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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

彼にとって、愛とはそういうものだった

「宰相閣下からいただいた休みはまだ残っているし、週末はゆっくり過ごせると思う。どこか行きたいところはあるか?」


 そう優しげに微笑むエリクラルドの目に、アーレリナは映っていない。エリクラルドが話しかけているのは、妻のアーレリナではないのだから。


「もし貴女さえよければだが……湖までピクニックなんてどうだ? 一緒にボートに乗ろう。昔と違って、ちゃんと前に進むよう漕いでみせるから」

「……エリクラルド。宰相閣下は、自宅にて静養せよとおっしゃったのではありませんか? お出かけになっては、お身体に障りましてよ」


 カトラリーを置いて、アーレリナは苦言を呈す。「いたのか、アーレリナ」その時初めてエリクラルドはアーレリナを見た。向かい合って食事をしているはずなのに、おかしなものだ。 


「今、私はセラと話している。口を挟む権利は、君にはないはずだ」


 それだけ言って、エリクラルドはすぐに視線を外した。平坦な声音に感情はない。エリクラルドはずっとこの調子だ。彼らがほんの二日前に結婚した夫婦であるなんて、一体誰が信じると言うのだろう。


「わたくしは、貴方の妻ですわ」


 痛む頭を軽く押さえ、アーレリナはため息混じりにそう答える。それに対する夫の返事はわかりきっていたが、それでも言わずにはいられなかった。


「またその話か。何度も言わせるな。私は、君を妻とは認めていない」


 ようやくエリクラルドは、アーレリナに対して感情らしい感情を見せた。嫌悪に歪むその眼差しに、思わず呼吸が止まりそうになる。あれほど焦がれたサファイアの目が、今はただ冷たく恐ろしかった。


「気にしないでくれ、セラ。私が愛しているのは貴女だけだ。誰がなんと言おうと、それは揺らがない」


 妻に対する態度には殺意すらにじんでいた。一方で、今の声音は蜂蜜よりもずっと甘い。

 アーレリナは唇を噛み、エリクラルドを睨みつけた。しかしエリクラルドは気にも留めず、アーレリナではない女に向けて愛を囁いている。


 いつまでも夫の愛情を独り占めする女は、名をセラフィーネといった。花屋だかパン屋だか、あるいは針子だったか忘れたが、とにかく平民の女だ。由緒正しい伯爵家の令嬢であるアーレリナと比べるべくもない、卑しい生まれ。それにもかかわらず、彼女はアーレリナが決して手に入らないものを得ていた。


 アーレリナはエリクラルドを愛していた。若くして宰相補佐官の地位につく、見目麗しく将来有望な伯爵家の嫡男を。

 けれどエリクラルドが愛しているのは、セラフィーネだけだ。それ以外の何もかもが、彼にとってはどうでもいいに違いない。


* * *

 

 エリクラルドの朝は、セラフィーネの寝顔を眺めることから始まる。起きればいつも、隣で眠るセラフィーネの寝顔があるのだ。その無防備で幸せそうな彼女を眺めていると、一日の活力が湧いてくる気がする。

 セラフィーネを起こさないよう細心の注意を払い―朝の支度のために来る近侍にも厳命して―身支度を済ませたころに、セラフィーネはようやく朝日のまぶしさに負けてもぞもぞと起き上がる。そして、「今日もあたしのほうが寝坊しちゃった」と恥ずかしそうに顔を伏せるのだ。


 セラフィーネのことは大切にしたいので、自分達の仲はずっと清いままだった。今でこそ共寝ぐらいはするが、契りを交わしたことはない。そういったことは、結婚してからだと決めていた。


「もっとゆっくり寝ていてもいいんだぞ」


 頬にキスをして、セラフィーネの頭を撫でる。朝食を摂ろうと食堂に向かおうとすると、近侍が慌てて声をかけてきた。


「旦那様、夜のお薬はお飲みにならなかったのですか?」

「……それは嫌いだ」


 近侍の視線の先は、ベッドサイドテーブルの下に落ちていた薬包紙だ。中身を溶かしたグラスの水をほんの少しだけ飲んで、後は窓から捨てた。鉄格子の隙間から適当に捨てたから粉薬混じりの濁った水がグラスにまだ残っていって、目ざとい近侍はそれに気づいてしまったようだ。


 近侍は毎日、エリクラルドが薬を飲むのを見張っていた。とはいえ最近はあまり厳しくなくなったので、たまに目を盗んでは残したり捨てたりしている。苦いから、あの薬は嫌いだった。苦くて苦くてたまらない。全部飲みきるのは結構大変なのだ。


「また子供のようなことをおっしゃって。セラフィーネ様に呆れられてしまってもよいのですか?」

「……」


 セラフィーネを見るが、セラフィーネは困ったように微笑むだけだ。セラフィーネはエリクラルドのすべてと言っても過言ではない。嫌われたくない一心で、「食後に二回分飲めばいいだろう」と言うと近侍は微苦笑を浮かべて「そういうことではないと思いますが」と肩をすくめた。


「次からはきちんと時間通りに、決められた量をお飲みくださいね、旦那様。セラフィーネ様も、旦那様を厳しく監視してください」


 深く頭を下げる近侍に見送られ、セラフィーネを伴って部屋から出る。すれ違った使用人はみな壁際に避けて恭しく頭を下げた。

 食堂に着くと、すぐに自分の分とセラフィーネの分の朝食が運ばれてくる。今日は何をしようかセラフィーネと話していると、扉が開いた。現れたのは、着飾った女だ。


「おはようございます、エリクラルド」

「……おはよう、アーレリナ。セラへの挨拶はなしか?」


 無礼な振る舞いに苦言を呈すが、女は意にも介さずに食事を始める。可哀想に、セラフィーネは震えて縮こまってしまった。エリクラルドはそんなセラフィーネを庇うように、いっそうセラフィーネに話しかけた。この屋敷せかいの女王は貴女のほうだと言うように。


 あの女は、エリクラルドの妻だという。おかしな話だ。結婚相手は、セラフィーネ以外にいないのに。

 あの女との結婚なんて、エリクラルドはこれっぽっちも認めていなかった。セラフィーネ以外の女と結婚するつもりなど、エリクラルドにはないのだから。


 エリクラルドとセラフィーネは、長年想い合っていた恋人同士だ。くだらない身分のせいで結ばれるのを阻まれていただけで、心は常に寄り添い合っていた。

 駆け落ちのような、後ろ指をさされる生活などセラフィーネに送らせてはいけない。セラフィーネとの結婚を正しく認めてもらうために、エリクラルドはほうぼうに根回しをした。セラフィーネが幸せに暮らせるように、よりよい国作りにも貢献した。セラフィーネこそがエリクラルドの原動力だった。セラフィーネが隣で微笑んでくれるだけで、なんだってできる気になっていた。


 熱心に職務をこなして評価と人望を得て、宰相に気に入られることで周囲への説得を手伝ってもらい、慈善活動にも積極的になることで民衆の支持も得た。必要なら貴族籍から離れる覚悟もあった。すべては順調だったのだ。

 優秀で偏見を持たない貴族と、お転婆だが働き者の街娘の恋は、多くの人々から祝福されていた。望み通り、セラフィーネと結婚できるはずだった。


「……セラ、すまない。今日はゆっくり休もうと思う。貴女さえよければ、何か歌を歌ってくれないか。貴女の歌を聴けば、落ち着くと思うんだ」


 メイドが差し出した水を飲む。執事が何か言って、銀の盆に載ったいつもの粉薬が運ばれてきた。


「もちろんよ、エリク。貴方が悪夢にうなされないように、いつまでだって歌ってあげる」


 水に溶かした薬を飲み干してから立ち上がる。セラフィーネも席を立った。セラフィーネは慈愛に満ちた目で、エリクラルドの手を取ってくれた。

 妻を自称する女の顔は、よく見えなかった。


* * *


「あんな女と結婚することになって、旦那様もお可哀想に」

「セラフィーネさんが不憫で仕方ないよ」


 ひそひそひそ。使用人達が声を落として喋っている。彼女らはきっと、アーレリナが聞いていることなど気づいてもいないのだろう。


「でも……奥様も、哀れな人ね」

「哀れなものか! 許されるなら、この家から叩き出してやりたいぐらいさ!」

「そうそう。あんな悪女をあるじだと仰がないといけないなんて、まったく嫌になるよ。あの女さえいなけりゃ、今頃旦那様もセラフィーネ様も……」


 怒りに眉間のしわを深め、それでもアーレリナは一つ大きな呼吸をする。


 ああ、そうだ。下等生物しようにん相手に目くじらを立てるのも馬鹿らしい。だってアレは、人間ではないのだから。けだものが何をしていたって、気にしていても仕方ないじゃないか。


 なんとか淑女らしからぬ怒声を収めたアーレリナは、咳払いすることで己の存在を誇示した。しかしそれで使用人達がはっとして居住まいを正すことはなく、むしろ露骨に軽蔑と憐憫の眼差しを向けてくる。……まったく、しつけのなっていない連中だ。


 主人たるエリクラルドがしっかり監督していれば、こんなことにはなっていなかっただろうに。本来ならアーレリナが家政を取り仕切るべきだ。だが、そもそも使用人達はアーレリナを軽視していて何一つまともに命令をこなそうとしない。

 唯一使える者達と言えば、アーレリナが実家から連れてきた使用人ぐらいのものだ。わざわざ命じるまでもなく主人に忖度できる優秀な使用人こそ、アーレリナにふさわしい。


 彼ら彼女らは、アーレリナに対する仕打ちに憤ってくれる。だが、それだけだ。この家の人間の無礼さに対して憤慨し、アーレリナを慰めるが、それが何かアーレリナの助けになることはなかった。

 とはいえ、彼らはいつもはアーレリナが少し首を傾げるだけで望み通りの結果を出してくれる。アーレリナの望みを叶えるため、準備しているのだろう。馬鹿な屋敷の使用人を叩き出して、エリクラルドの目を覚まさせるのだ。


 とりあえず、この家での様子は逐一実家に報告させようとは思うのだが、いかんせん嫁いできてまだ日が浅いためまだ何も実家に伝えられてはいない。この屋敷の人間に自分達の愚かさを知ってもらうのは、もう少し彼らの弱みを握ってからだ。


 エリクラルドとの結婚は、アーレリナが望んだことだ。果たしてその願いは叶えられた。だが、それがこんな不幸なことになるなんて思いもしなかった。

 かねてよりエリクラルドに恋人がいたことは知っていた。とはいえ、相手は平民、それも孤児だ。名門伯爵家の嫡男と結ばれる道理はない。エリクラルドもすぐに飽きると思っていた。貴族令嬢から感じることなどない粗忽さや野暮ったさが、物珍しさからくる興味関心を生み、それを恋心だと錯覚してしまう。エリクラルドとセラフィーネの仲なんて、しょせんはその程度だと。


 誰に対しても物腰が柔らかく、仕事ぶりも優秀で宰相から目をかけられているエリクラルドは、端正な顔立ちも相まって社交界では人気者だった。恋人に操を立てているとかで、浮いた噂のひとつもなかったが。

 アーレリナも、社交界の華としてもてはやされていた。自分になびかないエリクラルドのことを、気づけばアーレリナは目で追うようになった。彼のサファイアの瞳はいつだってきらきらと輝いていたが、その目に映るのはアーレリナではなかった。アーレリナを見てほしかった。穏やかに微笑みかけ、蕩けそうなほど甘い声音で名前を呼んでほしかった。

 家格は釣り合うし、本人の気質や才覚も申し分ない。アーレリナが結婚相手にエリクラルドを望むのは当然のことで、父伯爵がそれを認めたのも当たり前だった。


 アーレリナとエリクラルドの結婚は、祝福されてしかるべきだ。それなのにエリクラルドは、婚約が決まってからろくに会いにも来なかった。政略結婚とはいえ、その振る舞いはいかがなものか。不安を抱えたまま、三ヶ月の婚約期間は過ぎていった。

 結局そのまま結婚式を迎えたが、式はひどく簡素なものだった。招待客も、パーティーもなし。家族の前で、神父に対して空虚な愛を誓うだけ。誓いのキスすらしなかった。信じられないことだが、神父がその段取りを飛ばしたからだ。その辺から連れてきて金で雇っただけの似非神父なのかもしれない。


 アーレリナの常識……否、貴族の慣習とはかけ離れたそのありさまに、アーレリナの両親は腹を立てた。きっと最初は普通の式を挙げるはずが、勝手にエリクラルドの側から変更されたのだろう。

 せめてもの慰みにと、両親は派手な夜会を催そうと提案してくれた。両親の支援を受けて、アーレリナも喜んでその準備をはじめた。今ごろは招待状が様々な名家の元へと届けられていることだろう。それぐらいしか、女主人らしい仕事はなかった。

 挙げ句エリクラルドは、形だけの結婚式が終わって早々に「君を愛することはないし、妻として扱うつもりもない」と言い放ってさっさと寝室に戻る始末だ。

 彼はセラ、セラと恋人の名ばかりを呼んで、アーレリナのことなど見えてもいないように振る舞っている。屋敷の主人がこのざまでは、アーレリナが軽んじられるのも仕方なかった。


 幸せになれるはずだった。肥沃な領土を持つ、裕福な名家に嫁いだのだ。優しくて見目麗しい夫からは愛されて、誰もが羨む暮らしを手に入れるつもりだった。それなのに、どうしてこんなにみじめなのだろう。


* * *


「兄上、僕はそろそろ帰りますが……まだ王都の別邸にいますから、何かあったらいつでも連絡してくださいよ。……セラフィーネさんも、お元気で」

「ああ。リアム、気をつけて帰るんだぞ」


 普段は領地で父の補佐をしているリアムレッドは、兄の様子を見るために両親の代理として王都まで来ていた。兄エリクラルドはいつもと変わらない穏やかな表情でリアムレッドを見送ってくれる。


「家督相続の話は、ちゃんと父上と母上にも伝えておいてくれ。頼んだからな」

「……はい、兄上」


 エリクラルドが相続権を放棄するということは、かねてより話し合われていた。昔ほどではないとはいえ、身分制度に基づく差別意識はまだ強い。セラフィーネと結婚して子供をもうけることで生まれる分家の反発を防ぐため、兄は次期当主の座をリアムレッドに譲るつもりだった。リアムレッド自身は、敬愛する兄こそに家や爵位を継いでほしかったのだが。それで不都合があるのなら、自分か自分の子供が兄の次に当主になればいいと思っていた。


 だが、事情が変わった。両親が、ついに後継者をリアムレッドに決めたのだ。そうせざるを得なくなったのだから。


 両親、特に父親はずっとエリクラルドとセラフィーネの結婚に反対していた。半ば意地もあったのだろう。セラフィーネを自分の養女にするとまで言った宰相からの後押しを受けてついに両親は折れ、エリクラルド達の結婚と家督相続を認めてくれたのだが、その時にはすべてが遅かった。


 だから今の兄に対する両親の態度は、きっと贖罪のつもりなのだ。ありとあらゆることに見て見ぬふりをすることで、せめてエリクラルドを慰めようとしているに違いない。


 リアムレッドはもう一度兄に別れを告げて部屋を出た。ため息をついて、屋敷の外へ向かう。リアムレッドにとってエリクラルドは、尊敬する最高の兄だった。セラフィーネのことも、兄の妻にふさわしい素晴らしい女性だと思っていた。セラフィーネにも大好きな兄がいるということで、リアムレッドとはすぐに打ち解けていたのだ。

 エリクラルドと同い年のセラフィーネは、リアムレッドにとっては姉のような存在だった。彼女が義姉あねになるはずだった。


 ところが実際はどうだ。家の権力を笠に着て、虚栄を纏うことしかできない女が来たじゃないか。アーレリナの家から押しつけられたその婚約は、何度断ってもしつこく持ちかけられた。断り続けた結果に起こるかもしれないことを危惧した両親は、やがて婚約を承諾した。それは苦渋の決断だった。

 アーレリナのことを、リアムレッドは心底嫌っている。あの女さえいなければ、きっとすべてがうまくいったのに。


 外に出ると、庭園を散策していたアーレリナがいた。兄が建てた、あの建物にはさすがに近寄っていないようだ。あそことは正反対のほうから歩いてくる。あの建物さえ無視すれば、庭園のバラは見頃を迎えているから散策にはうってつけだろう。


 リアムレッドは目をそらして歩調を早める。アーレリナはリアムレッドに気づいたが、忌々しげに睨みつけてくるだけで何も言ってはこなかった。

 馬車に乗り込む直前、ふと振り返って兄の屋敷を眺める。鉄格子の嵌められた窓の向こうで、エリクラルドが手を振っていた。


* * *


 宰相には近況報告を、同僚や部下に対しては引き継ぎが甘かった部分の補足説明の手紙を書く。これで、今後エリクラルドがいなくなってもうまく仕事は回るだろう。


 職場の様子が気にならないといえば嘘になる。長期休暇をもらって以来は仕事そのものの話がエリクラルドのもとに来ることはなかったが、見舞いをかねた手紙はよく届いていた。

 休暇は残り一ヶ月。職場への復帰を期待する同僚達には、当たり障りのない返事をしておいた。

 それからもうひとつ、したためておかなければいけないものがある。何度も継ぎ足して書いたせいか文章は少し乱れているが、効果はあるだろう。呼んでおいた顧問弁護士に新しいものを託して、ようやく一息ついた。


「セラ」


 愛しい人の名前を呼ぶ。セラフィーネはぱっと顔を輝かせ、エリクラルドに抱きついた。彼女の頭を撫でながら、宰相達からの手紙にあったいいニュースを伝えるためにエリクラルドは口を開いた。


「国内の失業率が大幅に下がったらしい。税金を下げて、公共事業を増やしたおかげかな。王都の孤児達も、順調に養い親にもらわれていっているようだ。国が選んだ親達だから、きっと幸せになれるだろう」

「よかった! これで多くの人が飢えや寒さから救われるのね!」

「試験的に建てた平民のための学校も、まずまずの成果を出しているらしい。まだ教育の徹底には至っていないが……いずれ必ず実を結ぶはずだ」


 貧民を積極的に国家が雇用し、各地の税率を見直し、保障金を出して大人だろうが子供だろうが学ぶ時間を確保させ、養い親になりたい家族と孤児の間を取り持つ。エリクラルドが在職中に着手していた施策の数々は、徐々に効果を見せていた。


 セラフィーネはもともと教会育ちの孤児だ。修道女だった彼女は貧民や孤児の現状を憂いていた。だからなんとかしたいと思った。貴族のエリクラルドには、そのための下地があった。

 必死で勉強して、十五歳という若さで試験に合格して役人になれた。歴代最年少だという。実家の後援、そして自身の仕事ぶりを認められて宰相付になってからは、ますます仕事に励んだ。

 多少の無理を通したいなら、相応の地位を得ればいい……その言葉を体現する宰相は、エリクラルドにとっては憧れの人だ。叩き上げの宰相もエリクラルドに目をかけていた。


 昔から、エリクラルドが普段どんな仕事をしているか話すたびに、セラフィーネはすごいすごいと目を輝かせて聞いてくれていた。愛しい人のためにしたことが、巡り巡って国のためになる。動機はともあれ、いいことだ。


 周囲が思っているほど、エリクラルドはできた人間ではない。愛が重くて、恋した相手に盲目なだけだ。何かが少し違えば……たとえばセラフィーネがエリクラルドの重すぎる愛を受け止めきれていなかったら、その熱量はもっと暗い方向に向いていただろう。


 幼い頃のエリクラルドは、大人もさじを投げるほどの傲慢な子供だった。だが、セラフィーネとの出会いがすべてを変えたのだ。


 九歳の時だった。社交期ということで両親に連れられて王都にやってきたエリクラルドは、代わり映えしないパーティーに飽きて下町へと探検に向かった。セラフィーネと出会ったのはその時だ。

 年もそう変わらないのに、セラフィーネは自立していた。お転婆で芯が強くて、笑顔が素敵で、気高くて、まぶしかった。そして日々を懸命に生きる孤児達の姿に胸を打たれたエリクラルドは己の生き方を恥じて心を入れ替え、セラフィーネに心酔するようになった。


 それからエリクラルドは王都にいる間、毎日のように彼女のいる教会に通い詰めた。王都を離れても手紙を書き続け、役人になって王都に移り住んでからようやく正式に想いを伝えて交際を始めた。聖職者でも所帯を持つことは認められている。セラフィーネとともに、温かで幸せな家庭を築きたかった。

 かつてセラフィーネは、一人では何もできないのに態度だけは一人前のエリクラルドを諫め、諭し、導いてくれた。うわべだけではわからないことを、セラフィーネは教えてくれた。

 一方で、ちょっと読み書きや算術を教えると、大げさなくらい褒めてくれる。孤児相手に教師役を務める時に向けられる孤児達の羨望の眼差しは照れくさかったが、セラフィーネに褒められると誇らしかった。


 セラフィーネには兄が一人いた。彼女にとって唯一の肉親であるその男は、最初こそお貴族様の気まぐれだとエリクラルドに反発していたが、エリクラルドの想いが真剣なものとわかると態度を軟化させていった。自分にも兄ができたようで、エリクラルドも彼を信頼するようになった。


「何もかも、貴女が私の世界を広げてくれたおかげだ。セラ、これからも私の傍にいて、私を導いてくれないか」

「当然よ。愛してるわ、エリク」


 届いた手紙の中から、一通だけ選び取って燭台にくべる。その手紙は、残していてはいけないものだ。間違ってもアーレリナや、屋敷内を嗅ぎ回っている彼女の使用人に見つけられてはいけない。

 九歳の時から十年間、エリクラルドのすべてはセラフィーネのためにあった。セラフィーネが笑ってくれるなら、他の何もいらなかった。


 だから、何も間違ってはいない。だってこの腕の中にいるセラフィーネは、こんなに幸せそうに笑っているのだから。


*


 エリクラルドがセラフィーネと庭園でお茶を飲んでいると、執事が来客の訪れを告げた。来たのはセラフィーネの兄、ジェーディッドだ。

 彼と会うのは、一週間ほど前にアーレリナと挙げた偽りの結婚式以来だろう。彼は修道士として勤めている。だから神父の役を彼に頼んでいた。


「どうかしたのか、ジェーディッド」

「……手紙が、俺のところにも届いたからな。まさか宰相閣下が直々に、俺みたいな奴にまで連絡するとは思わなかった」

「閣下は公正なお方だから、身分で交友関係を決めたりはしない。それに、君には事実を知る権利がある。だから今回の手紙も、届けてくださったんだろう」

「事実、事実か。……事実を知る権利があるってのは、お前にだって当てはまるんじゃねぇのか」


 ジェーディッドはテーブルに視線を落とす。エリクラルドとセラフィーネ、二人分の用意しかない。先触れをくれていれば、ジェーディッドの席もあらかじめ用意できたのに。彼の分の席を用意するようにメイドに指示を出そうとしたが、それを止めたのはジェーディッドだった。


「ジェーディッド、何をしているんだ」


 ジェーディッドは乱暴にセラフィーネを押しのけ、その椅子に座った。思わず声を上げるが、ジェーディッドは意にも介さず目の前の皿に視線を落としている。セラフィーネも驚いてしまっていた。


「キャロットケーキは、セラの得意料理だったよな。教会のガキどもも大喜びで食ってたっけ」


 今日のお茶菓子は、セラフィーネと一緒にエリクラルドが作ったキャロットケーキだ。教わったレシピ通りに作ったはずなのだが、何か物足りない気がする。彼女の手作りには到底及ばないそのケーキを、セラフィーネは笑いながら食べてくれた。


「君も食べるか? セラと一緒に作ったんだが、あまりうまくできなくて。セラはこれでいいと言うが、もっと改善できるところがあるはずなんだ。君もセラの味は知って、」

「いい加減にしろ!」


 味を再現するために助言がほしい、その言葉は最後まで言えなかった。ジェーディッドが拳をテーブルに叩きつけ、近くの食器がわずかに浮いた。


「この屋敷の奴らは優しいから、お前に合わせてくれてるんだろ? でも、いつまでもそれでいいわけがないんだ」


 ジェーディッドは震えていた。それでもエリクラルドから目をそらさない。


「エリク、頼むから……頼むから、現実を見てくれよ……」


 セラ。セラ。怖がらなくて大丈夫、貴女の兄は理由もなく声を荒げる人じゃないだろう?

 エリクラルドは、安心させるようにセラフィーネに微笑みかける。セラフィーネはエリクラルドの元に駆け寄った。


「──セラは、半年前に死んだじゃないか」


 セラ。セラ。セラ。セラ。セラ。

  

「セラが死んだって?」


 セラ。セラ。セラ。セラ。セラ。セラ。セラ。セラ。セラ。セラ。


「――知っているさ、そんなこと」


 愛しいセラフィーネ。誰より強くて美しい、唯一にして最愛の恋人。

 彼女は、間違いなくここにいる。それがエリクラルドにしか視えない幻覚で、エリクラルドが望むことしか言わなくなった妄想だとしても。


「だが、セラはこうして私の傍にいてくれる。いずれ天に還る命だとしても、私がそこに向かうまでこうして見守っていてくれているんだ。なあ、セラ」

「だってあたし達、ずっと一緒なんだから。そうでしょう、エリク」


 返事の代わりにセラフィーネの手を取って、その甲にキスを落とす。セラフィーネはまぶしげに微笑んでくれた。しあわせだった。


「セラの遺体を引き取って、この霊廟で眠らせたのは私じゃないか。その私が、セラの死を理解していないわけがないだろう?」


 庭園に佇むその霊廟は、今エリクラルド達がいるテーブルからもよく見えた。そこは、セラフィーネのための霊廟だ。眠る死者は、今はセラフィーネしかいない。


「ああ、弟を代理に立たせていたから、勘違いをさせてしまったか。君にそのことを話せなくてすまなかった。あのころの私は、外に出られる状況ではなかったんだ。だから代わりに、弟に手配をしてもらっていた」

「お前……わかってるならどうして……自分のことも、セラのことも、自由にしてやれないんだよ……!」


 ジェーディッドが何を言っているかはよくわからない。エリクラルドにとってセラフィーネこそ世界のすべてで、セラフィーネがいない世界などありえないのに。


「私達は愛を誓い合ったんだ。それこそ自由、私達の求める幸福だ。……それに、もうすぐ永遠にひとつになれる」


 セラフィーネは死んだ。半年前に、殺された。


 ようやく両親の承諾を得て、彼女の好きな花を集めた花束と誓いの指輪を持って、彼女の勤め先の教会を訪ねた日のことだった。

 昼食の買い物に出たところだとジェーディッドに教えられた。しばらく待ったが、帰ってこなかった。プレゼントは教会に置いて、彼女を迎えに行くことにした。どこを探しても彼女は見つからなかった。入れ違いになったのだろうと教会に戻った。ジェーディッドも他の孤児達も、帰りの遅いセラフィーネを心配していた。

 時間ばかり過ぎていく。セラフィーネ達の教会、エリクラルドの屋敷、そしてその近所の人々。心当たりを次々頼り、総出でセラフィーネを探した。警察にも相談した。半日帰ってこないだけで大げさだと笑われたが、無性に嫌な予感がした。


 セラフィーネが見つかったのは、夜も更けた頃だった。街外れの廃屋に、彼女はいたらしい。ひどいありさまだった。

 身体中をいたぶられていたせいで、致命傷の特定は困難だったという。服は剥ぎ取られ、顔は元の形がわからないくらい腫れていた。歯は何本かなくなり、爪も剥がれていた。きっと必死で抵抗したのだろう。エリクラルドの最愛の恋人は、尊厳も命も奪われていた。

 愛した女性が何者かに嬲られ、苦痛と恐怖に沈みながら死んでいった。そんなこと認めたくなかった。それでも認めざるを得なかった。


 犯人はすぐに捕まった。三人組のごろつきだ。適当に見繕った女をさらって、ちょっと可愛がってやったらいつの間にか死んでいた……その下衆どもは、そう証言した。周りがエリクラルドを止めていてくれなかったら、その証言すら待つまでもなく彼らを殺していただろう。

 だが、腑に落ちない点もいくつかある。司法関係の知り合いを頼り、宰相の協力を得て、あの手この手で聞き出すことで、やっとごろつきは真相を吐いた――――アーレリナの家の人間に頼まれて、狙ってセラフィーネを襲ったのだと。


 元々、アーレリナからの秋波には辟易させられていた。こちらは恋人のいる身だというのに、アーレリナはしつこかった。強引なアプローチの数々は、自信の現れだったのだろう。

 他の女性達と同様、勘違いさせないよう振る舞っていた。角が立たないよう断ったつもりだった。だが、他の女性とは違うアーレリナは、それだけで諦めるのだろうか?


 だからセラフィーネが狙われた理由はすぐにわかった――――自分のせいだ。自分が愛していたせいで、セラフィーネは死んでしまった。


 後悔と絶望に冒され、エリクラルドは狂気に堕ちた。自責の念は彼を死へと駆り立てる。仕事も何も手につかず、宰相から休職を言い渡された。精神を落ち着かせる粉薬も処方された。それでもエリクラルドはことあるごとにセラフィーネの後を追おうとし、自室に軟禁されるようになった。

 ひどい時は、猿轡を噛まされてベッドに縛りつけられていたこともある。飛び降りないようにと、窓には鉄格子が急遽取り付けられていた。だから屋敷の中でエリクラルドの部屋の窓にだけ、鉄格子が嵌められている。


 そんな日々が一ヶ月も続いただろうか。信じられないことが起きた。死んだはずのセラフィーネが、そこにいたのだ。セラフィーネに励まされ、虚無の淵に立たされていたエリクラルドは多少の活力を取り戻した。


 そうだ、自暴自棄になってはいけない。自分にはやるべきことがある――――いつセラフィーネの待つ場所に旅立ってもいいように、遺された者が困らない程度には身の回りを片付けなければ。


 投げ出していた仕事の引き継ぎをきちんと行い、遺書をしたためた。家督の相続権を弟に渡し、使用人達が職を失うことのないよう手を回した。エリクラルド個人の遺産は、全額恵まれない人々に寄付される手はずだ。エリクラルドの死後は、セラフィーネと同じ霊廟に埋葬されることになっている。

 自殺未遂をやめたエリクラルドを、周囲は好意的に受け止めた。エリクラルドがなんのために気力を取り戻したかわかっていないのか、よい兆候だと言っていた。

 セラフィーネのまぼろしを視るエリクラルドに、誰も水を差そうとはしなかった。まぼろしこそ彼にとっての救いであることだけは、理解してもらえていたのだろう。彼らはエリクラルドに合わせ、セラフィーネが実在するかのように振る舞ってくれた。


 身辺整理をするうえで、すぐに死ぬわけにはいかないことに気づいた。だって、アーレリナとその生家を野放しにしてはおけないのだから。

 彼女達がごろつきを使ってセラフィーネを襲わせた事実はもみ消された。だが、きっと探せばまだ余罪があるはずだ。それらを明らかにして罪を償わせなければ、セラフィーネの心は浮かばれない。

 どうやらセラフィーネが死んでから、アーレリナはたびたびエリクラルドに求婚していたらしい。恋人がいなくなったから、堂々と求婚できるようになったというわけか。そんなことをしてきたのは、アーレリナの家以外にはなかったが。


 心を病んで臥せる息子と結婚などさせられないと、両親は固く拒んでいたようだが……アーレリナ達がセラフィーネにした仕打ちは、知っている者は知っている。アーレリナの家の人間にとって、命はたやすく踏みにじれてしまえるものなのだ。アーレリナの家が、エリクラルドの仮病を疑っていたこと、そして武器や兵士を多く保有する領地だったこともあり、また強硬手段に出られることを両親は恐れた。


 それを知ったエリクラルドは、ならばアーレリナを人質に取ろうと考えた。あえて婚約を了承したふりをすれば、アーレリナの家の罪を暴くまでの時間稼ぎにはなるだろう。

 本当に結婚する気など微塵もない。だって自分には、セラフィーネがいるのだから。それに結婚などしてしまえば、エリクラルドの死後にはいくばくかの権利をアーレリナに与えてしまうことになる。それだけは避けなければいけなかった。


 ジェーディッドを呼んで形だけの式を挙げたが、結婚の届け出など出してもいない。アーレリナが他家に出した招待状のたぐいはすべて握り潰した。

 疑われないように、彼女の実家の使用人こそ何人か連れ込ませたが、エリクラルドの屋敷には探られて困るものは何もない。娘の結婚相手は頭のおかしくなった男だと、騒ぎ立てられるぐらいが関の山だ。


 その原因が何であるかは自明の理で、むしろ恋人を喪って間もない男の婚約者の座に立候補した令嬢に宮廷人は疑惑の目を向けていたそうだ。当事者の一人であるエリクラルドが表舞台に出てこないせいか、リアムレッドの話ではそもそも婚約自体がアーレリナの虚言だと思われている節もあるらしい。


 時が来るのを待つ間、掴めなかった幸せな未来の姿をセラフィーネのまぼろしとともに演じていた。アーレリナはそんなエリクラルドを気味悪く思うようになったようだ。アーレリナはセラフィーネを否定し続けていた。せめて罪の意識を感じてくれれば、まだ何か違った道があったかもしれないのだが。



 エリクラルド達が過ごした虚飾の日々は、もうすぐ終わりを告げる。それを知らせる手紙が宰相から届いていた。アーレリナの家の悪事を暴く証拠の数々が、決してもみ消されないほど揃ったと。セラフィーネの事件の真相も、白日のもとに晒せると。

 無理を通したいために今の地位を手にした宰相が、立場をより盤石にするために政敵を排除しようとするのは必然だった。それに、汚職に手を染める貴族はいないに限る。宰相は身分ではなく能力と実益で人を判断する性質たちだ。アーレリナの家を野放しにしていたら、自分にも国家にも不利益になるとわかっていたのだろう。


「エリクラルド! どういうことです、エリクラルド!」


 憐憫の眼差しを残して去っていったジェーディッドと入れ違うようにして、屋敷のほうから誰か来る。ドレス姿の女だ。アーレリナだろう。


「どうしたんだ。実家が没落したと知らせが来たか? それとも、君を捕まえるために警察がこの屋敷にも来たのか?」

「貴方は誤解をしているのです! あの女を殺したのは、わたくしではありません! 使用人が勝手に動いて……!」

「主人が使用人をしっかり監督していれば、使用人が不始末を起こすことなどない、と君は自分の使用人達と話していたと聞いていたが。使用人があるじの意に沿わない動きを勝手にするなら、それは君が至らないからだろう」


 髪を振り乱すアーレリナは、どうやら何もかもを知っているようだ。もうすでに遅いと言うほかなかったが。

 そもそも、エリクラルドの行動原理は復讐だけではない。アーレリナの家の悪事を暴こうと思った一番の理由は、セラフィーネのために築こうと思った美しい世界の下地をきっちり仕上げておきたかったからだ。

 その完成は後進に託すとしても、不要なものは早いうちに消しておいたほうがいい。だからエリクラルドに許しを乞うたり、弁明したりしても意味などなかった。


「エリクラルド……!」


 アーレリナの濁った眼差しは、セラフィーネに向けられることはない。アーレリナにセラフィーネは視えないのだから。

 それでも、そんな目をした女をセラフィーネの視界に入れたくなかった。だからエリクラルドは、セラフィーネの視界を遮るために彼女の前に立ち、幻影の恋人を背に庇った。


「最後にひとつ、訊かせてもらいたいことがある」


 遠くからアーレリナを探す声がする。警察が来たのだろう。


「初めて会った時の君は、私にとっては普通のご令嬢だった。他の女性となんら変わらない、一人の女性だ。それ以上でもそれ以下でもなかった。……もし私が君に見惚れ、君の気を引こうとしていれば、君は私のことを十把一絡げの男だと思っていただろう。私になど興味を持たなかったかもしれない」


 セラフィーネ以外の女性は、エリクラルドにとってはあくまでもそういう生き物に過ぎず、それぞれの人間的な部分に何らかの感情を持つことはあっても恋愛対象として見たことはなかった。

 だからといって、セラフィーネ以外の女性をことさらに見下していたつもりはない。明確な理由もなく行われる差別的な振る舞いを、セラフィーネはいっとう嫌っていたからだ。だからかつてのエリクラルドは誰に対しても平等であろうと努めていたし、それはアーレリナに対しても同様だった。


「君は、私が珍しかったんだ。手に入らないからこそ欲しいと思ったんだろう。違うと言うならそう言うといい。……君にとっては、それが真実の愛なのか?」

 

 アーレリナは、何も答えなかった。


*


 裁判にかけられたアーレリナの家が有罪判決を下されたのを見届けてから、エリクラルドは一人で霊廟に向かった。セラフィーネのまぼろしはもう見えなくなっていた。


「待たせたな、セラ」


 棺桶の蓋を開ける。渡せなかった花束と指輪を、ようやく受け取ってもらえる時が来た。

 死に化粧と腐敗防止の技法が施されたセラフィーネは、在りし日と変わらず美しかった。毎朝まぼろしが見せてくれた寝顔がそこにある。

 セラフィーネのために特別に仕立てた白いドレスは、花嫁衣装に見立てたものだ。冷え切った手を取って指輪をはめ、花束を抱えさせる。甘く優しい香油の匂いを感じながら、エリクラルドはセラフィーネに口づけをした。


「これで私達は、永遠に一緒だ」


 短剣が煌めく。

 閉ざされた世界には、二人しかいない。

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[良い点] もう一度読み直しましたがやっぱり好きな話だなぁと思いました 狂いながらもちゃんと現実を認識している所が如何に現実を見つめながら地に足を付けて生きてきたかを物語っている感じがして、最後は自ら…
[良い点] 狂気的な愛と一般的に言われると思うが、そんな愛を一心に貫けて愛する者が死んで幻想とはいえ会うまでの想いをしっかりと残しつつ、その幻影とはいえやることはしっかり殺る迷惑はできる限りかけないと…
[一言] もうちょいアーレリナ(結婚したと本人は思ってるけど実は結婚してない女)の心情も読みたかった気はするけれど、そうしたらネタバレな部分が出ちゃうから痛し痒し。 令嬢の横入りが無ければ →地位も…
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