(笑)
これはフィクションです。
嘘です。
9月1日。
ざあざあと降り頻る雨の中。
彼女は一人でそこに立っていた。
彼女は、
笑っていた。
8月26日 彼方
私の名前は彼方。
私は配信が好きだ、とても好きだ。
人と時間を共有し、自分を共有し、世界を共有するこの時間が何より好きだ。
そう、なによりも…彼氏よりも…?
まさか、そんなわけは……
あぁ、彼氏について教えろ?はいはい。
私の彼氏の名前は慎二。所謂犬系男子だ。
彼は背が高くて、帽子を被っていて、carolというブランドが好きでその服しか着なくて、よく笑って、でもあまり泣かなくて、私のことが大好きな…そんな人だ。
一目惚れだった。
猛アタックして、ようやく好きになってもらえた。彼は私を好きだったし、私も彼を好きだった。だったんだ。
いつものように彼に電話をかける。
プルルルという音が続いた後、彼が出た。
「慎二!あのね、今日配信で…」
「…ごめん、もう俺、彼方のこと好きか分かんねぇよ」
何を言われたか分からなかった。
一瞬フリーズしてから、ようやく思い至る。
ああ、私振られるのか。
ただ絶望の中にいた。
どす黒い感情が私の心臓を支配して、死にたいが全身を覆っていた。
彼とのLIMEの履歴を見ながら泣いていた私は光を見出した。彼に電話しよう。
プルルルと鳴り響く電話の音が私を急かす。
お願い、お願い、出て…頼むから…
「…もしもし?どうしたの、急に」
「かいぃ…つらいよぉ…苦しいよぉ…」
「分かった分かった、話聞くから」
彼の名前は海。
少し細くて、頭が悪くていつもレポートが間に合ってなくて、音ゲーとA○exが好きで、よく笑って、でもあまり泣かなくて、私によく似た、私と慎二の親友…そんな人だ。
「ごめんな、俺、うまく…言えない」
「いいんだよ、気にしないで」
彼は慰めるのが下手だった。
共感もできないし、アドバイスもできないような、相談するにはあまりにも不向きな人間だった。
でも、それでよかった。
人に話せただけで良かったんだと分かった。
「ありがとう、海。」
「礼なんて言うなよ、何もしてやれなくてごめんな」
「ううん、いいんだよ、おやすみ。」
「おやすみ。」
8月26日 慎二
俺の名前は慎二。
俺は彼方が好きだ。大好きだ。
よく笑うところ、賢いのにドジなところ、見ていて危ういところ、メガネがとてもよく似合っているところ、そして、俺のことが大好きなところ、全部、全部好きだ。
でも、彼女は最近配信ばかりで俺に構わなくなった。
俺のこと好きじゃなくなったのかな…?
不安が募るばかりで、自分の中に湧き出る感情を抑えられなかった。
俺ももう彼女のこと…
彼女から電話がかかってきた。
少し迷って、出る。
「慎二!あのね、今日配信で…」
「…ごめん、もう俺、彼方のこと好きかどうか分かんねぇよ」
ああ、言ってしまった。
彼女はひどく傷つき、泣いてしまったようだった。
しゃくりあげる彼女の声を聞いても慰めもしてやらない自分が嫌になった。
ああ、俺はもう…
8月26日 海
俺の名前は海。
俺は、彼方のことが好きだ。
友達作りが得意なところ、笑う顔が可愛いところ、ポンコツなところ、歌がとても上手なところ、そして、慎二のことが大好きなところも…好きだ。
彼女から急に電話がかかってきて、どうしたのだろうかと、真っ先に電話を取ろうとして、迷う。
何に迷ったかは分からなかったけれど、とにかくすぐには出られなかった。
ようやく心が落ち着いて出ると、彼女は泣いているようだった。
「かいぃ…つらいよぉ…くるしいよぉ…」
その声に、どきりと心臓が鳴る。
俺は最低だな、と思う。
話を聞いていると、どうやら慎二に好きじゃないと言われて凹んでいるらしかった。
「私は好きなのに」と嘆く君を前に、俺は「チャンスだ」などと思っていた。
自分が嫌になる。
でも、仕方ないよな…?
だって俺はずっとお前のことが…
慎二は俺の親友だ。
「親友」と呼べる唯一の人間だ。
だからこそ…だからこそ、慎二と彼方の幸せを願いたかった。
でも、全員の願いは同時には叶わない。彼女が慎二を好きでいる限り、俺の思いは届かない。
どうすればいい?
俺は、俺はどうすれば……
8月27日 彼方
「おはよう、海、慎二!」
「おはよ、彼方」
「おはよー」
いつものように挨拶をする。
いつものように授業を受け、いつものように3人で集まる…と、思っていた。
「え、先に帰った…?」
「うん、慎二はもう帰ってるよ〜」
先生に聞いて絶望する。
…私のこと、避けてる…?
たった一つのことで、私はひどく狼狽した。
それは海も同じようだった。
「あいつ、次来たら殴るぞ」
「おうよ」
強がって返事をする。
8月27日 海
「え、先に帰った…?」
「うん、慎二はもう帰ってるよ〜」
先生に聞いて…俺は…
よかった、と、思ってしまった。
あいつはもう彼方のこと好きじゃないなら、俺が奪ったって…いい、よな?
いいわけ、ないのにな。
「ねぇー、一緒に帰ろ、海」
「まぁカラオケも閉まってるしなー」
俺たちはよく彼方の家に行く。学校から近いからだ。コロナ禍でろくにカラオケも開いていない中、集まるのはもっぱら彼女の家だった。
だから、その言葉が意味するところは
「私の家に来ない?」だった。
慎二と彼方は少なくともまだ付き合っているのに、他の男を呼んでいいのか…?と思いつつ、逆に考えれば彼女は俺が何もしないだろうと思っているからそうするのだと理解して悲しくなった。
俺だって…俺だって、男なんだぞ。
お前を好きな、ただの人間なんだぞ。
8月28日 慎二
いつものように学校で休憩時間を過ごしていると、彼方に呼ばれた。
なんだろう、と思ってそちらへ行く。
「もう別れよう」
…
は?
思考がフリーズする。
彼女は俺のことが好きじゃなかったのか…?
それでも平静を装って言う。
「そっか」
「なぁ、俺との時間、楽しかったか?」
「うん、楽しかったよ、ありがと」
彼女はにこやかに微笑んで去っていった。
俺は…俺はまだ好きなんだ。
ようやく理解した。
遅すぎた。
どれだけ大切なものを失ったのか、分かったんだ。
俺はただ呆然とその場で立ち尽くしていた。
8月28日 海
彼方が小さく手でOKのサインをする。
あぁ、ようやく。
ようやく俺のものになったんだ…
泣きそうだ。
「ありがとう」
「ふふ、いえいえ」
8月27日 海
彼女の家は、いつものように甘い香りがした。
俺と彼女は座り込んで、慎二への文句を言い合っていた。
「ひどいよな、慎二のやつ」
「しっぺ、でこぴん、ばばちょっぷ!だよ」
「…そうだな?」
彼女と笑い合っていると、ふと、耐えられなくなった。
俺、どうすればいいんだろう。
だめだ、彼女の前で弱いところを見せては、ダメだ。
ダメなんだ、だから…
俺は思わず頭を抱えてうずくまる。
「俺、きつい…」
「大丈夫だよ」
突如体を包む温かい感覚。
彼女が、俺のことを抱きしめたらしかった。
俺は反射的に彼女から体を離す。
「…っ、やめろよ、お前には慎二が…」
「私だってもう…わかんないよ…」
…彼女の言葉を聞いて、俺は、もう一度彼女を抱きしめ、泣き始める彼女の頭を撫でる。
こんなこと、しちゃいけないのに。
「つらいな、つらいな、彼方」
「うん、つらいよ、つらいよ、海」
突然彼女の体が俺から離れる。
「ねぇ、」
「なんだよ」
「キスして、お願い」
「それだけは…それだけはダメだ」
彼女の口を手で塞ぐ。
それ以上はやめてくれ、それ以上は…俺が、もたない。
「全部、分かってるよ。なんで私を離さないの?なんで私を受け入れてくれるの?」
「それは…」
「我慢しなくていいから、お願い、言って」
「…」
「慎二と、別れてほしい」
「俺の彼女に…なって、ほしいんだ」
彼女がまた泣き出す。
「そっか、そっか、つらかったね、苦しかったね」
「うん…俺…」
「いいんだよ、泣けなくていいから、私の胸の中にいて」
「わかった…」
しばらくそのまま抱き合って、彼女は言った。
「ねぇ、海。」
「なんだよ」
「好きだよ」
は?
「もう、私別れるよ」
「だから、お願い、キスしてほしい」
…
「…海?」
…
「んっ」
そっと、キスをした。
「ごめん、ごめんな、こんな奴で」
「いいんだよ」
「じゃあ、また明日」
「うん、また明日」
8月31日 慎二
俺は、スマホの前に座り、ずっと考え込んでいた。
どうしよう。
彼女に電話をしようか?
俺ともう一度付き合ってほしいって…
いや、でも…
「ご飯だよー」
「は、はーい」
いつのまにか1時間も経っていたようだった。
…今日は諦めよう。
9月1日 彼方
慎二と別れ、海と付き合ってから少し時間が経った。
私は微笑む。
あぁ、私どちらも食べられるんだ、と舌なめずりをする。
私は自分のことを好きな人間が大好きだ。自分を受け入れてくれる人間が大好きだ。自分への愛を表現する人間が好きだ。
私の夢が、もう少しで叶う。
2人と同時に付き合うこと。
大丈夫、私ならできる。
慎二、海、待っててね。
私、2人のこと幸せにしてあげるから。
慎二に電話をかける。
プルルルという音がしばらく続き、数秒後、彼が出る。
「なん、だよ…」
彼は泣いているようだった。
あぁ、なんて可愛いんだろうか。
この子を弄びたいという衝動が抑えきれない。
「ねぇ、あのさ…私たち、もう一度付き合おうよ」
「…え?」
嘘泣きをする。
「もう、耐えられないよ……」
「俺も、もう無理なんだ。ありがとう、言ってくれて…」
「私と、付き合ってください」
「うん、付き合う」
その後は、他愛のないおしゃべりをして、
「おやすみ」
「うん、おやすみ」
と電話を切る。
あぁ、なんて素晴らしい。
夢が叶った!!
親友2人を同時に彼氏にした私を褒めてやりたい。
これで、私たちの関係は泥沼へ突入だ。
沼の中、もがき苦しみ、堕ちていく彼らの姿を見られると思うと笑いが止まらない。
最後に笑ったのは、私だったね。