第三章46 『振りかざす正義』
「何故、私に着いて来るのですか」
「僕はあなたに助けられました。そして生きる道も。凄く温かくて、凄く嬉しかったです。けど……何と言えばいいか、あなたの瞳は曇ってる気がするんです」
「曇ってる……?」
「はい。だから! あなたに助けられた様に、今度は僕があなたを助けたいんです! その瞳に掛かってる霧を晴らしてあげたい!!」
「…………」
曇りなき眼で見つめて来るリヒトーにオルニクスは戸惑った。瞳が曇っているだなんて、自分自身でも認識できるような物ではないから。
純粋だからこそ見抜けた事……なのだろうか。彼は拳をぎゅっと握りしめると正々堂々と言った。
「だから僕はあなたについて行きます!」
そんな光景を傍から見つめていた。
リヒトーの抱いている感情は本物だ。助けられたから助けたい。困ってるみたいだから助けたい。その優しさは本物の心だった。だからこそ英雄に憧れたのだろう。
吸血鬼になり、英雄にはなれないのだと悟っても焦がれ憧れを追い求める姿――――。イルシアに近しい何かを感じて胸の前で拳を握った。
――助ける……。
今のリヒトーなら絶対に出て来ない言葉だろう。この過去がどれくらい前の物なのかは分からないけれど、過去のリヒトーはこんなにも優しく純粋な瞳をしていただなんて思いもしなかった。
でもそれ以上に大きな感情がティアルスの心を貫く。
哀れみ、って言った方がいいのかもしれない。
こんなにも眩しくて儚い記憶を見てその感情が出て来たのだ。今の二人にも主従という関係はあるかもしれない。けれどソレとは違った関係を感じた。師弟の様な関係を。
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ある日、オルニクスの背中をてくてくと付いていくリヒトーはついに確信へと踏み込もうとした。彼を労って茶を置きながらも問いかける。
「……師匠。過去に何があったか、聞いてもいいですか」
「…………」
でも返って来た答えはいつも通りの沈黙。そしてより一層深くなる霧と瞳。それらを見ていつもは話を終わらせるのだけど、今回だけは強気に問いかけた。
机に手を突いて前のめりになると顔を近づける。
「僕が師匠の悩みを解決してあげます! だって、師匠はいつも暗い表情ばかりをしているから、僕は師匠の、えっと……笑顔が見たいんです!!」
リヒトーがそう言う度にオルニクスは奥歯を噛みしめた。離せない過去があるのは当然だろう。言い方は酷いけど大罪教徒の司教なんか務めてるんだから。
そして気づいた事がある。リヒトーはここにいるべき人間ではないと。
彼を突き動かしているのは底なしの優しさだ。それがあるからこそリヒトーはオルニクスを助けたいと心の底から思えるし、その為に動ける覚悟が出来ている。
でも、なら彼がいるべきなのは冒険者ギルドとかが最適だ。とてもじゃないけど、誰かを助けたいって全力で思える人が人殺しの集団に留まるのは違うだろう。
けれどこれは彼自身が選んだ道だから――――。
「師匠の笑顔が見たい。だから僕は何でもできます!」
イルシアとは真逆の人生。そう思った。
リヒトーは憧れという未来に囚われ、その過程で誰かを救おうと足掻き続けている。けれどイルシアは罪という過去に囚われ、その過程で多くの命をその手で奪って来た。その差に気づいた瞬間から悔しさみたいな感情が胸を刺す。
「どうして、そこまで……?」
けれど二人とも原点だけは決して違わない。みんなそうだ。どんなに道が違っても原点だけは絶対に違わないんだ。
――英雄になりたい。誰かの助けになりたい。その心は本当で嘘じゃない。
だからこそ心の底からこういう事が出来る。
「僕があなたを助けたいから!!」
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オルニクスの笑顔が見たい。その心に嘘は無かった。
助けられたからという理由でもなくて、助けた見返りが欲しかったわけでもない。ただ自分が助けたかったから助けたいと言ったまで。その為ならどんな事でも出来た。
……まあ、人殺しはしなくて自分で出来る範囲でって条件があったけど。
それでも、彼を救う事は出来ずとも変える事は出来ていた。今まで一度も笑わなかったオルニクスだったけど、リヒトーと過ごしていく内に表情が穏やかになったのだ。笑う事は無い。でも口元が緩くなったり瞳の霧に変化を見せる。
「師匠、最近変わりましたね」
「そ、そうですか……?」
「はい。何と言うか穏やかになりました」
リヒトーもその変化に喜んでいた。普段冷たい表情しかしなかった人が穏やかな表情になったのだ。そんな些細な変化でも喜ぶだろう。
眩い笑顔を向けられるオルニクスも彼の真似をして笑って見せる。それも不器用でとても笑顔とは言えない顔だけど。
「……あなたのおかげですね」
そう呟くとリヒトーは嬉しそうに満面の笑みを見せた。
師弟……っていうよりかは親友という表現の方が近い関係にティアルスも顔を綻ばせる。二人の間に流れる空気は凄く温かいし、見ているだけでも心が温かくなってくるから。
でも、だからこそ次の記憶を見た時に驚愕する。
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何度も考えた。何度も試した。けれど、変える事は出来なかった。
何年たってもオルニクスの笑顔を見る事は出来ず、その度に彼は自分には救えない程の過去に囚われているんだと察する。だからこそ助けたくて奔走するけど何年たっても変わらず。
気が付けば体も大きくなり、人間と同じ速度で成長する体に困惑しつつも日々諦めずに話しかけた。
「師匠! 今日は人里で何やら大きな祭りが開かれてるとの事です! よかったら一緒に――――」
「やめなさい」
でも強く言われた一言に遮られては歩みを止める。
黒髪から長い白髪へと変わったオルニクスは今回に限って冷たかった。これを見せればきっと何かが変わる。そう確信していたから意地でも説得して見せた。
「でも、これを見ればきっと師匠も何かが変わります! 私の笑顔じゃなくて、これを見れば……!!」
「やめなさい」
「――――っ」
直後に放たれた威圧。――――いや、殺気。それに当てられてつい腰を抜かした。
オルニクスは本当に怒っているんだ。リヒトーが人里で開かれる《剣舞際》なる張り紙を見せたせいで。
けれどこれを見れば変わるはずなのだ。彼が話してくれた過去を聞いてそう悟った。憧れと憧れがぶつかり合う火花。何人もの青春や夢が乗っかった戦い。それらを見せれば、きっとオルニクスも憧れを取り戻してくれるはず。……そう、思っていた。
だから拒絶された瞬間に思い知らされる。
「心のない私に心がある者の戦いを見せて何になるんですか」
「…………!!」
彼の抱える莫大な絶望は、自分だけじゃ絶対に払えないのだと。
だからこそ決意する。自分の手で救う事が出来ないのなら、せめて彼の望んだ方向へ歩ませてあげたいと。
それが諦めなのか妥協なのかは分からない。けれどそうする事によって少しでもオルニクスの心が解放される気がした。
故に自分を捻じ曲げる。誰よりも助けたい人の為に何もかもを。憧れも、夢も、願いも、何もかもを投げ捨てて彼について行くと決めた。何も捨てずして誰かを救う事なんて絶対に出来ないから。それが助けられた自分に出来る唯一の“償い”だから――――。
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「ッ!!」
重い攻撃に体ごと弾き飛ばされ、何とか転ばずに耐え切ると膝を付いた。オルニクスの記憶を見て心に影響を及ぼしているんだ。
きっとこれがアイネスの言っていた事だろう。
――これが、正義の刺さる痛み……。
今までティアルスは相手の過去なんか知らずに全ての敵を斬り伏せて来た。でも過去を知っただけでこんなにも刀が重くなる物なのか。
全く動かない。彼の過去を知って、正義を振りかざされて、心に刺さった正義が痛くて刀を動かせなかった。
――でも!
迫るリヒトーへ無理やりにでも体を動かし刀を振る。間一髪で攻撃を弾いたティアルスはすぐに蹴りを入れて距離を開ける。すると残った全員がティアルスを守る形で陣形を組んだ。
彼もティアルスの意志や記憶を見て自分自身の記憶も見られていると悟ったのだろう。攻撃せずに立ち尽くすと喋り始めた。
「その顔だと我の記憶を見た様だな。……それが現実だ。英雄などなれるものではない! だからこそ我は憧れを投げ捨てた! だからこそ私は全てを諦めた!!」
「私……?」
いきなり一人称が変わった事にクロエが困惑する。
そうか。「我」という一人称は自分を忘れる為にわざと呼んでいた一人称だったんだ。かつての自分を焼却する為に、自ら自分を忘れて。
だからって立ち止まる訳にはいかないけど。
「誰もを救えるなど絶対に不可能だ! 英雄は口だけの偽善者に過ぎない! この世界に存在する絶望なんて、誰かに払える物では――――」
「あなたに英雄の何が分かるの!!」
するとリヒトーの言葉に反応したクロエがそう叫んだ。
でも彼の言う事も一理ある。オルニクスが言ったみたいに、英雄は偽善者に過ぎないだろう。英雄譚の裏では救えなかった人も多いはずだから。
クロエの肩を掴んで落ち着かせると口を開いた。
「確かにそうだ。俺だって、英雄に憧れても誰かを救えた訳じゃないから」
「ティア……」
「でも、その憧れ自体は間違っちゃいない。誰かを救いたい。出来るのなら全ての人を救いたい。その理想は揺るぎない『綺麗事』だ。例え叶えられなくたって、お前みたいに間違いなんだって思い知らされたって、その理想そのものは何も間違いじゃないんだ」
彼の言う事は間違ってはいない。でもティアルスの言う事だって間違ってはいないはずだ。イルシアの言っていたみたいに、英雄は命懸けで理想を貫き通す人だから。
「絶対に無理だって言われても。自分を否定されても。愚かでも惨めでも、それでも理想を貫き通すから英雄って言われるはずだから……」
刀を握る。リヒトーの振りかざした正義は未だに痛いままだ。
彼がオルニクスを思いやる気持ち。救えないと知ったからせめてもの償いをする気持ち。それらはよく理解出来て、それを彼の正義と認識する事が出来るから。
「だから俺もそうする。お前に絶対無理だと言われても。俺の存在を否定されても。それでも俺は絶対にみんなを守り抜く。俺の描く、理想の英雄になる為に」
「……っ!」
「そう易々と倒せるなんて思うなよ」
その時に振りかざしたティアルスの刃にリヒトーの顔が映り込む。
そして、互いの正義を押し通す為に同時に地面を蹴り飛ばした。




