第三章42 『英雄の声』
突如響き渡ったティアルスの叫び声。張り裂けんばかりに轟いたティアルスの声は、絶望に覆い尽くされたみんなの心にさえも届いて行く。
もちろんイルシアにだって。
「諦めるな!! 立て!!!」
ティアルスは多くの血を流しながらも立っていて、本来ならもう立っている事がおかしい傷なのに、それなのにティアルスはそこに立っていた。
音が出るくらい刀を握り締める。
「剣を握れ!!! 前を見ろ!!!!」
全員が絶望の中でティアルスの叫びを聞いた。
果てしない絶望の中でも決して諦めない声。それに当てられてほんの微かにでも希望を見出す。誰よりも傷つき追い詰められてるはずの彼が、誰よりも「諦めるな」と叫んでいるんだから。
やがて最後に叫んだ言葉で全員の心に火が灯る。
「立てッ!!! 英雄―――――――――ッッ!!!!!!!!」
その言葉は全員の心に響いた。
もう一度微かでも希望が見えたみんなは柄を握り締め、それぞれで雄叫びを上げつつも全力で叫ぶ。一番初めに動き始めたのはクロエで。
「らああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!!!!」
紫色のパンジーを舞い散らしながらも周囲の黒装束を一斉に振り払った。そしてティアルスに接近していた白装束さえも。クロエに釣られる様にみんなも眼前にある敵を撃破する。そんな勢いに引っ張られたのだろうか、大人組も追い詰められていたリヒトーへ全力の一撃を一斉に食らわせた。
英雄の声。
その表現が正しいだろう。たったそれだけの言葉で絶望を希望に塗り替え、全員が死にそうだった未来をほんの僅かでも先延ばしにしたのだから。
ティアルスの声に応えたみんなを見て小さく言葉が漏れる。
「……凄い」
――あれだけの言葉でみんなを動かした。こんな現状を、果てしない絶望を、たった一人が叫んだだけで希望に塗り替えた……。
誰よりも傷つき血を流しているティアルスがそこまでしてみんなを鼓舞したんだ。……なのに、どうしてイルシアが立ち上がれない事が許される。
英雄を目指すのなら立ち上がらなきゃいけない。立って、戦わなきゃ。
だからこそ目の前で音を立てて刀を揺らしているオルニクスに言う。
「あれが、あんたが偽善者って言った物の本質よ。英雄は確かに偽善者かも知れない。けど、その本質だけは絶対に揺るぎない『綺麗な心』だから」
刀を杖にして立ち上がる。本来ならそんな力ないはずなのに。
あの言葉から力を貰った。立ち上がって戦う理由は、たったそれだけで十分すぎる。
オルニクスの後頭部に向けて剣先を向けると鋭い視線で睨みながらも堂々と宣言した。
「――英雄は命懸けで理想を貫き通す偽善者の事よ」
それがイルシアが師匠や英雄譚から学んだ自分なりの英雄。
もしかしたらイルシアには英雄の本質なんてないのかもしれない。でも、それでも理想の英雄を貫き通せるのなら、例え偽善者と言われたって構わない。
……でも、そう言ってもオルニクスは動かなかった。刀を武者震いみたいに音を立てながら震わせ、喉の奥から絞り出すかのような小さい声を発するだけ。
だから妙だと思いつつも容赦なく首をはねようとした瞬間、えらく興奮した声でいきなり喋り始める。
「あれが英雄……。ええ、そうですね。英雄は確かに命懸けで理想を貫く偽善者の事です。だからこそ……」
「だからこそ?」
「私はあの少年を殺さなきゃならならない」
「――――ッ!!!」
ティアルスにどんな因縁があるのかは知らない。でもティアルスを殺すと言われた時には既にイルシアの刃は奴の首を切り裂いていた。わざと荒くして首を刎ね飛ばす様に。
……けどこんな程度で死ぬのならもうこの異変は終わっている。
刎ね飛んだ首を何事も無かったかのように掴むと、回し蹴りでティアルスの方まで吹き飛ばし再生し始めた。
「なるほど。今のはわざと荒くして斬りましたね。断面が滑らか過ぎると回復に使う体力が少なくなるから」
「あんた、心が読める魔眼とか持ってたっけ……」
「何千年も生きてればそれくらい読めますよっと」
軽口を叩きながらも首と胴体をくっ付けて完全に再生させる。
クロエは吹き飛んで来たイルシアの事を心配して駆けつけて来てくれるけど、正直言ってそんな余裕はどこにもない。だから彼女の手を掴んで制止させると言う。
「クロエ。あなたはティアをお願い」
「そんな、でも師匠が……!」
「私は大丈夫。だって、戻って来ないとティアにまた頭突きされるし」
冗談任せに呟きながらも笑顔を向けた。ティアルスの方を見ると今にも掻き消えそうな目線でこっちを見ていて、彼も全く余裕がない事が見て取れる。
だからこそ気合いを入れて柄を握り締めた。
「……それに、ティアは私の笑顔が見たいって言ってくれたしね。これが終わったら嫌って程見せつけてやるんだから」
イルシアの意識が深層にある中でティアルスが一方的に押し付けた約束。今はそれだけでも戦う理由には十分なのに、その他にも戦う理由があるのだ。ここまでされて負けてしまえば英雄だなんて呼べない。
まあ、そうなる前にティアルスがイルシアを“英雄にしてくれた”のだけど。
「立て、英雄」という言葉――――。あれだけで一時でもイルシアの事を『英雄』よして呼んでくれた。《虚》であったイルシアを。
だからこそ負ける訳にはいかない。
「あと……」
のだけど、こればっかりは我が儘でしかない。戦う理由とかそういうのは全く関係なく、ただ自分がこうだと嬉しいって言う願望なだけ。
ティアルスの方を向くと小さく伝えた。
「これが終わったら、ティアも笑顔を見せてね」
「…………!!」
すると面を突かれたみたいな表情をしてイルシアの顔を見つめる。今まではにかんだり微笑みを見せる事はあったけど、『笑顔』を見せた事は一度も無かった。だから一度でもいいから彼の笑顔がみたかったのだ。
最初は断られると思ったのだけど、優しく微笑むと言った。
「……頑張る」
まだ笑顔とは呼べない微笑み。けれどそれだけでも戦う力を貰えたイルシアは前を見た。三人の会話を見ていたオルニクスを。
「茶番は終わりましたか?」
「ええ。あんたを倒す為の準備は整ったわ」
足を開いて力を入れると真意を発動する。
すると真意の光でやる気を表したイルシアを見て口元をニヤつかせた。それが確信なのか兆候なのかは分からないけれど。
空気が揺れる程の威圧で互いを睨み合う。そうしていると周囲には静寂が流れ込んできて、動こうとしていた黒装束がピタリと動きを止める。
やがてその静寂を破ったのは全く同時で。
その場から瞬間移動の如き速度で消えると直後に激しい剣戟音が響き渡った。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
――凄い風圧……っ!
イルシアとオルニクスがぶつかった衝撃に耐えながらもティアルスを必死に抱えた。ちょっとでも気を抜けば吹き飛ばされそうな風圧の中、クロエは地面に刀を突き刺して堪え続ける。
だけど直後には黒装束が迫って来て錫杖を振り上げた。
「っ!!」
だから風圧に乗っかり攻撃を避ける。しかしティアルスを抱えながら戦うというのはかなり難しく、片腕だけで大勢の敵を相手にするのは到底無理な事で――――。
二人の激闘は吹き飛ばされたりしてすぐに位置が変わってしまう。だから二人を避けながらもティアルスを抱え片腕で戦闘するのは困難を極めた。
そんな中でアルスタが吹き飛ばされて来る。
「わっ!?」
急に吹き飛んでくるから受け止めきれずに押し出されて地面を転がった。やがてすぐにアルスタの体を確認するとえらくボロボロになっていて、リヒトーとの戦闘がどれだけ激しい物なのかをすぐに察せた。
体を揺らすも反応がない。意識がないのだろうか。
しかしそんな事をしていれば当然背後を取られるわけで、気が付いた頃には既に白装束が剣を逆手に持ち振り上げていた。
――しまっ!?
でも、鋭い剣がクロエの体を貫く事は無くて。何が起こったのかと思って振り返ると驚愕した。だって、動けないはずのティアルスが自分の刀で白装束の心臓を貫いていたのだから。
限界を超えて尚諦めない瞳で敵を睨んでいたティアルスに驚かされる。
「ティア……!」
「クロエ、行け! アルスタは俺がどうにかする!!」
行けっていうのはきっとリヒトーの所へ行けって事だろう。この中で一番傷ついてないのはクロエだし、作戦としては十分納得できる。
だけどここでティアルスを見捨てる事は出来ない。絶対に。
「行けって、そんな事出来る訳――――」
けれど時間をかければかける敵が寄って体力が削られる。その証拠として背後から黒白装束が襲いかかり、ティアルスが《暁光流》の型で返り討ちにした。
ここでティアルスを置いて行く訳にはいかない。弱った相手ほど奴らは追い詰めるはずだから。けれどクロエが参戦しなければみんなの命が危ない。究極の二択に迫られてクロエは目を瞑った。どこかに状況を打破する方法はないのかって。
なければ作ればいいんじゃないのか。
片方を見捨てる選択肢しかないのなら、クロエはどっちも助けたい。欲張り過ぎて両方をすくい取れなかったとしても、どっちもクロエにとっては大切な存在だから。
だからこそティアルスを掴むと言った。
「……アルスタを離さないでね」
「えっ?」
言われた通りアルスタの体を強く掴む。するとクロエはティアルスの肩と胸倉を掴んで背負う形に移動させる。それから真意まで発動させて力を増幅させると思いっきりティアルスを投げ飛ばした。
「う~らああああぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
ティアルスを置いて行くかの選択で迷ったのなら、ティアルスをみんなと一緒に護れる所まで移動させればいいんだ。
例えどっちも救えなかったのだとしても。
だからティアルスとアルスタを神殿の方へと投げ飛ばす。既に背後に武器を振りかざした黒装束が知ってもなお。




