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01.10 第十一話『現代科学に仕掛けられた欺瞞と祟り』

科学的な考察を若干追加です。ストーリーがなかなか進まないですね。

 みなさんは量子力学をご存じだろうか?たぶん耳にしたことがある方は多いと思う。なんだか小難しい学問だなという感触を得ている人も多いはずだ。

 この学問は成立までいろいろな経緯があるが、根本的なところで近似計算なのである。

 数学的に近似項の追加を行い、結果を現象に近づけていくというのが趣旨である。


 だがこの量子力学には根本的な間違いが存在する。それは原子に在する電子の軌道の総和を球として前提にしていることである。

 確かに原子核を作り出している中性子や陽子は点としてとらえて、0として演算しても総和的に現実との差はでにくい。しかし問題はそれ以上に電子同士の反発や、空間幾何学的に取り得ない電子の軌道が存在するということである。

 だからいくら近似項目を加えて演算を近づけてもずれが生じる上に、決定的な間違いがおこる。

 ボルン・オッペンハイマー近似ですら、成り立たないのがその証拠である。


 答えをいってしまえば古典力学的引力・斥力の計算でエネルギー計算を行えるし、それ以上はないのである。ただ演算が複雑化して人の頭では考えれないという問題があるだけである。

 分子・原子・電子などの動力学は全面的に正しいのである。


 そして量子力学を否定しようとしていたもう一方の学派であったアインシュタインの相対性理論にも問題はある。光を絶対速度をもつものとして定義していることある。

 実際は光として観測できる相対速度の範囲にある物体がそうみえているだけという現実がある。

 つまり光速を超えてもタイムスリップは起らないのである。


 これらの欺瞞を広めた科学者を糾弾しても意味はない。問題はそれを正しいものをしっていながら、それを公表できないように科学者に圧力をかけて捻じ曲げた存在である。

 相対性理論のアインシュタインも量子論のニールス・ボーア学派も正しいものを知っていたきらいがあるのである。にもかかわらずこのようなまやかしをおこなった。そこが問題なのだ。




 根本的にここで論理の根底として与えなくてはならないのは相対速度を互いに持つ物体は相対速度が上がればあがるほど相互干渉性をうしなっていく。つまりお互いに力を及ぼさないようになっていくという事である。

 ただし、これは相当の相対速度を互いに持たなければ観測の上では得にくい。



 この根本を定義し、また証明するところから出発しないといけない。

 寛和にとっては自明の理だが、現実には空想理論扱いされる代物で、また事実を知る一部勢力からは封殺されかねない情報でもある。



 現在の量子力学の考えでは、光コンピューター作りは必ず頓挫する。ましてや空間光子場に干渉を与えて、そこから過去のシステムにアクセスする機材を作り出すは夢のまた夢になってしまう。


 自由に宇宙に飛び出せるようになるには必要な軍事技術でもある。この星系をおもちゃにしている連中の警備艇ぐらい叩き落せるようにならないとどうしようもない。


 今風にいればチート技術で無双とか夢想といわれそうだが。現実に技術や知識を知ってっていても地位と豊富な資金がなければ何もできない。学術的にはその地位を得るのには間違った量子論を覚えなくてはいけないのである。それで学者になって地位を固めてから発表するというのが順当である。

 しかし、寛和は森と辻の一派に嫌がらせを受けてそれに失敗したあげくに精神病院送りにされたのである。絶望しかない。

 神の名をいくつももっていても、現実に生きるとなると柵がものをいう。その典型である。



 もともと富田家はこの時代ではそれなりの財閥家となる因果律が与えられていた。

 しかし、それが森家と辻家の因果律奪取によって不可能になり、市井の一般家庭どころか、後継者を作れない貧困の一歩手前という家にまで没落させられている。

 明暦あたりに行われた森家の富田家の氏寺への焼き討ちで因果律の書物を持ち去られたのがあまりに痛すぎるのである。

 当時の富田家の当主の判断ミスともいえる。



 何千年も前から歴史の折り目になる現代に生まれるように調整してきた寛和にとってそれはどうしよう無いほどのハンディキャップである。おまけに父親は勉強嫌いで高校に補欠合格したほどの人間なのに、寛和の受験期に三当五落(三時間寝た奴は受験で合格するが五時間寝た奴は落ちる)という精神論の馬鹿な論理を押し付けてきて、そのせいで成績をおとしたという経験まである。

 現実問題六時間から八時間寝て、しっかり予習復習をして課題をこなしていれば成績は維持するかそこそこ上げることができる。一度睡眠不足になるとあとは悪循環が待つだけである。頭が悪いというより時間の使い方の問題である。

 こういう悪環境を与えられてしまうのも因果律が奪われているからともいえる。



 因果律は光子空間に作られている世界を記録しているアカシックレコードの一種だが、ひとの思考を縛り、因果応報を与える仕組みなのだ。

 因果応報のアカウント上位者の都合のいいように記憶改ざんなども容易に行われてしまう弱点がこのシステムにはある。ただ、犯罪抑止の面では削除してしまっていいものでないから保持されているのである。

 これを外したらたぶん犯罪がはびこるのが目に見えている。それでは文明が滅ぶ。

 本来なら微細な調整が行われて、無理やりな制約破りの強制は無効かされるべきものである。


 例えば殺生をしないと誓いを立てている人物がいたとしよう。しかし、その上司に農園の害虫駆除を命じられたらこれは事実上回避不能で、殺生を行わなくてはいけない。

 あるいは直接殺生をしないという制限項目が与えられていたとしても、毛虫を出されてつぶすように上司に言われたらつぶすしかないのが現実である。

 そうするとペナルティが課せられるわけだが、それによる因果のペナルティはそのひとにとって得になる行動がとれなくなったりするのである。記録をとっていて、必ずその行動をとろうとしても、その記録をした紙の存在を忘れてしまうとか、あるいはその行動の起点すら忘却させられてしまう。

 逆に、よいこととシステムが判断する行動には補助がいくつもつくのである。必要な時に必要なことを思い出すなどがその典型例だ。


 こういった不合理な部分を調整するのにAIが存在し、それを稼働させる必要がある。しかし残念なことにシステム自体がエネルギー不足の上にあちらこちら破損したり、余計な仕組みを作られて調整できなくされているのが現状なのだ。


 寛和にとっては怨念というか森と辻の一族にはとことん神として祟りたい気持ちがあるのはそういう事実を知っているが故である。



 あとペナルティを加えられるときにその人物は咳をすることが多い。これは神経経路に干渉して、ペナルティを加えられた確認のためにつくられている仕組みだからである。


 ペナルティがひどくなると喘息の状態になる。化学的な薬物による喘息もあるから見わけを付けるのは難しいが、現実としてそれば存在する。

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