第三章36 『見えない未来』
地獄を見た。この世界の絶望を具現化したかの様な、そんな地獄を。
ある絶望は希望を打ち砕き、ある現実は憧れを消飛ばし、ある世界は自分すらも壊した。自分の声は決して誰にも届かず未来を望んだ自分にすらも聞こえない。
例えどれだけ足掻こうとも。
憧れれば憧れる程未来を望むし、望めば望む程失望する。失望は絶望を引き連れて心を破壊していく。
だからそんな光景を見て心を貫かれた。こんなにも過酷な世界でイルシアは戦って来たのかって。それも誰かとじゃなく自分自身と。
憧れは決して間違ってない。だけどそれは重ねる度に“偽善”として立ちはだかる。そんな自己矛盾とも言える現実を抱えながらイルシアは今日まで生き抜いて来た。
ふと、荒れ果てた荒野に立つ。
渇いた風が全身を煽ってはどこかへと運ばれてゆく。
この世界はイルシアの歩んで来た道そのものだ。なら、仮に最終地点に着いた時、その先には一体何が待ち受けているのだろう。鈍く光る希望か深淵の如き暗闇の絶望か。
――その運命を変えられるのならハッピーエンドを迎えられる様な所へ連れて行ってあげたい。
幼い頃から歩んで来た修羅の道はとてもじゃないけど駆け上がれるものではない。でも、それでもイルシアはいつだって憧れを胸にこの道を駆けていた。孤独に溺れながらも絶対に倒れず諦めなかった。望まない結果を押し付けられても尚。
きっと今のイルシアは憧れが何だったのかを忘れてしまっているはず。なら、それを思い出させてあげたい。忘れてしまった心を取り戻してあげたい。
ティアルスはイルシアもみんなも、全てを護りたいから――――。
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そんな思考は重なり合った剣戟の音で忘れ去られる。
一瞬にして記憶の世界から引き戻されたティアルスは即座に気を取り戻すもその激しさに足を取られてバランスを崩した。直後に突き立てられる神速の一閃。
「っ!?」
それを刀身の腹で防ぐとイルシアの表情が動いた。
激しい音を立てながらも受け流し片足を軸に回転するとすぐに刃がイルシアへと向いて進んで行く。だから全力で振るけどやっぱり防がれる。
そうして少しでも距離が開いた瞬間からティアルスは口を開いた。
「イルシア。どうして俺が今ここに立ってるか、知ってるか」
「――――」
「俺の英雄を、イルシアの忘れてしまった憧れを、取り戻す為だ。例え《虚》だろうと《死神》だろうと関係ない。イルシアが確かに抱いてた憧れを取り戻す為だ」
柄を握り締める。言葉だけじゃ届かないのは明確だ。だからこそイルシアの忘れてしまった憧れを思い出させる為に剣で伝えるしかない。
全力でぶつかってイルシアを引っ叩くんだ。
――後先なんか考えるな。今はただ突き進め!
雑念があった状況でイルシアを救えるわけがない。想いをぶつけるのなら全力だ。きっとみんなだって全身全霊で戦ってる。なのにティアルスだけが全力で抗わない訳にはいかない。
「行くぞ、イルシア!!」
その言葉を合図に全速力で飛び出した。惜しみなく真意も発動しながら蒼白い桜を散らし、たった一歩だけで彼女の目の前まで移動する。そして速度を殺さずに全力で刃を振り下ろす。
ティアルスの一撃は床を抉る程の威力と化してイルシアを真上から叩き潰さんとばかりに迫った。けれど刃を斜めにして衝撃の余波を受け流す。その余波だけで頬から血が噴き出すけど、何も気にしないイルシアはそのまま回し蹴りで吹き飛ばした。
――でも床に刀を突き刺して減速させる。直後に振り上げると接近していた彼女の刃を弾いて怯ませた。その隙を蹴りで埋めつつも即座に刃を振るう。
そんなギリギリの攻防を何度も繰り返す。
「何をしたかったのかを思い出せ! イルシアは誰かを助ける為に剣士になって、英雄になりたかったんじゃなかったのか!!」
「……っ!」
舞の様な動きで攻撃するイルシアに対し、ティアルスは様々な動作で攻撃までの隙を極限まで減らしていく。イルシアは常に全方向からの攻撃に対処できるから刃を届かせる事は容易じゃない。逆に言えばこっちは攻撃に全力を注いでいるから防御はめっぽう弱いのだ。
だから突っ込む度に反撃を食らっては血を流していく。
「英雄に憧れたんだろ! 誰かを助ける背中に憧れたんだろ!! ――ならどうするべきかを、イルシア自身が一番よく知ってるんじゃないのか!!!」
でも、いくら振り回したってティアルスの刃は届かない。全てが弾かれては受け流されこっちが傷ついて行くばかり。
真意を使っても現状は変わらないみたいで、イルシアからの猛攻が絶え間なく続いた。
やがて左腕を大きく切り裂かれて血が溢れ出す。
――もうそろそろ限界……だけどまだだ!! 今止まれば真意の反動が必ず襲って来る。もう、後戻りはできない!!
ティアルスに出来る事なんて元から一つ。ただ全力で抗うだけ。
更に真意の光を強くするともう一歩踏み込んだ。イルシアへ刃を届かせる為に。
「ッ!!!」
「――――」
けれど渾身の振り払いは柄で受け止められた。
それから互いに睨み合うとより一層激しい剣戟が繰り広げられる。最早残像だけでイルシアの刀が三本くらいに見えるけど、それでも止まる事は許されない。一歩でも止まってしまえば確実に死んでしまうから。
傷つく程に流れ込んで来る記憶の数々――――。それらを見る度に刀は急かされた様に加速していく。まるでイルシアにまで乗り移られたみたいに。
次第と自分が自分じゃなくなって行く感覚に陥る。
自分はティアルスなんていう存在じゃない。もっと別の、何かしらの意味で存在している何かの集合体。そんな気がして止まらない。
――これ、イルシアの……。
映ったのは天秤に大事な物をかけられた幼い頃のイルシアだ。
とある血に塗れた野原の真ん中に立たされ、目の前にはこっちに背中を向けて首を差し出している人がいる。その人に向かって涙を流しながら刃を振り上げ、その首を――――。
その時、断続的な記憶が流れ込んだ。
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湿った風が吹き荒れる野原。その中央に彼女は立っていた。この戦いを終わらせる為でもあるけど、何より自分自身が生き延びる為に。
幼き少女が重い刀を握り締める中、首を差し出す彼は言う。
「斬れ。そうすればお前は生き残れる。――俺の首を差し出せば」
「そんなの……出来る訳……」
「やってくれ。俺を呪いの鎖から解放してくれ」
その言葉でイルシアは柄を握り締める。……けど、剣先が震えてしまって仕方ない。大切な人をこの手で殺すという事実が目の前にあるから。
ここで彼を斬ればイルシアは生き延びる。
でも、ここで彼を斬れなければ最終的に彼は死にイルシアも死ぬ。それもその過程で死にたくなるくらいの激痛を味わって。
生か死か。絶望か地獄か。心傷か自己矛盾か。
それらを天秤に掛けられている。どっちを選んだにせよイルシアに待っている物は耐え難い物なのは確定事項。けれど過程を選ぶか結果を選ぶか。その二択を迫られていた。
「俺を罪から解放出来るのは、お前だけだ」
「――――っ」
罪というのならイルシアだって数え切れないくらいに積み重ねて来た。それも彼以上に。ならイルシアを罪から解放出来る人は誰なのか? ここで彼を救えたとして、イルシアはこのまま一生罪を背負い生き続けなくてはならないのだろうか。
それを耐えられる自信はない。
やがてイルシアは刃を振り上げた。
「っ……!」
ふと流れる涙。振り上げた刃は震えてしまって、曇天から差し込む光を鈍く照らした。ここまで罪を重ねて、咎を背負って、大切な物を失いながらも自分だけの為に戦って、その度に憧れには近づけないと悟って、心を磨り減らして。
ここまでした意味は何だったのだろう。
そんな迷いを知ってか知らずか。彼は喋り始める。
「イルシア。きっといつか、お前の前に憧れが現れる。お前の前に、どんな人でも救おうとする馬鹿が、きっと現れる。だから希望を捨てるな。――今を信じろ」
「しん、じる……?」
「自分を積み重ねている今を信じるんだ。その選択は、きっと間違いじゃないから」
じゃあ今の彼はどうなんだ。そう問いかけたくても微笑みを向けて言葉を遮った。だからイルシアもなけなしの微笑みを向けて答える。
……もう刀の震えは無い。故に思いっきり振り下ろす。
迷いや葛藤を抱えながらも彼の首に刃を通した。それもあり得ないくらいの神速で。
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全てを失った。自分も失った。
抱いた憧れは完全に消え去り、残ったのは空っぽの手の中に握られた刀だけ。鈍い鉛色を放ってはあの時の光景を思い出させる刀だけだ。
その刃で何人もの命を奪い去って来た。襲いかかって来る敵を切り裂き、血に塗れては心を淀ませていく。かつて習得した技術は数百人程度じゃ止められる事は無く、例え数千数万の軍勢であっても完全に止める事は不可能だった。
――大戦争を生き抜き強くならざるを得なかったこの技には。
大切だった人はもういない。かつて憧れた未来は、この手で殺した。そして最終的に残った希望さえも打ち砕き、気が付けばイルシアという存在は、死にたくなってしまうくらい空っぽだった。
もう何も得られない。そして何も失う物も無い。
そう思うと少しは気が楽になったけど、同時に強い失望も連れて来る。
だから諦めた。もう英雄にはなれないんだと知ったから。自分の世界と自分さえも壊したイルシアには相応しい選択だろう。
だって、もう何も望む事は許されないから。
未来さえも見る事は許されないから。




