が振り撒かれる。この笑顔の眩しさを前に、蟠りなどなんの効力も持たない。牽制し合っていたのが嘘かのように、二人揃って破顔する。
「ただいま真白」
「おう」
咲夜の返事が素っ気ないのはいつものことだ。きっと照れているのだろう。真白が可愛いから仕方ない。
「すいません。お二人の方がお疲れだろうに、戦場に顔すら出していない私なんかが居眠りしてしまって……」
眉をへの字にして真白が謝ってくる。
「いいわよ。夜も遅いし仕方ないわ」
咲夜なら処刑案件だが、真白なら全然許せてしまう。可愛いは正義だ。
「せやせや。儂も高鷲くん運んだ後、眠くてなんもできへんかったわ」
肩を回しながら、咲夜が飄々とほざく。
「真白。そいつを羽交い締めにしなさい。脳天、二、三回ブチ抜くから」
「えらい変貌ぶりやな⁉」
仕方ないだろう。どれだけ足掻こうが、咲夜は所詮、咲夜。可愛くないのだから。
「ところで真白。高鷲くんの容態はどう?」
すやすやと寝息を立てていて一見問題なさそうだが、念のため確認しておく。情報把握は隊長として当然の務めだ。
「『怨傷』はひどいですけど、命に別状はありませんよ。怪我は完全に完治しています」
怨傷――幻影種に傷つけられた際に感染してしまう負のオーラのことだ。
感染といっても、後遺症が出たり、特殊な病が発症したりするというわけではなく、数日の間、幻影種と不幸を引きつけやすい特殊体質になるだけだ。
それ故に「怨傷を負った人物の保護」という項目が、月夜ノ隊の義務の一つとして存在する。そんな危険状態にある人物を、野放しにするわけにはいかないからだ。
「さすが真白やな。腕とか足とか斬られても、真白がいれば安心やわ」
「まあそうですけど……断面図とかはできれば見たくないです」
真白はIODの助力によって、万物を『遡行』させる能力を発現させることができる。
曰く、半日までなら命が途絶えていない限りどんな怪我を負っていようが、完全に治癒することができるそうだ。
武器が出現しないというのは非常に稀なケースだが、心の優しい真白には適した能力だと思う。それに、バックに真白がいるからクレセは傷を負うことを恐れずに幻影種と戦うことができる。真白の能力は結果として、一石二鳥の恩恵をもたらしていた。
「高鷲悠一の怨傷の一件は上層部に報告するとして。……原則、怨傷を負った人物の保護は、その人物を保護した隊内でってことになってるのよね」
つまり、三人の内誰か一人が、最低でも一週間は悠一の家にお邪魔しなくてはならない。
三日月隊は三人の男女によって構成されていて、男女比は二対一。議論する間でもなく、答えは決まっているようなものだろう。
「咲夜。お願いしていいかしら?」
「ええよ」
嫌な顔一つせずに咲夜は頷く。
「儂はマンションで一人暮らしやし、寂しさが紛れてちょうどええわ」
「ああ、わかります。私も両親の出張が多いので、一人の夜は寂しいです」
「やろ? ……あっ、せっかくの機会やし一緒に高鷲くんち行くか?」
「いいですね! ……あ、でも女性が私一人だったらその……控えさせていただきたいです」
「勝手に話を進めないでくれるかしら? 行くのは一人よ。それに、真白は行ったところで高鷲くんを守れないでしょう?」
このままだと本当に二人で高鷲家に訪問しかねないから、クレセは冷や水を浴びせた。
「確かに……ごめんなさい黒川くん。せっかくのお誘いですが、お断りさせていただきます」
ぺこりと礼儀正しく真白が頭を下げる。
「はは、そんな真摯に謝らんでええで。冗談やったからさ」
と言いつつ、咲夜が落胆したように溜め息を吐く姿をクレセは見逃さなかった。
やはり黒川咲夜は真白の平穏を脅かす不穏因子だ。早めに調教しなくてはならない。
「じゃ、高鷲くんの件は咲夜に任せるってことで異論はないかしら?」
「その前に、少し二人にお伝えしたいことがあります」
そう言う真白は至極真剣だ。大切な話なのだと、表情が如実に物語っている。
クレセと咲夜は目配せし、無言で話の続きを促した。
「信じられないかも知れませんが……実は彼、高鷲くんは、私が能力を使う前に怪我がほぼ完治していたんです」
「え?」
「なんやて?」
本当に信じられない話だ。
「黒川くんが運んできたとき、高鷲くんの腹部は血で真っ赤に染まっていました。だから、腹部の傷口を探したのですが、どこにも傷口が見当たらなかったんです。次に吐血を疑ったのですが、内臓器官に傷がなければ、肋骨が折れているというわけでもない。あまりに異常だったので、彼を全裸にして調べましたが……やはり無傷だったんです」
「んなアホな……」
咲夜の驚愕はもっともだ。クレセと咲夜は、数本の骨が折れたであろう悲痛な音を耳にしている。悠一の腹部から真っ赤な血が止めどなく流出している姿も、今から一時間ほど前にはっきりと見ている。聞いたのではない。はっきりと目で捉えて耳で聞いたのだ。
なのに、悠一は無傷だったと真白は言う。とてもじゃないが信じられない。
「……仮に真白の言う通り運ばれてきた悠一が無傷だったとして。怨傷はどう説明するの? 幻影種から直接攻撃されない限り、怨傷を負うなんてありえないでしょ?」
怨傷は感染症の類いなどではなく特殊な怪我だ。空気感染なんてありえない。
真白は「そうなんです!」と強く肯定して身を乗り出す。
「怨傷を負っているということは、彼が幻影種から直接攻撃を受けたという揺るぎない証拠なんです。……でも、彼には傷がなかった。掠り傷すらも、です……」
真白の声は微かに震えていた。表情には不安の色が滲んでいる。
「真白は高鷲くんが人外の存在、つまり、幻影種の仲間やと疑っとるんやな?」
咲夜の指摘に真白は悄然と頷く。
「その可能性は少なくないかと」
怪我が瞬時に再生……不意に、クレセはレインのことを思い出した。
彼女は弾丸で貫かれた手のひらを月明かりに当て、そして、瞬く間に傷を癒やした。手は何事もなかったかのように動いていた。あれは『完治した』と言っても過言ではないはずだ。
そして、悠一の傷も完治した。光ヶ原高校から本部までの移動の間に。
咲夜に背負われて――月明かりに照らされている間に。
「……つまり、真白は咲夜じゃなくて、私が一週間監視すべきだって言いたいのね?」
真白は小さく首を縦に振った。
「せやな。万一のことを考えたら、儂よりもクレセの方が適任やわ」
咲夜も真白の意見に賛成のようだ。こうなった以上、悠一の監視はクレセがするしかない。
女子高校生が、男子高校生の家に外泊。いかにも大佐がからかってきそうな話だ。
「わかったわよ。私が彼の監視をするわ。けど、任務中の護衛は咲夜の仕事だから」
少しくらいは息抜きの時間がほしい。悠一とは特別仲がいいわけではないのだ。というか、友達ですらない。あくまで、ただのクラスメイトだ。
「了解や。……そういえば月人はどうやったん? 強かったか?」
ニヤつきながら咲夜が訊いてくる。恐らく「余裕よ」という、いつもの言葉を期待しているのだろうが、生憎、今回はその期待を裏切ってしまう。
「ええ、強かったわよ。文句なしの完敗だわ」
「クレセが完敗⁉」
「瑞浪さんでも勝てないんですかっ⁉」
目を見開き、驚嘆する部下二名。うるさくて、眠気が飛んでいってしまった。
医務室に設置されたデジタルの時計が示す時刻は午前一時二十七分。
悠一の家に宿泊するための準備をしなければならないから、せめて二時頃には帰宅したいものだ。