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東雲の姫君  作者: 小花衣 杏佳
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桐壺の女房

桐壺に戻り、ゆっくりと休憩を始めた時、再び現れたのは先ほどの若狭の君であった。

櫻子がうんざりしたように見ると、彼女は傲慢に櫻子を見返す。


「御息所のお耳に入れておいた方が良いお話があるのです。」


「ええ。」


櫻子が気のない返事を返しても、若狭の君は微笑みを崩さない。


「実は、大納言様の三の姫と、右大臣様の二の姫が東宮様に入内するらしいのです。」


寝耳に水であった。

不覚にも若狭の君を睨みつけるように見てしまった。


「それで、私に右大臣から引き抜きのお話がきているのです。」


要はそれが言いたかったのだと納得する。

東宮との仲が今ひとつである御息所の下にいるよりも、東宮に気に入られる可能性のある左大臣の三の姫に仕えたいという事だ。


「良い、暇を出す。ついでにそなた、それを常陸と和泉にも伝えておけ。挨拶は要らぬとも。」


若狭の君は、ぽかんとしたようだったが、やがておもむろに立ち上がると局を出て行った。

いきなり三人の女房に暇を出すと、新たな者が来るまでに色々と大変なこともあるが、それでもあの者達を自分の近くに置いておくのも不快であった。

だが、東宮女御の話を伝えてくれた事にだけは感謝している。

もしかしたら、東宮が足早に清涼殿へ向かったのは、東宮女御として入内予定の二人の姫のどちらかが、式部卿宮だった時の恋人ではなかったのだろうか。

仮にそれが右大臣の娘だった場合、勢力が弱まりつつある藤家の再興は決定的なものとなる。

櫻子はしばらく思案していたが、諦めたように脇息にもたれかかり、呟いた。


「母上をお訪ねしようかしら。」


***


梅壺の中宮は、娘の来訪を歓迎したが、櫻子はどうも雲行きが怪しくなりそうな予感がした。


「宮、東宮様に入内のお話が来ているのです。」


良くも悪くも櫻子の予想は当たってしまった。


「存じております。大納言の三の姫と右大臣の二の姫でしょう?」


梅壺の中宮は驚いたようだったが、それならばと、いきなり切り出した。


「では宮。言いたい事は分かりますね。一刻も早くお世継ぎを作りなさい。」


櫻子が仰天しても、中宮はまるで意に介さずに話を続ける。


「寵愛を奪われてはなりませんよ。全く、藤家がようやく衰えてきたと思ったら、すぐこの話ですもの。本当にあの者達は抜け目ない。」


しばらくの間、櫻子は口が利けなかった。

母がこんなに饒舌なことに驚いたのと、今までそんな素振りを全く見せなかった事に驚いたのだ。

こんな母を前にして、東宮の寵愛などどうでも良い、などと言えるはずがない。


「わかりました。」


こうなっては、話を切り替えるしかない。


「実は母上。今日はお願いがあるのです。」


「なんでしょう。」


「今、女房が足りていませんの。新たに一人、女房を桐壺に寄越してくれませんか。」


本当は三人なのだが、もともと女房が桐壺に多すぎたのだ。

中宮はにっこり笑った。


「どのような者が良いのです?」


「はい、できれば乳姉妹(ちきょうだい)晴乃(はるの)を呼び戻して欲しいのです。」


櫻子の乳母は、九歳の時に亡くなり、乳姉妹だった晴乃はその時に実家に帰ってしまったのだ。晴乃が昨年、夫を亡くしたとの報せを受け取っていたから、この際に呼び戻そうと思ったのだ。晴乃とは同い年で、櫻子とは非常に仲が良い。


「分かったわ。すぐにでも晴乃を呼び寄せましょう。」


三人の女房が局を去った後、七日も経たぬうちに晴乃がやって来た。


「宮様!お久しぶりです!」


「来てくれて嬉しいわ、晴乃。いきなり呼び寄せてごめんなさい。」


櫻子が頭を下げると、晴乃はぶんぶんと首を横に振った。


「そんな事ありません。また宮様にお仕えできなんて、とても嬉しいです。」


「それより晴乃。貴女、旦那が亡くなったの?」


「死んでくれて良かったのです、あんな男。」


櫻子の顔が引き攣る。

随分と物騒な事を言う。


「愛人なんて、両手で数えられないほどいたのです。辟易しますよね。」


それを言う晴乃本人も、その愛人の一人なのだが。


「私も飽きていたから、また宮中に戻れて嬉しいです!宮中ならば、素敵な公達もいますしね!」


そう言って快活に晴乃は笑った。

懐かしい、と櫻子は思った。この明るさが櫻子は好きなのだ。

晴乃は櫻子とは違い、明るい快活な恋多き女である。彼女がそばにいるだけで、周りも明るくなるし、なにより元気になるし、面白い。

櫻子は、この乳姉妹が大好きなのだ。


「良いわよ、晴乃。たくさん恋をして、話を聞かせてね。」


不敵な笑みを浮かべた櫻子は、これまでで一番、素敵であった。

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