第一章3 『嫌われ者の嘘』
一瞬。本当に一瞬の出来事だった。
目で追えるどころの話じゃない。気が付けば既に起こっていたのだから。
突如現れた鎌の脚。だけどイルシアは稲妻の如き速さで刀を抜いて、あまつさえ弾き飛ばした。家を突き破る程の威力と速度を持った鎌を。
「全く、随分と暴れん坊なんだから」
「な、だっ、大丈夫なのか!?」
「私? 全然平気だけど?」
あれ程の威力を片手の振りだけで弾き飛ばすだなんて誰が思えただろう。
でもイルシアはそれが当たり前と言う様な表情で言ってのけた。右手で握る刀には刃毀れ1つなく、それどころかティアルスの顔を反射するくらいの切れ味を見せつける。
そうして貫通した家の向こう側で暴れる物を見た。
異形の化け物――――。その言葉が正しいだろう。鎌の様に鋭い6本の脚に体がくっついた蜘蛛の様な化け物だ。この世の物とは思えない姿に恐怖感を覚える。
するとイルシアは頭を撫でて笑顔で安心させた。
「大丈夫。私が絶対に守って見せるから」
「イルシアは……?」
「戦うんだよ、あいつと。攻撃されたんなら攻撃し返さなきゃね」
そう言って刀を両手で握る。
無理だって言おうとしても上手く口が動かせない。恐怖で口が強張っているのだろうか。でもそんなティアルスにある言葉を投げかけた。
「――大丈夫。私がいる」
彼女との付き合いはまだ1日にも満たない。せいぜい半日程度。
だけどそう言ってくれた言葉と、彼女の背中が伝えている。絶対に大丈夫だと。イルシアにはまだ不思議に思う所や信じきれない所もあった。でもその言葉だけは胸に響いて。
横顔で強気な笑顔を見せたイルシアは言う。
「ま、見てなさいって。私の……強さ? 勇気?」
「台無しな気が……」
「とりあえず大丈夫だからっ! 信じていいよ!!」
強気な笑顔を苦笑いへと変えつつも最後にそう言った。
その会話の直後に姿勢を低くし、地面を蹴ったと思ったらその反動と風圧がティアルスを襲う。びっくりしながらも戦場を覗いた瞬間に驚愕する。
あれだけ固そうに見えた足が一瞬で切断されていたんだから。
「すご……」
その一言しか出て来ない。
長い銀髪と蒼の羽織をはためかせながら舞う様に戦うイルシアの姿はまさに美しく、まるで桜が舞い散るみたいな動きで機敏に刀を振っていた。
でも、何故かその剣筋に見覚えと言うか、既視感の様な感覚を覚えた。どこかであの戦い方を見た気がする。っていうかやっていた気がする。
――鼓動が大きく跳ね上がった。
魔物は冒険者みたいな恰好をした人なんか無視してイルシアにだけ攻撃対象を絞る。だけど魔物の攻撃は一度たりとも当たらない。それどころか掠りもしない。全て回避か余裕の動きで弾かれている。
縦の大振りも余裕で回避し、鎌の脚を辿って本体へと駆け上がる。
そして刀を大きく振りかぶって間合いに入った瞬間。
「はぁッ!!」
目にも止まらぬ速さで3連撃を繰り出した。
完全に真っ二つ……いや、真っ三つに切り裂かれた魔物は毒々しい色の血っぽい何かをまき散らしながら音を立てて地面へと倒れる。
直後に無数の細かい霧となって消滅してしまった。
少しだけ流れ込む静寂。
その後には歓声が巻き起こって――――。
「…………」
俯いて黙り込むイルシアには拍手しか届かなかった。全員ではなく一部の人だけの。しかし戦った冒険者や衛兵には労いの言葉などが送られ、讃えられていた。
何でそうなる。イルシアがいなかったらどうなっていたか分からなかったのに。
そう思って視線を向けた瞬間に察した。拍手しかない理由も。
――恐れているのだ。イルシアに言葉を投げかける事を。
何も街の人全員が彼女を嫌ってる訳じゃない。中にはお礼を言いたい人だっている。だからこそそういう人達はせめてもの感謝で拍手しか伝える事が出来ないのか。イルシアにお礼を言うとどんな目を向けられるか分からないから。
それもこれも、全てイルシアが嫌われているだけの理由で。
ふと、イルシアは消え去った魔物が残した青黒の結晶を手に取った。
じ~っと見つめるからどうするのかと思ったけど、その結晶を前にいる冒険者達に投げつけてその場を後にする。
合流しなかったのはティアルスを仲間と思わせない為だろうか。
だから少し遠回りしながらもイルシアが歩いて行った方角へと向かう。
その時に振り返って見つめ続けた。
イルシアに興味を示さない人と暗い顔をしてイルシアを見つめる人を。なんでって思いを抱えながら。
その後、何とか路地裏でイルシアと合流する事が出来た。けどイルシアの表情は未だに暗いままでさっきの様な明るさは微塵も残ってはいない。
だから何とか元気付けようと思って言葉を探した。
「さっきの、凄かった。あんな大きなばけも――――魔物に向かって行けるなんて、凄く尊敬する」
「そんなんじゃないよ。ただ必死に戦ってただけ」
「…………」
「…………」
でもすぐに言葉が途切れて互いに黙り込んだ。
何か言わなきゃ。そう思っても上手く言葉が湧き上がって来ない。
少しの静寂を得て口を開くと、今度はイルシアの方から先に喋り始めて。
「見たでしょ、あの反応」
「……ああ。見た」
「私はこの街から、少なくとも一部を除いて嫌われてる。だからあんな微妙な反応をされるのよ。――お礼を言いたい人もいるのが唯一の救いだけどね」
今さっきの光景をもう一度思い出す。あの暗い表情をした人達を。
何でイルシアが嫌われるんだって何度もそう思う。そしてその思いは無意識の内に口からこぼれ出てしまう。
「何で。何でイルシアが嫌われなきゃいけないんだ。だってイルシアは優しい人で、俺の事を助けて……」
さっきも出て来た言葉。
でもイルシアは暗い表情のまま変わらず目を逸らしてしまう。
その瞬間に理解した。出会ってからまだ間もないのに踏み入り過ぎてしまったと。人には聞いて欲しくない過去ぐらいある。なのにいきなり踏み込むなんて、さすが無遠慮過ぎただろうか。
「……ごめん」
「謝らなくていいの。これは私の問題でもあるから」
咄嗟に謝ったティアルスにそう言ってくれる。
ポンポンと頭に手を乗せた後にも心配させない為に言った。
「ちょっと暗い雰囲気になったけど平気よ。はぐれ者の運命みたいなものだし」
そうしてイルシアは通り過ぎて路地裏から出ようとした。ティアルスも最初は深入りせずに納得してついて行こうと思っていた。
だけど不思議な事が起ったのと同時に片足を踏み入れる。
「――嘘だ」
すると軽い足取りで出ようとしていたイルシアは石化したかのように動かなくなった。その背中に向かってあまりにも無遠慮な言葉を投げかける。
「平気なんかじゃない。イルシアは心のどこかで傷ついてる」
何故だか分からない。だけど確かに分かったのだ。
イルシアには嘘を付いた『色』が見えたから。別に視界の中のイルシアからそんな色が飛び出した訳じゃないけど、確かに分かる。嘘を付いているって。
ゆっくりと振り向いたイルシアは目を皿にして鋭く息を吸う。
「…………!」
妙な反応の後に黙り込むと、少しだけ考えた後にゆっくりと頷いた。その表情は仮初の笑顔から苦しいような表情に変わる。
「そうね。多分、そうだと思う」
「何でそ……違う。なら、俺にも出来る事ってないか」
「えっ?」
「イルシアが助けてくれたみたいに、俺もイルシアの力になりたい。困ってるのなら助けてあげたいから」
すると一変してきょとんとした表情になる。
そんな表情になるのもすぐに理解出来た。「どうして嫌われ者の私に?」って、多分そういう理由なはずだ。だからこそ言える事だってある。
「イルシアの事はまだ半日分しか知らない。だけど凄く優しい人だって事は分かるんだ。訳も分からない存在の俺を助けて記憶を探す為に協力してくれるくらいに。そんなイルシアを知ってるからこそ、俺も力になりたい」
「え、えっと……」
「何でもいいんだ。俺に出来る事なら」
まるで善意の押し売り。
だけどイルシアは迷惑がる事も無く、ほんの少し考えただけで受け入れてくれた。
「じゃあお願いしていいかな。まず最初に、そうね……。お話しよっか」
「お話?」
「そう。まあ、お話って言っても、私が少しでも楽になりたいだけなんだけどね」
少し苦笑いを浮かべて言った。でも今のティアルスはそれでいいと頷く。もしそれでイルシアが少しでも楽になれるのならと。
そうしてまた手を引いてくれる。今度は駆け足でもなく普通の歩幅で歩きだし、路地裏から森の方向へと歩き出した。
ある程度街から離れた所で語り出す。
「ここまで来ればいいかな。それじゃあまずは……ティアルスが一番気になってる私が嫌われた理由にしよっか」
「う、うん……」
このまま家まで帰るつもりなのだろうか。山の奥へと歩き出すイルシアを追いながら話を聞く。自分で聞いておいてなんだけど、改めて聞くと凄く覚悟がいりそうな気がして緊張する。
そんな事さておきとイルシアは話し出した。
「私ね、英雄に憧れてたの」
「英雄?」
「うん。世界を救った大英雄」
確か自らの力を犠牲に平和へと導いた存在だっけ。ティアルスもそう言うアレはよく分からないけどかっこいいとは思っていた。自己犠牲だなんて凄い覚悟がいるはずだから。
「元々は師匠が憧れてたんだけど、私もその大英雄に憧れてさ。誰もを助ける人になりたいって思って刀を振ってた。だけど――――」
「だけど……?」
「待ち受けてたのは失望と失態。普通、異変とかって衛兵とか騎士とか冒険者が解決する物なの。だけど私が全て解決する物だから別の意味でも注目されちゃってさ。憧れの行動が返って失望される結果になっちゃったの」
「そんな!」
イルシアの言葉が信じられなくて声を上げる。
だって、異変が多く解決されるのっていい事なんじゃないのか。なのに何でイルシアが嫌われなきゃいけない。
その理由はあまりにも現実的な物だった。
「異変を解決できないと騎士や衛兵の信頼は崩れ落ちていく。はぐれ者の剣士に手伝ってもらわないと何も出来ないのかってね」
「何でそんな事に……」
「仕方ない事なの。剣士が衛兵より多くの異変を解決する事は、本来ありえない事だから」
それ程なまでにイルシアが強いって証拠にもなるし、逆に言えば衛兵が弱いという証拠にもなる。なら依頼という形式で雇ったりすればいい話じゃないのか。なんでそうなってしまった。そんな疑問は絶えない。
ようやく横顔で表情が見える。
でも、それは決して明るい物じゃなくて。
「――だから私ははぐれ者の剣士になった。だからそうなった私は、英雄にはなれない」
「そんな事ないはずだ。今からでも――――」
「一度根付いた印象は相当な事が無い限り変わりはしない。だから私は英雄にはなれないのよ」
それは分かりやすい程の諦観だった。
語られた嫌われ者の理由。だけどそれはあまりにも重い物で、彼女の事をまだほんの一欠けらしか知らないティアルスは何も言えなかった。
だけどこれだけは分かる。
――また、嘘を付いてる『色』が見える。
イルシアが嘘を付いてるんだって事は。