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95 そして帰還

 人類は自分たちが住む大地を、ただ『大陸』とだけ呼んでいた。

 海が混沌領域に覆われているため、他に大陸があるのか確かめるすべがなかったからだ。

 宇宙空間に幾度か出たことがあるタクトですら、『大陸』以外が黒いモヤに覆われていたため、どこがどういう地形になっているのか、まるで知らない。


 しかし、テルタン・テールフラいわく、この星には大陸が四つあるという。

 うち一つはタクトたちが住む大陸。

 うち一つは混沌領域の発生源。すなわち『核』がある場所だ。


「あれか」


「そう。あれよ」


 今、タクトとテルタンの前には、漆黒の多面体が浮かんでいた。

 大きさは、分からない。流石は混沌の源というべきか。

 山よりも大きくなったかと思えば、次の瞬間には見えないほど縮んでいる。

 距離感もデタラメで、目の前にあるような気もするし、遥か彼方のような気もする。

 形状からして不定型で、三角錐だったと思えば六面体へと変形し、より複雑怪奇に変わっていく。

 その周りの空間も異常極まっている。


 テルタンはここが大陸だと言っていたが、眼下に大地はなかった。

 というより何もない。

 真っ白な空間だけがどこまで続いており、その全土に信じがたい量のマナが渦巻いている。

 防御結界を解除した瞬間、タクトもテルタンも、押しつぶされ跡形もなく消滅するだろう。

 なにせここは混沌の中心部。

 もとの風景など片鱗すら残っていない。


 人間の感覚では捉えることすら出来ない、異次元の法則で塗りつぶされている。

 そんな〝混沌〟が恐るべき勢いで全周囲へと広がっていく。

 やがてはこの惑星全てを、そして宇宙全土を飲み込むのだろう。

 テルタンと五大女神はそれにあらがい続けてきたのだ。

 敬服するより他にない。


「これを破壊すれば、混沌領域は消えるんだな?」


「そうね。発生源がなくなるんだから。少なくとも、これ以上増えることはなくなるわ。今すでに広がってい待った分は、私が何とか浄化する。百年もあれば十分でしょ」


「百年って……気が長い話だなぁ」


「あら、何を言っているのよ。私は十万年頑張ってきたの。そこに百年追加したって、誤差の範囲じゃない」


「スケールが違いすぎてどうもついていけないな」


 タクトは苦笑してしまう。

 隣に浮かぶテルタンは、どう見ても少女なのに、やはり太古から生き残った大神なのだ。

 自分はそれと共闘し、世界を脅かすものと戦おうとしている。

 ほんの少し前までだったら想像すらしなかった展開だが、まあ人生とはそういうものかもしれない。

 色々起きるが、やってやれないことは滅多にない。


「タクトさん。ここまで一緒に来てくれて、ありがとう。改めて礼を言うわ」


「そいつはアレを壊してからにしようか。ほら、向こうもこっちが気になるみたいだよ」


 混沌の核に目という器官は見当たらない。

 しかし目が合ったような気がしたのだ。

 そして核が放つ『異世界の法則』の圧力が増した。

 明確にタクトとテルタンを標的にし、押しつぶそうとしている。

 だが、そうはさせない。

 押しつぶすのはこちらだ。


「さて、テルタン。行こうか」


「ええ、タクトさん。行きましょう」


 時空が引き裂けるほどの魔力全力放出。

 世界の命運を決める戦いが始まり、そして――。


        △


 トゥサラガ王国の首都、ララスギアの街の中心には森がある。

 その中には小さな屋敷が一つ建っていて、古書店を営んでいた。

 魔導書を専門に扱う魔導古書店。

 店名をアジールという。

 そこでの猫耳ホムンクルスのマオが一人、店番をしていた。

 いつもは元気いっぱいのマオだが、今日は何やら気が抜けている。

 カウンターにつっぷして、何度かめのため息をつく。

 するとそこに脳天気な声の客が、銀髪を揺らしながら現われた。 


「こんにちはマオちゃん! あれ、元気ないわね……どうしたの?」


 常連のセラナ・ライトランスだ。


「はにゃぁ……タクトが一昨日の夜に出かけたきり帰ってこないにゃ……」


「ええっ!?」


 セラナはもともと大きい目を更に大きくし、飛び上がるほど驚いた。


「そんな、大変じゃない! 早く探しに行かないと!」


 そう。大変なのだ。

 あのタクトが迷子になるはずがないし、敵に襲われて動けなくなったというのはもっとありえない。

 つまり自分の意志でアジールを留守にしているということ。


 クララメラは言っていた。タクトは故郷に帰ってしまったのだ、と。

 そう泣きながら呟いて、彼女は昨日からずっと枕を濡らして不貞寝している。


 しかし、本当にそうなのだろうか。

 マオだって、タクトが日本に帰りたがっていたのは知っている。

 だが、クララメラやマオに一言の断りもなしに消えてしまうとは、どうしても思えない。

 そもそもタクトの目的は〝こちら〟と〝あちら〟を自在に行き来できるようにすることであって、日本に定住することではなかった。

 だから仮に次元回廊を開くことに成功していたとしても、絶対にまたアジールに帰ってくる。

 そう信じているのだが――。


「マオも、マオもタクトを探しに行くにゃ! セラナ、連れて行ってにゃっ!」


 いても立ってもいられない。

 もしかしたらと思ってしまう。

 タクトがそばにいないという状況に、理屈抜きで耐えられない。


「よしっ、行くわよマオちゃん! 無断外泊のタクトくんに、お尻ペンペンしなきゃ!」


 見つけられる可能性は低い。

 この世界にいないかもしれないのだから。

 それでも、ここでジッと待つだけなんて絶対に無理。

 早く会いたい。

 と、強く思った、そのとき。


 カラン、カラン。

 アジールのドアベルが鳴り響く。

 そして、亜麻色の髪の少年が一人、アジールに入ってきた。


「ただいまー」


 マオたちの想いとは裏腹な、のんびりした彼の声。


「タ、タクトにゃー!」


「わ、なんだいマオ。急に抱きついてきて」


 タクトは戸惑っているが、しかしマオは離れない。離れてやらない。

 しがみついたまま、勢いよく耳と尻尾をピコピコさせる。

 帰ってきてくれたという当たり前のことが、どうしようもなく嬉しくてたまらない。


「タクトくん、駄目じゃない! 一昨日からずっと帰ってなかったって言うじゃないの。心配するに決まってるわ!」


「え、一昨日? おかしいな……上手く次元回廊で調整したつもりだったんだけど……一日ずれちゃったんだな。いえ、本当は昨日の朝に繋げたつもりだったんですよ」


 セラナに怒られたタクトは、首をかしげて言い訳をする。

 しかも、全く理解できない言い訳だった。


「むむ、訳の分からないこと言って煙に巻こうとしてる! タクトくん悪い子! お尻ペンペンよ!」


「そうにゃ、そうにゃ! マオとセラナで根性を叩き直してやるにゃ!」


「この歳になってお尻ペンペンは勘弁してください。その代わり、ほら。牛丼買ってきましたから」


「……ぎゅーどん?」


「にゃーん?」


 ポカンとするマオとセラナを尻目に、タクトはカウンターの上に白い袋をドサリと置いた。

 袋には『すぎ家』と書かれている。

 タクトがそれを開くと、店内に美味しそうな香りが広がった。


「きっとセラナさんも遊びに来るだろうなと思って、四つ買ってきたんです。予想が当たりました」


 そして現われる四つの丼。

 白米の上に盛られた牛肉。タレ。紅ショウガ。

 この組み合わせは、もしや。


「魔王の知識にあるにゃ……これは日本人が生み出した美食の極み……伝説の牛丼にゃ!」


「いや、そんな大げさなものじゃないけど」


 タクトは苦笑するが、マオとしては興奮を禁じ得ない。

 なにせ牛丼だ。牛丼が目の前にあるのだぞ。


「クララメラ、クララメラ! タクトが帰ってきたにゃ! 牛丼を持って帰ってきたにゃぁぁ!」


 マオは階段の前に立ち、二階に向かって叫ぶ。

 すると次の瞬間、扉が勢いよく開けられた音が響き、間髪容れずにネグリジェ姿のクララメラが見えた。


「タクトが!?」


 彼女は叫び、ほとんど滑るような速さで階段を駆け下りる。そして踏み外し、本当に滑り落ち、最後には転がり落ちていた。

 ビターンという音とともに顔面から床にみっこみ、そのまま動かなくなる。


「店長!」


「クララメラ様、大丈夫っ?」


「にゃーん!」


 三人は慌てて駆け寄り抱き起こそうとする。

 しかし、それよりも早くクララメラは起き上がり、飛ぶような勢いでタクトに抱きついた。


「タクトぉぉタクトタクトタクトぉぉぉっ!」


「店長、何を号泣しながら俺の名前を連呼してるんですか。確かに二日も留守にしたのは悪かったと思っていますが……」


「うわぁーん、だってもう帰ってこないと思ったのよぉぉ!」


 クララメラは鼻水まで流して嗚咽する。

 それを見たセラナは唖然としており、マオも「まるで子供みたいにゃ」と呟く。

 しかしタクトだけは動じていなかった。

 彼女にこういう一面があると知っていたのだろうか。その頭を撫でながら、優しく微笑んでいた。


「困った女神様ですね。俺はどこにも行きませんよ。俺の家はここですから」


「ひっぐ、ひっぐ……タクトぉ……」


 いつもは包容力のあるクララメラだが、今は逆にタクトに甘えている。

 それが何だか羨ましくて、マオもまたタクトに抱きつきたくなった。

 が、先を越されてしまう。


「タクトくーん!」


 どうやらセラナも同じ気持ちだったらしく、ぴょんと飛び跳ねタクトに襲いかかった。


「負けていられないにゃん!」


 マオも突撃だ。

 クララメラとセラナの隙間から潜り込み、タクトにしがみつく。


「ちょっと、三人とも、何なんですか。俺は別に稀少動物じゃないんですから……ああ、もう! 牛丼食べましょうよ!」


 タクトはいよいようんざりした様子になってきたが、マオたちにはしばらく離れるつもりはない。

 できることなら、ずっとこのままでもいいとすら思うくらいに――。


        △


「あら、まあ。タクトさんったらモテモテねぇ」


 森の木の上に、一人の少女が立っていた。

 名前はテルタン・テールフラ。

 タクトと共に混沌の核を破壊した魔法少女である。


「アジールに挨拶していこうと思っていたんだけど、邪魔しちゃ悪いから、また今度にしたほうがよさそうね」


 女神も、ホムンクルスも、魔術師の少女も、本当にタクトのことが好きなのだろう。

 その『好き』の形はそれぞれ違うが、タクトはそれに全て応えなければならないのだ。

 まさに、モテる男は辛い、というやつ。

 そして、とても幸せ。

 あの空気に水を差すほど、テルタンは無粋ではない。

 今日のところは退散する。


「けれど、タクトさん。また会いましょう。私だってあなたに『恋』しちゃったんだから。あんなに格好いいところ見せられて惚れない乙女がいるなんて、思わないことね。覚悟なさい。私はしつこいんだから」


 そんな捨て台詞を吐いてから、テルタンはステッキをふりかざす。

「きらりん」という呪文が流れて、風とともに姿が消える。

 誰もいなくなった森に、アジールから漏れる喧騒がゆっくりと染みこんでいった。

書きたいネタはもうちょっとあるのですが、プロットとしてまとめていないので、しばらく休載します。

書きためたら再開します。

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