チートウィンドウ3
宿は想像する中世の宿といった感じで、1階が食堂兼受付兼自宅になっており、2階と3階が客室になっているようだった。
はるかは朝食付きで10泊前払いした。
狭い木の階段をきしきしいわせながら上り、2階の割り当てられた部屋に入る。
鍵は簡易なものしかないらしい。
とりあえず風で結界を張る。
脱いだ制服と靴をフォルダに収納してから、屋根裏にでもありそうな小さなベッドにダイブした。
みし
「・・・・・・・・」
不吉な音に、そろりと布団を捲ってみると、土台にひびが入っていた。
「ひょえ」
ダメもとで魔法を使うと直ってくれてほっとする。
日本のベッドほど丈夫ではないらしい。
魔法ばんざい。
「はー」
怒涛の一日に思いを馳せ、思いっきり息を吐き出す。
今後の目標は、元の世界への帰還。
それだけははっきりしている。
でもそのために何をしたらいいのかは、分からない。
最低限、帰る日まで生き延びていなければならないことは分かりきってるので、それは確実にしたいけれど。
「とりあえずは、ここで日常生活をこなせるようにならないと、かな」
濡れた声に気づかない振りをする。
泣き疲れて眠るまで、はるかは声を殺して溢れる涙をないものとした。
泣いたら、立ち上がれない。
だから、はるかは泣いている自分を認めることはできなかった。
翌朝はひどいものだった。
起きたのは日が高くなってきた頃だ。
見なくても、瞼がはれているのが分かる。
気まずい思いをしながら魔法をかけると、腫れぼったい感じはすぐに消えた。
想像力が力になるなら、はるかにとってある意味魔法は万能だった。
魔法のない世界にいたせいで、魔法に対する限界を持っていないのだ。
「おなかすいた」
昨日の夜から何も食べてない。
1階の食堂に行くと、何人かが席に座り食事をしていた。
厳つい戦士のような男や、がっしりした筋肉質の女性、魔法使いの杖を持っている人もいる。
みんな一斉にはるかの方を見て訝しげな表情をするものの、すぐに目をそらした。
居心地が悪い。
「おはようございます」
どうしようかと立ちすくんでいると、受付の女性が明るく声をかけてくれた。
40歳ぐらいの恰幅の良いおかみさんだ。
「おはようございます」
「どうぞお好きな席に座ってください」
「はい」
座ると、ほどなくして食事が運ばれてくる。
野菜スープとバゲットパンだ。
スープは野菜がごろごろ入っていて、薄味なところがまた今のはるかには美味しい。
パンも焼き立てで外側がぱりぱりして美味しい。
美味しい美味しい。
夢中で食べていると、ことりと歪なマグカップが置かれる。
「ホットミルクよ。よかったら、どうぞ」
「ありがとうございます」
念のため殺菌の魔法をかけて、少し泡立つホットミルクを飲む。
「・・・っ」
熱い。
舌火傷した。
涙目になる。
ふうふうしようとして、魔法があることを思い出して、魔法でミルクを冷ました。
恐々飲んでみると、適温だ。
火傷した舌がまだひりひりしたままなので、それを治してまた飲む。
「おいしー」
こくがある。
濃厚な牛乳だ。
生クリームともちょっと違う。
調子に乗ってごくごく飲んでいると、食器を提げにきたおかみさんに笑われた。
「白いおひげができてるわよ」
鼻の下に指を当てると、濡れていた。
慌てて服の袖で拭く。
恥ずかしい。
「ごちそうさまでした」
恥ずかしくて顔を上げられず、俯いたまま席を立てば、ほほえましそうな眼差しに見送られる。
いたたまれない。
さて、今日はどうしようか。
服を何着か買い足して、レベル上げ?
元の世界への送還を調べるにしても、マップを見ても図書館とか見あたらなかったし。
「うーん」
夜の森は怖いから、夕方までしかレベル上げはできないし、とりあえず行こ。
服屋の前に来ると、中で昨日の女性が作業をしているのが見えた。
中からも気づいてくれて、鍵を開けてくれる。
「おはようございます」
「おはようございます、お出かけですか?」
「はい。あの、今は準備中ですか?」
「ええ。御用でしたら、伺いますよ」
「・・・すみません。お願いします」
店の中に入れてもらい、新たに服5着、夜着5着と靴を5足買いたいと告げると、さすがに驚かれた。
けれどすぐに笑顔を取り戻す。
「日数をいただければ、お仕立てもできますよ」
オーダーメイドというものだろうか。
興味を引かれてしまう。
「どれぐらいかかりますか」
「そうですね、5着ずつですと、デザインにもよりますけれど、5日ほどあれば」
「じゃあ、お願いします」
オーダーメイド、あこがれる響きだ。
女性の言うままにポーズをとり、体のあちこちを測られる。
慣れない動きをしていたせいで知らず疲れたのか、測定が終わって椅子を勧められるとほっとした。
「デザインはどのようなものが良いですか?」
でざいん。
自分でデザイン画を描けるほどの具体的なイメージは、残念ながら持ち合わせていない。
「・・・お任せでお願いします」
「かしこまりました」
困り果てて応えると、くすくすと楽しそうに笑われた。
年上だけど、可愛い人だ。
そろりと店の中を見回すと、奥めいた場所にある小さな丸テーブルに、デザイン画が散っている。
アンティークなドレスワンピースみたいだ。
かわいい。
かわいい。
かわいい。
はるかの目は、すでにそのデザイン画に釘付けだった。
日本だったら着られないけど、この世界なら着ていてもおかしくないよね。
女の人たち、みんなあんな感じだし。
ちょっとあれより質素な気がするけど、ちょっと雰囲気が違うけど、あんな感じたよね。
うん。
「あの」
「はい」
「あんな感じのデザインをお願いできますか」
少女趣味と言わば言え。
どうにもならない非日常に無理やり連れ込まれたのだから、ちょっとぐらいとち狂っても文句は言わせないんだから。
どきどきしながら応えを待つはるかに、女性はあっさり頷いた。
「5着ともこのような感じでよろしいですか?」
「はい」
はるかが構えるほど、特にどうということもないらしい。
「代金はいつお支払いしたらいいですか?」
「品物と引き換えで大丈夫ですよ」
会話をしながら紙にさらさらと新しくデザインを書いていくのを見て、はるかは感心するばかりだ。
「あっさりめと、ごてごてしたのと、どちらが良いですか」
「あっさりめでお願いします」
可愛いのも好きだけれど、シンプルなデザインのも好きだ。
それにはっちゃけるにしても、ごてごてしたデザインはさすがにまだ着る勇気が出ない。
「色は濃いのと薄いの、どちら?」
「薄いのです」
「嫌いな色はある?」
「・・・薄めだったら、わりと何でも好きです」
「今日の予定は?」
「どうしようかなって。本を探したいんですけど」
「どんな本?」
「色々な本を」
「そう、偉いのねぇ。はい、できたわ」
10枚ぐらいのデザイン画が出来上がっていた。
説明書きがちょこちょこ書いてあるけれど、私には読めない。
たぶん色とかなんだろうけど。
「どれがいいかしら」
どれも可愛らしい。
うんうん唸る。
とてもではないけれど、いずれも捨てられない。
「・・・全部作ってほしいです」
「まあ、ありがとう」
笑顔でお礼を言う女性は、はるかが比喩でなく言っているのだと気づいて、苦笑した。
「気に入ってくれて嬉しいわ」
「こちらこそ、素敵なデザインをありがとうございます」
もう一度デザイン画に視線を落とし、にっこりと笑う。
異世界に来て、初めて心が躍ったのだ。
「10着だとさすがに5日は無理だから、8日もらってもいいかしら」
「はい。よろしくお願いします」
「本のことだけど、この町には図書館も本屋もないのよ。ギルドの2階にギルドの蔵書があって、読めるようになっているぐらいかしらね」
「ギルド?」
「ええ、そうよ」
ギルド・・・。
世界史で聞いたことがあるけど、なんだっけ。
あとでマップの説明文読もう。
「ただ、ギルドは流れの冒険者もいるから、もし行くのなら気をつけてね。あと名前を迂闊に教えないこと」
「名前ですか?」
「高位の魔法使いになると、名前で縛る法術を使う人もいるみたいだから。あらかじめ通り名を決めておいて、そっちを名乗るようにするといいわ」
こわ。
今のところ誰にも名乗ってないよ、良かった。
「ギルドに登録するときも、通り名で登録できるから、覚えておくといいわよ」
「はい。ありがとうございます」
ギルド、ギルドかー。
気になるなぁ。
「あの、私、通り名をナツということにします」
「かわいらしい名前ね。私はアンナと名乗っています。今後ともどうぞご贔屓に」
「アンナさん、色々と教えていただいてありがとうございます。服の仕立ても、よろしくお願いします」
二日目にして名前をゲット。
アンナさんに暇を告げて服屋を出ると、とりあえずお腹が減ったので食堂を目指した。
陽は中天に上ろうとしていた。
知らない間にけっこうな時間が経っていたらしい。