第一章40 『迷宮の主』
キャンプ地で夜を過ごし、クライ達は体調も万全だった。
「よし、目指せ踏破だよ!」
『おお!』
メアリの掛け声と共にダンジョン探索を再開。
数度の戦闘を乗り切り、一同はようやく未知なる領域にまで到達した。
「ここ、本当にダンジョンの中なんですよね?」
シェドが怯えたようにキョロキョロと辺りを見渡しながらつぶやいた。
地上でも滅多に見ることの出来ない緑に包まれた通路は、段々と木々で覆われていく。
「みんな、そろそろ気を引き締めておくんだ」
「ど、どうしてですか?」
ミスティールの問いに、クライは真剣な表情で答える。
「そろそろ、迷宮の主が出てくるポイントに差し掛かる」
『――!』
その一言で緊張感が一気に高まった。
――というのも、宿舎での会議でクライは「迷宮の主」と言うものに関しての説明をしてある。
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それには、数日前に遡る必要があった。
『迷宮の主?』
メアリが首を傾げる。
『そうだ。ダンジョンには必ず、最深部を守る魔物がいる。それが迷宮の主だ』
『ほう、なかなかに強敵そうだな』
『アスカの想像の何十倍も強いだろうな』
『そこまでか……?』
『そうだ。今回の挑戦、鍵になってくるのは間違いなく迷宮の主だろうな』
その言葉に、メンバーは息をのんでいた。
だが、クライは伝える必要がある。
『迷宮の主は、上級ギルドに所属してる者が束になっても苦戦する魔物だ。周りの小物とはレベルが違うからな』
『そ、そんなのに、勝てるんですか?』
『正直、それが難題になる。勝てないと判断した場合は逃げよう』
『わ、わかった。さすがに勝てない相手に立ち向かうわけにはいかないもんね』
アスカは不満げだったものの、メアリの言葉に全員の意思決定がなされた。
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「みんな、気を引き締めて――」
ガササッ!
メアリが後方から声をかけた瞬間、クライは奥の方で動く大きな影を見逃さなかった。
「来るぞ! 構えろ!」
クライの言葉通り、奥から現れたのは巨大な大樹。
人面樹木の十倍ほどの大きさを誇り、腕の機能を果たす枝が六本と根元には足代わりの根っこが無数に伸びる。
「クライさん、これって人面樹木、ですか?」
「戦い方は同じだ。だが、こいつは違う。新緑のダンジョン、コヤードを支配する迷宮の主、人面大樹だ」
「ギエエエエエエエ!!」
人面大樹がおぞましい叫び声を上げた。
そして六本の腕を伸ばして攻撃してくる。
「さあ、腕の見せ所ね!」
アスカとレクシスがいつもの様に前線に出ようとしている。
だが、これでは駄目だ。
「アスカ! その腕は剣で受けるな! 交わすことに専念しろ!」
「――! わ、わかった!」
「レクシスもだ!」
「了解!」
全長十数メートルはあろうかという奴の腕。
あれが振り払われて受けきれるのは、熟練の探求者のみ。彼らでは吹き飛ばされるだけだ。
「グガアアア!」
ブオオオオンッッ!!
人面大樹は腕を器用に振り払うと、突風が巻き起こる。
「くっ、このっ!」
「うわわああ!」
アスカはどうにかあれを避けきるが、レクシスは風圧で体勢を崩し、そのまま吹き飛ばされる。レクシスはゴロゴロと転がり、その場に倒れてしまった。
「レクシスさん!」
「アスカ、前衛を任せた! シェド、位置を確保するんだ」
「で、でも、レクシスさん、動いてないです……」
「大丈夫だ。俺が向かう」
あの威力をまともに受けたら、メアリの回復では追いつかない。
「……!」
さらに陣形が乱れている。アスカは辛うじて前線にいるが、レクシスは負傷、シェドやミスティールは足がすくんで動けそうにない。
さすがにまずいな。
全員の位置は把握しているが、彼らの足が動いていない。
このままで負ける。だが――。
「メアリ、指示を任せる! ミスティ、予知は人面大樹の行動に集中!」
「わ、わかった! シェド、ミスティ、計画通りに動いて!」
「はいっ!」
「りょ、了解です」
あちらは任せるしかなさそうだな。
「不動の陣、アスカを対象にする!」
杖をトンと地面に着き、そこからアスカに付加を行った。
不動の陣を使えば、風圧や振動で動きを阻害されることなく行動できるようになる。効果時間はおよそ三分。
この中で唯一、人面大樹の伸縮する複数の腕の動きを見切って、尚且つ単独で行動が出来そうなのはアスカだけだ。
これは想定通り。しかし思いの外、他のメンバーが動けていない。
「アスカ! 一騎討ちは任せたぞ!」
「了解した! はああっっ!」
アスカは前線に留まり、陣の効果もあって人面大樹の腕を避けながら立ちまわっている。
この機に、ひとまずはレクシスを救出するべきだ。
「レクシス! 立てるか!」
蹲って動けそうにないレクシスに駆け寄ると、彼は苦笑いを浮かべていた。
「掠った、だけ、なんだけど……はぁ、はぁ、足が動かねえ……っ」
「喋るな。息をするのも苦しいはずだ」
「す、すまねぇ、兄貴」
やせ我慢で笑っているが、かなりの痛みを伴っているはずだ。レクシスは膝の部分を抑えており、そこが損傷したことは目に見えてわかる。
「ふぅ……少し我慢しろよ。今治す」
「んぎっ!」
レクシスの膝に手を当てると、すぐにわかる。これは完全に折れてる。
回復専門じゃないが、レクシスが動けない場合、アスカの負担が大きすぎる。
「形あるものよ、原形をとどめよ。リバイバル……」
杖を膝から浮かせるようにかざし、緑色の光で膝を包み込んでいく。こちらの魔力が削り取られるが、痛くもかゆくもない。
「――! う、動く! 兄貴、助かったぜ!」
「すぐにアスカの援護に回ってくれ。不動の陣……」
「任せろ! 待ってろ姉御!」
レクシスが駆け出していくのを見て、周囲を見渡し、メアリとミスティールがいる中央地点まで戻った。
「クライさん、あの魔物の攻撃パターンが、ランダムで予知できません!」
戻るなり、ミスティールは泣きそうな顔で訴えてくる。
「落ち着け、ミスティ。まずは他の状況を見ながら――」
そんな高度なアドバイスを出しかけ、俺は周りを見た。
「まずい……」
「え?」
「と、とにかく二人の邪魔にならない様に、えっと、その、狙い撃って!」
『そ、そんな指示じゃ撃てません!』
メアリもシェドの使い魔に指示を出しているようで、キョロキョロと右往左往していた。
「姉御っ!」
「平気よ! 今、燃えてきたところ!」
レクシスとアスカは攻撃を凌ぐことは出来ていたが、決定的な攻撃を与えられていない。
「……っ!」
状況は、よくない。
完全にこちらが後手に回っていた。後手というのは、守りのようなものだ。
守るだけでは勝てない。
「くそっ! こんなに強いのかよ!」
「最強を名乗ろうとしていた自分が、恥ずかしくなるな……」
前線の二人が苦しそうだ。
「シェド、アスカ達の手助けをして!」
『む、無理です! 動きが複雑で……下手すれば、レクシスさん達に当たってしまいます!』
シェドも攻撃できない。メアリの指示も不安定だ。
「クライさん、わたし、何をすれば……」
「ミスティ……」
ミスティールもまた、状況にパニックを起こしつつある。
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思えば、こうした圧倒的な状況を、彼らは経験したことが無かった。足がすくむことも、状況判断に戸惑うことも、あれほど巨大な魔物を前にすれば起こりうることだ。それを計算に入れていなかった。
彼らは悪くない。
見通しが、甘かった。
俺が馬鹿だった。
少し出来るようになった探求団が陥る罠。それは、過信だ。
しかし今回のそれは、この中の誰でもない。俺が陥っていたことだ。
経験者である俺が、あろうことか彼らの腕前を過大評価しすぎていた。
きっとリリーゼ達に怒られる。結成から一か月足らずで、ダンジョン踏破なんて夢みたいな話だ。経験者がいても難しいのに、可能なはずがない。
口では説明が出来ていても、実際に目の前にしたら反応できなくなる。人間とはそういうものだ。いくら迷宮の主の危険性を訴えても、全体の五割程度が伝わっていればいい所だろう。
それに何より、場数を踏ませたはいいが、彼らの成長を完全に把握しているようで、出来ていなかった。錯覚していた。
俺が立ち回らせていたことで、彼らの実力があるように、錯覚していた。
この団には、曲がりなりにも経験者のクライ=フォーベルンがいたことを、計算から外していたんだ。
俺がいたから、夢幻の探求団は強く見えてしまった。
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「クライさん!」
ミスティールの声に我に返った。
目の前には奮戦する仲間の姿があるが、アスカは満身創痍で戦っており、レクシスもまた腕に吹き飛ばされながらアスカを援護しようと必死だ。
誰一人、諦めていない……これでは駄目だ。
「……」
ジャッジを下すべきか?
「諦めないよ!」
「……!」
「私達は諦めないから、クライの指示をちょうだい!」
『諦めないから、指示お願い!』
迷っていた時のメアリの一言に、かつて、死ぬほど後悔した瞬間を思い出した。
宝石のダンジョン、カラットの深層でマリーが叫んだ言葉だ。
彼女の言葉を信じた俺が、その後の末路を知らないはずもない。
「クライ!」
「兄貴!」
『クライさん!』
「クライッ!」
メンバーが俺を呼んでいる。指示を仰いでいる。勝つための指示を……。
だが「諦めない」という言葉は聞こえこそいいものの、結局は根性論でしかない。
それはダンジョンではまったく意味がない。
勝てる保証がないのに、諦めないというのは「無謀」だからだ。死亡リスクを高めるだけの気休めの言葉だ。生きるか死ぬかを天秤にかけるダンジョンでは、信じてはならない。
「駄目だ……これじゃあ、勝ち筋が消えてく」
「……クライさん?」
かと言って俺が前線で戦うには、みんなが壁になってしまう。
巻き込むわけにも、ここで彼らを死なすわけにもいかない。
俺は戦術士。
戦術士は、常に団にとって最善の手段と選択を求められる。
流されることがあってはいけない。根性や感情ではなく、状況だけで最善を判断し、団を導くことが存在意義である。
恨まれても、構わない……あの時の躊躇いは、もう二度と――。
「ミスティ……これから俺は、最低な事をするよ」
「え? どういう――」
「俺はお前達を、一時的に信用しない……これが、戦況を乗り切る最善の選択だ」