表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/18

00.02プロローグ

 その日は最悪だった。家に帰ってくるなり、こんな遅くまでなにしてるのか、仕事から帰った母親の慶子に詰問され、正直に答えたら、授業受ける気あるのかと説教をされた。辻刹那のことを話そうと考えたけど無理だった。結局とぼとぼ五時過ぎに東海林算盤教室に向かった。

 帰ってくると風呂に入れといわれて、母親に背中が赤くなるまであかすりをかけられ背中がひりひりしてその日はなかなか寝付けなかった。


 そのようすを遥か遠くから眺めている目があった。スターストリームユニオンの宇宙艦だった。

「おい!へぼチーフの状況最悪じゃないか!!因果律奪い取られまくって、前回とおなじ人生を歩めなくされてるぞ!!」

「最低ね。これは滅びを回避するのに前回情報開示した悪影響がでてるわね。因果応報システムのセキュリティーホールを突かれてる。奥さんになるはずだった高ノ宮家のお嬢さんとも完全にきれちゃってる・・・・。第二候補の吉田のお嬢さんもだめ、第三候補の坪田のお嬢さんもだめ。第四候補の簔口のお嬢さんもだめだね。第五候補の毛利さんもだめ。第六の箱井さんもだめ、ぜんぶさきまわりされている。十個のバックアップぜんぶだめにされてるって・・・・。」

「予定通り接触したら、変態あつかいされて逃げられるだけだ・・これはきついな。」




 次の日、寛和は思い切って祖父の昭吉に学校で遭ったことを話した。昭吉は胃がんの手術を受けて体力を失って自宅療養中だった。


 すると昭吉は眼を細めた。

「そうか・・・。」

 そういって仏壇の前に座りなおしてから振り返った。

「森の連中の事情は知らないが、連中の言っていることは間違いだな。」

「それってどういう?」


「うちの家は天皇家の傍流である朝倉家の分家から続いている。森家なんぞよりよほど由緒正しい家柄だ。もっともいまは貧乏人だがな。」


 昭吉はそういってから富田家の歴史を話し始めた。


「神保を名乗った時期もあったりもしたんだが・・・二上山の城山公園を知っているだろう?あそこにあった守山城の築城を本家の朝倉家からまかされ、そのあとに城主を務めることになった。しかしそのあとに織田信長公の家臣だった佐々成正に攻められ、下野することになった。当主は斬首されたが、子どもは下野することを許されたからな。」


 寛和にとっては驚いたことだった。うちがその土地の領主をつとめていたなど晴天の霹靂だ。


「城主といっても、この土地の民衆は独立独歩の気風がある。それに浄土真宗の流れもあって重要なことは八日会と呼ばれる有力者の会議で決められていた。しかし、佐々はそれを認めず、八日会の皆朱をすべて殺してしまった。結果的に浄土真宗門徒から一向一揆を起こされることになり、領主になったのはいいがその統治に手を焼くことになっていた。」


 話は続く。

「佐々家も長くは続かず、織田信長公のあとを継いで天下統一を目指した羽柴秀吉、後の豊臣秀吉に攻められ本拠としていた富山城が落城し立山の山越えして下野することになったそうだ。それでそのあとに秀吉の盟友として北陸地方の統治を任された前田利家が浄土宗門徒の扱いに困り、いまの瑞泉寺のあたりにあった浄土真宗の誕生寺に身を寄せていたうちのご先祖を呼び出して、家臣にする代わりに浄土真宗門徒との繋ぎを依頼されることになったわけだ。それで八日会を招集した話し合いで、『年貢は取らないかわりに鉄砲を納入する』『浄土真宗に前田家も入ること』『越中は浄土真宗門徒が統治するが、前田家に従う』の三つがとりきめられることになった。利家公はそれらをすべて飲んでくれた。」


「そのころ森欄丸は前田家の家臣となっていて有力者であったが、次の代の利長公に毛嫌いされていたらしい。このころ側仕えにうちのご先祖が任じられていて、統治の助言を与えるのが仕事になっていたんだが、そのことからよこっちょにいつもいるというので字で横町の名前を賜り、開発を行っていた高岡の町の責任者に抜擢されることになったわけだ。そして由緒商人三家のひとつに横町屋としてのこることになったんだが・・・・このへんの歴史は森家が歴史書のあるうちの家に縁のある寺を焼き討ちして失われていることが多い。徳川家との衝突を回避するのに利家公の妻である松を人質に徳川家に出すように助言したのもうちのご先祖だ。」




 それから昭吉の説明によると、富田家は横町屋と武士と商人の二束のわらじをはくことになったらしい。その後、藩の財源を増やして欲しいとの前田家当主の願いを受けて貿易を行いはじめたが、途中で外国との貿易を徳川幕府に禁止されることになったわけだ。そこで徳川家への定期的な貿易品の献上を徳川譜代になっている親戚の神保家を通じて行わせ黙認されるようにもっていったそうだ。それだけ貿易の利益は藩にとって必要不可欠なものになっていたそうだ。つまり辻刹那による暴利をむさぼっていたというのは間違いということらしい。



「問題はうちのご先祖が富山藩の家老を務めているときに徳川方の神保から財政赤字になっている高山の直轄地を富山藩に割譲したいと持ち出されたことだ。富山城主は前田家の次期当主がつぐことになっていたんだが・・・・その当時の当主である加賀藩藩主が高山割譲について知らないところで何をやっていると言ったといまの歴史書には残っている。もっとも実際は、前田家当主にうちの家から定期的に報告を出していたわけで、当時の筆頭家老だった森がライバルであるうちの家を取り潰すのに難癖をつけたわけだ。そのうえ徳川家に密通しているとか前田家を取り潰すつもりだとかずいぶんいろいろありもしないはなしをでっち上げられて、うちのご先祖は切腹させられたそうだ。これが呪い云々の話だな。」



「そのうえ、武士のくせに商人の真似事をするのはよくないとか言い出して、藩の貿易部門を閉鎖解散させてしまったんだ。馬鹿な連中だよ。その当時はロシア船が伏木港に来航して対応を見極めるのに、貿易部門は必須だったのに・・・そのうえ徳川幕府とのつながりまで切断しやがったわけだ。攘夷なんていってる連中は馬鹿だというのがすくなくても藩内では常識だったのにな。」


 加賀藩の勘定方はそうとう森家のやり方に怒っていたらしく、切腹して抗議する者まででたらしい。その結果、藩の財政は急速に悪化し、そのために浄土真宗門徒との約束まで破って年貢を取り立てることになり、武家や農家がかなり没落したらしい。

 蝦夷地開拓団を組織して北海道の函館に移住を奨励したのもそれが原因とのことだ。

「辻の連中は信長公夭折のあとにキリシタン大名高山右近を受け入れたときの残り火みたいな連中でな。十字の道を進むから辻をなのったそうだ。当時はかなりうちの家ともつながりが強かったが、次第に森家に追従するようになって結果的にこれだ。」

 それから戦後にいたるまでの話を昭吉はした。

「結局その呪い云々を信じているのも馬鹿馬鹿しい話だが、森家の連中は執拗だ。今後もうちの家に嫌がらせをしてくるだろう。我慢しろというのは酷だが、それも仕方がない。」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ