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東雲の姫君  作者: 小花衣 杏佳
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梨壺

坪菫の五衣を着た櫻子は、梨壺へ向かっていた。


「御息所様がお出でになりました。」


几帳の奥には、直衣姿の遙貴が見えた。そして、遙貴の傍には、常陸の君と和泉の君が佇んでいる。


「東宮様、朝から失礼致します。」


「いや、私の方からお呼びたてしましたから。」


櫻子が女房達を几帳の外へ下がらせても、常陸の君と和泉の君は、我関せずとばかりに遙貴の隣を頑なに動こうとしない。


「貴女たちも、私の女房でしょう。下がりなさいと言ったのが、聞こえなかったの。」


「いえ、ですが…」


そう言って、気弱なふりをしながら遙貴の方を見る。

全く、普段のあの気の強さはどこへなりを潜めているのか気になるものである。


「東宮様のお側を離れる訳には参りませんわ、御息所様。」


さすがの櫻子も、絶句しない訳にはいかなかった。

何という事だろう。


「貴女、何を言っているの。」


「東宮様のお召しにも応じない御息所様など、いないのに等しいのではありませんか。」


あまりの傲慢な言いように、櫻子もむかっときた。


「何ですって?夜這いの後に、お召しのお達しもないのに、押しかけろというの?」


「は?」


ここで初めて、遙貴は顔色を変えた。


「どういう事だ。」


「どういう事も何もありませんわ。貴方は、あの後、私をお召しにならないだけでなく、女房に手を出すなんて。どこまで私を侮辱なされば気が済むのですか!」


「…申し訳ございません、東宮様。御息所は少し不安定でいらっしゃいますから」


和泉の君が、笑いながら櫻子を冷たく凝視するのも、甚だ許しがたい。


「お黙りなさい、和泉。」


女房の前で醜態を晒すことになっても、櫻子の理性は、感情を抑制できなかった。

他の女房も、何事かと几帳から出てきた。


「私、許しませんわ。冷たいのは貴方の方なのに、私がまるで酷い女のように言われて。女房にも馬鹿にされて。一体、何の恨みが私にありますの?」


とうとう、涙が溢れ出てきた。嗚咽をもらすことはなくても、女房や遙貴の前で泣くなど、惨めでしかなかった。後ろに向く事ができただけ、ましであった。


「そなた達、女房に風情で御息所になんという口の利き方をしている?出て行けと言われたのだから、従わぬか。」


声で、遙貴だという事がわかった。

耳に心地よい、よく響く、男性にしては高めの声。有無を言わさない声色に、常陸の君や和泉の君も観念したのか、去って行く衣擦れの音がした。

櫻子の涙が収まるまで、遙貴は櫻子を後ろから抱きしめていた。それは、赤子をあやすように優しかった。


「落ち着いたか、御息所。」


静かに頷く櫻子の前に、遙貴は座った。


「いくつか訊きたい事がある。良いかな。」


「…はい」


「お召しの通達がなかったのか。」


「ありませんわ。夜這いの後、一度も。」


「申し訳ない。和泉に伝えるように頼んだのが問題だった。」


「和泉などと…あの者をお呼びにならないで。」


「…わかった。実は夜這いの後、毎日、和泉の君に言伝を頼んだのだ。なのに、君はいつも断っていると、伝えられていた。」


櫻子は絶句した。

さっき東宮を責めてしまった自分が申し訳ないのと、恥ずかしさでいっぱいになった。


「そんな…」


「過ぎてしまった事は仕方がない。次からは貴女を梨壺に呼ぶのではなく、私が桐壺に貴女を訪ねます。」


櫻子が口を開きかけた時、ばたばたと音がして、女房が駆け込んで来た。


「東宮様。主上が急ぎのお召しです。今日の御息所とのご挨拶は、後日で良いと。」


「緊急のお召し?分かった、すぐ参る。御息所、貴女はゆっくり朝餉を取って下さい。」


そう言って、足早に清涼殿へ向かう東宮に、櫻子は嘆息した。

朝餉を少々かいつまむようにして食べようと試みたが、食べる気は起きず、結局、ほとんど手をつけずに桐壺に帰ってきた。

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