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東雲の姫君  作者: 小花衣 杏佳
8/9

好敵手

投稿が遅くなってしまい、申し訳ありません。これからもよろしくお願い致します。


小花衣 杏佳

女一の宮は、(くすし)が来るまで御帳台で安静に過ごす様に言われていた。ここ最近、食欲がなかったのが理由なのではないかと晴乃には言われたが、女一の宮は少し違うと思っていた。何故なら、以前よりも体が少し重くなった気がするのだ。腹も少し膨れてきたような感じがしなくもない。


「宮」


未だ青ざめたままの東宮が、心配そうに女一の宮顔を覗き込んでいる。女一の宮は苦笑するしかない。目の前で妻に倒れられてしまったら、確かに驚くだろう。心配するにも最もだ。


「申し訳ございません、東宮様。今はすっかり気分も良いので…ご足労をお掛けすることなどありませんですのよ」


すっかり気分が良い、というのは少し語弊があるが、東宮の心配を少しでも緩和できるにならば、それでも良いだろう。


「今は己の身体を大切にしてくれ。妻の身体になにかあれば、子供どころの話ではないから」


優しく諭すように言う東宮に瞳には女一の宮への深い愛情が見て取れた。


「まあ、東宮様。勿体無いお言葉でございまする…」


「いや…宮は私の…その誰よりも愛しくて可愛い、大切な妻だから…」


東宮の言葉に女一の宮は赤面した。面と向かって言われる、ものすごく恥ずかしい。だけれ、女一の宮の心には暖かいものが溢れてきた。


「私も、東宮様が好きでございます」


「いや、私の方が愛している」


「何をおっしゃいますか、私の方が…」


という風に戯れていると、どこからともなく現れた晴乃が、こほんと咳払いをした。はっとして振り返ると、医が入りずらそうに御簾の前に佇んでいた。


「御息所様、東宮様、お戯れもほどほどにしていただかないと…医がずっと待っておられます」


とは言いつつも、晴乃の目はにこにこと、とろけそうな表情をしている。


しかし、女一の宮の懐妊が分かってから数週間も待たずして、登花殿の女御こと藤原桂子が懐妊したという報せが宮中を怒濤の如く駆け巡った。もちろん、その報せは一も二もなく女一の宮の耳にも入った。衝撃もあったが、何より、一度の逢瀬で懐妊した桂子に驚かずにはいられなかった。もしや、東宮との子ではないのではないか、とも疑ったりもしたが、蝶よ花よと育てられた箱入り娘が、邸に、そう易々と男を連れ込める訳もなく。そして、後宮の殿舎に男を連れ込むのは、以ての外であるし、万が一にでもそんなことが誰かに見られでもしたら、どんな目に遭うかは分かったものではない。


「登花殿の女御様のもとを、東宮様は既に訪れになったそうです」


晴乃が曖昧な口調でそう言った。懐妊の吉報をもたらしたのは、これで女一の宮だけではなくなってしまうからだ。


「…私が皇子を産めるかどうか分からないのと同じで、登花殿の御方が皇子を産むと決まった訳ではありません。父帝は、私の産んだ皇子を東宮の座に擁立することで、長らく続いた摂関の思い通りに動く政治、というのを終わらせたいのでしょう。ですから、勝負ではありませんが、私は登花殿の御方に負けるわけにはいかないのです」


女一の宮は静かにそう言った。自分の言った言葉は、予想以上に重みがあり、自分の心に鋭く刻み込まれた。愛する東宮との子であれども、父帝の望むのは皇子。女一の宮は、そのために東宮の御息所になったのだ。摂関政治を終わらせ、朝廷に、帝に権力を再び集めるために。


「あら、随分と強気でございますこと」


不意に響いた第三者の声に、女一の宮と晴乃は驚いて振り返った。そこに立つのは、何を隠そう、登花殿の女御こと藤原桂子その人である。


「立ち聞きとは、また品性に欠けることをなさるようじゃな」


女一の宮が冷淡に言葉を返した。晴乃は、部屋へ通した女房を探しに足早に出て行った。


「立ち聞きとは失敬な…ですが、宮様の本音が聞けて何よりですわ」


ぐっと気持ちを抑えて、女一の宮は桂子を睨んだ。


「摂関を抑えるのが主上のご意向なのですね。なるほど、通りで嫁ぎ遅れ(・・・・)の姫宮をわざわざ東宮に入内させたのですね」


「右大臣に密告するのは結構だが、そなた、言いたいことはそれだけか」


女一の宮の言葉に、桂子は、にやりと口元を歪めた。


「密告など、致しませぬ」


「……。」


「私、こう見えても父が大嫌いですの」


桂子は、そう言いながら、断りもなしに円座に座った。


「私の母は正室ではありませんでしたから、父が私の美貌を目に止めるまで、大した援助もなく、貴族の子女らしい襲さえ満足に買うこともできませんでした。母の元に通ってくるのは、せいぜい数ヶ月に一度。それも、どこぞの女のところへ行った帰り、ほとんど夜明け近い頃でした。そのようなものですから、私ともろくに会おうともしないどころか、親子らしい言葉を交わすこともありませぬ。 八つの時、正室が亡くなっりまして、私を入内させる為に母を継室に据えたのも束の間、母は呆気なく亡くなり、三番目の妻がすぐにやって来ました。身寄りが他にない私は、嫌でも右大臣邸に留まる他なく、ほとんど邸に軟禁される形で毎日を過ごしました。入内してからは、右大臣邸よりかは自由はあるものの、東宮様のご寵愛は宮様ばかり。御子を生まなければ、堂々と自由に振舞うこともできませぬ。ですから、私は何としても懐妊したかった。宮様よりも、ずっとずっと、私は御子を孕むことを望んだ。父のためではなく、私の為に。それでも、私は宮様がいらっしゃると限り、日嗣の御子を産んだとしても、中宮の座には就けません。不思議などことに、私は自らの利益よりも父の破滅の方が大事なのですわ。ですから、密告するなどとつまらぬことは致しませぬゆえ、どうぞ、ご心配なく」


長く言葉を紡ぐと、満足したようにして桂子は立ち上がった。女一の宮としては、何と返したら良いのか理解(わか)らず、じっと桂子を見つめていた。


「ですが、私は我が子のためなら鬼にもなる所存ですわ。くれぐれも油断などなさりませんよう」


傲慢に言い放った桂子に負けじと、女一の宮は悠然として言った。


「妾は要らぬ心配などせぬ」


「そなたが皇子を産んだとて、いずれの東宮の座に就くのは妾の皇子。妾の皇子ならば、血筋も容姿も勉学も問題ないであろう。いずれは皆が口を揃えて、そう言うであろうな」


と、強気に返した。桂子は目を大きく見開きながらも、挑戦的な笑みを浮かべて桐壺を去っていった。

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