第一章7 『眠る記憶』
「……遅かったな」
「ちょっと野暮用が多くってさ……」
夕方になってようやく帰って来たイルシアは申し訳なさそうに頭を掻いていた。まあ怒ってる訳でもないからいいのだけど。
随分とボロボロの姿になったティアルスを見ると恐る恐る確認する。
「ちなみに何回下ったの……?」
「10回以上」
「10回以上!?」
あれ以降、山を下ってもイルシアがいなかったから自己練習で何度か山の奥へ入った。それから夢中で走っていたらいつの間にか夕方になっていた、という訳だ。何度木に激突した事か。中には脱臼したかってくらいの痛みが襲った事もあった。
しかしそこまでして得た物もある。
「正確な数は忘れたけどな。でもある程度なら避けられる様になったんだ。何回木に衝突したかも忘れたけど」
「まさか1日で避けられる様になるとは……。ティアルス、案外素質があるのかもね」
するとびっくりしながらもそう言った。
けど素質があると言われてもイマイチ実感が沸かない。だって避けられる様になったのは頑張りまくって下った結果だし。その過程でも沢山怪我をした。
でもイルシアはそれでよしと頭を撫でる。
「じゃ、早速だけど明日から打ち合い始めよっか」
「え? もういいのか?」
「だって山下りは反射速度の下準備だし。ここから大体は私との修行で埋めてくよ。だから今日はもう休んで」
今から始めないのか、と言いそうになるけどこれがイルシアの気遣いなんだと気づいて口を閉ざす。今日は昨日程じゃないけど色々あったし、少しくらい休んでも罰は当たらないだろう。
そうして寝転がっては目を瞑った。
まだ夕飯も食べていないのに深い眠りへと陥って――――。
―――――――――――
朝。まだ日が昇り始めたばっかりなのに修行は開始される。
自分の使っていた真剣と2本の木刀を携えたイルシアは準備が終わるなり早速修行内容を伝えた。
「回避能力はある程度鍛えられたから、今日は型を教える」
「……思ったんだけどもう山下りはしないのか?」
「するよ。ただ今は戦闘に必要最低限の事を叩きこむだけ。最悪の事態に備えてね。これが終われば次々と条件を消化していくだけだよ」
「最悪の事態……」
今思えば、この修行って結構危険な事なのかも知れない。だって普通なら修行は安全な所で行われるはずだし。なのに最悪の事態に備えながら修行をするとは……。
小さく呟いた言葉に気づかなかったイルシアは早速木刀を投げ渡して来る。
とりあえずは軽く木刀を構えると1つだけアドバイスをくれた。
「あの時の攻撃を思い出して。自分がどんな構えをしていたのか」
「どんな構え……。確か、こうだったような」
咄嗟の出来事だったから殆ど覚えてないけど見様見真似で真似してみる。足を少しだけ開いて腰はそのまま、刀は前に。
イルシアはその姿を見ただけでどんな場面だったかを的確に見抜く。
「それじゃあ攻撃を受ける側だったでしょ。びっくりしてそう構えた?」
「あ、当ってる」
「う~ん。咄嗟にそう構えるって事は、基本的には防御の方が得意なのかな」
すると1人で呟きながら考え始めた。
いや、まだ自由に構えただけなんだけど……。そんな戸惑いなんか目もくれずに思考を続けている。
やがて顔を左右に振ると早速無茶振りをかました。
「とりあえず今はいいや。早速撃ち込んでみて」
「あ、ああ」
木刀を構えたイルシアに剣先を向ける。
しかし撃ち込んでみてと言われてもどう撃ち込めばいいのか分からない。とりあえず攻撃しようとそれっぽい構えで足を踏み込んだ。
でも、
【■■―――■――■■■―】
あの時の様にまた何かが流れ込む。
それと同時に腰を低くして重心を前の左足に乗せ、思いっきり地面を蹴り飛ばした。両手に横へ構えた刃は吸い込まれる様にイルシアの持つ木刀へと向かっていく。
気づいた頃には振り払いの2連撃が相手の木刀へ命中していて。
――また勝手に!?
着地時につまづきながらもイルシアを見ると驚愕した表情で硬直していた。自分自身でさえも何が起こったのか分からない。だけど確かに掴めた感覚は攻撃が当たった事だけ。
ゆっくり振り返ると小さな声で呟いた。
「……今のが、体が勝手にってやつ?」
「ああ。そうみたい……」
「その動き、私の使う剣術と全く同じなんだけど」
「えっ?」
あの時は意図的にイルシアの動きを真似して攻撃した。でも今の攻撃は全く意識せず、ただ木刀を振ろうとしただけだ。なのに何でイルシアの動きを――――。そんな問いに自分でも動揺する。
驚愕から立ち直ったイルシアはもう1回構えた。
「もっかい私に攻撃してみて」
「分かった」
そうして今度は違う構えで走り出す。
踏み込みの時には何の異常も無かった。あとはイルシアに攻撃を当てるだけ。と思っていると普通の構えから急速な動きで木刀を振り、無防備な状態のティアルスに攻撃した。
絶対に当たる。そう思った。
でもまた無意識に足が動いて。
「なっ!?」
急速なフェイントにも関わらず木刀の下を潜り抜けて攻撃を回避した。
その速さに流石のイルシアも声を上げる。
だけど彼女以上に驚愕しているのは本人のティアルスで。
「俺、今、躱した……? あんな急な攻撃を……?」
「うん。確かに躱した。普通のティアルスなら絶対に当たるって思ったんだけど」
「俺も絶対に当たるって思った」
「って事はまた勝手に動いたのね」
自分でも分かる。あれは絶対に躱せない。あんな速度のフェイントをどうやったら躱せるっていうんだ。
……でも実際に躱せた訳で。
「もしかしたら本当のティアルスは私と同じ剣術を使う剣士だったのかな」
「だといいな……」
今の動きが自分の記憶って事なのだろうか。
思い出せないだけで、過去にイルシアと同じ剣術を使って戦っていたのか……? どれだけ考えたって憶測の範囲は出ない。
額に手を当ててまで考えているとイルシアが呟いた。
「ティアルスの言う通り、戦いを通して刀を振ってれば何かを思い出せるかも知れない。今も実際記憶の欠片を見れた訳だし。つまり……」
「つまり……?」
「私と一緒に朝霧の森へ行く。……まあ戦闘があるかも分からないけどね」
最終的にそんな結論に辿り着いた様だった。
とりあえずは目標が決まった事に安心するけど、イルシアにとってはまだまだ安心は出来ない。だから次々と色んな事を叩きこまれる。
「じゃ、更に詳しく検証してみましょ。どんどん撃ち込んできていいよ」
「でも型とかの話は?」
「もし私の使ってる剣術なら型を教える必要はないから問題なし。そうとなったら技に磨きをかけるだけ」
「そういう事か」
確かにそれなら修行の期間を大幅に減らせる。そうなれば朝霧の森へ行く準備がしやすいという訳か。
ティアルスは両手で握るともう一度腰を低くした。
そしてまた前へ飛び出す。
直後に、木製の剣戟音は山の中に鳴り響いた。
―――――――――
夕方。無我夢中で撃ち込んでいたら既にそんな時間になっていた。
あらかた技の検証も終わった所で一息つくと、全く疲れた様子を見せないイルシアは自分の剣術について語り出す。
「……ティアルスの使ってる剣術だけど、私と同じ《桜木流》を使ってるみたい」
「さ、桜木?」
「そう。桜木って単語がどこから来たのかは知らないけど、とにかくそんな名前の流派。桜の如き美しく舞~ってのが建前。本当はいかに技を繋げられるかって流派なの」
初めて聞く名前だ。聞いただけでも特にピンとは来なかった。
――でもその瞬間、何で自分が桜を知っているのかって疑問へと至る。覚えても無ければ聞きなれない言葉でもある。知っているのはただ美しいと言う事だけ。なのに何で……。
「……桜って、どんな花なんだ?」
「桜? 桜は綺麗な桃色のこんくらいの花で、大きな木から舞い落ちる花弁は凄く綺麗なの」
「そうなのか」
イメージとぴったりだ。
っていう事は、記憶を失くす前から桜の存在を知っていたって事になる。これも何か関係ある物なのか。
そんな風に考えていると今度はイルシアが疑問を抱いた様で。
「でも不思議なのよね」
「何が?」
「《桜木流》って使用する人が物凄く少ないの。世界のどこを探しても完全に使える剣士は10人もいないって師匠が言ってた」
「10人もいない!?」
「そう。理由は特定の人しか譲渡されないから。ならティアルスが《桜木流》を使える可能性は物凄く低いはずなんだけど……」
まさかそんなに少ないのか。
あまりの少なさに疲労さえも飛び抜けそうになる。
でもその直後にある事に気づいたからすぐに問いかけた。
「って事は、イルシアってどんな理由でその剣術を譲渡されたんだ?」
「それは……ええと……」
イルシアは何故か困惑する。何か話しずらい理由でもあるのだろうか。
その姿に顔をしかめているとまた昨日のように体を震わせた。すると少し俯いて硬直してしまうから体を揺すったりする。目の前で手を振っても反応無し。
名前を呼んでからようやく反応してくれた。
けど、
「どうしたんだ?」
「――ごめん。ちょっと用事を思い出した。ここで待ってて」
「えっ?」
そう言ってまた驚異的な脚力で飛び去ってしまった。
昨日もこんな感じで行ってしまったし、この山で何かが起こっているのだろうか。それを教えてくれない辺りティアルスに気を使ってくれてるはず。
ティアルスは家の前で1人取り残されたまま沈黙した。技の検証をしたのはいいけどそれ以外には何も出来なかったし、修行としてこれはいいのかどうか……。
とりあえず昨日と同じく山下りでもしようと家の中に刀を置こうとした。
だけどその瞬間に。
――助けて。
「っ!」
どこからか助けを呼ぶ声。方角を探そうと必死に耳を澄ますけどそれ以降は何も聞こえない。見ただけでもどこにいるは分からなかった。
とても寂しそうで切なそうな声――――。
無視したくても出来ない。今の声を聞いてしまったら。
ティアルスは嫌な予感を感じつつも木刀を家に戻し、昨日の戦いで魔物の血に染めた真剣を握る。
「……行こう」
この森に何がいるのかはまだ分からない。
だけど助けてあげたい気持ちと好奇心に駆られて森の奥へ入って行った。
何があるのかも分からないのに。