09 新しい一日
魔導古書店アジールの裏には小さな畑があった。
畑といっても育てているのは農作物ではなく、全てハーブの類い。
アイブライト。シナモン。カモミール。レモングラス。ローズマリー。
ペパーミントだけは増えすぎると困るので、小鉢で栽培している。
ハーブはお香にして焚いても、お茶にして飲んでもよい。
マナが染みこんだ土で育てているから、魔術的効果も期待できた。
タクトの朝は、ハーブの水やりから始まる。
飛んできたモンシロチョウに水がかからないよう注意して如雨露を操り、それが終わると朝食の準備。
店の奥にあるダイニングキッチンで、フライパンを魔術で熱する。
ニワトリの卵を片面焼きにして、食パンにのせる。
少し物足りないような気もするので、昨日街で買ってきたリンゴも一つ食べることにした。
食後にコーヒーを飲み、ごちそうさま。
「さて。そろそろ店を開けるか」
店の振り子時計は七時五十五分。
八時が開店時間だから、丁度よい時刻。
一度外に出て、扉の札を裏返して『開店中』に。
それから足元に意識を集中し、店の周囲と森に張り巡らした二重結界に接続する。
「結界強度〝百〟から〝七〟へ変換。実行」
結界を弱めても、森の外見に変化はない。
魔導古書店アジールの結界は、森の動植物に作用しないよう調整されている。
よって、木々や草花、昆虫や動物、小川に住む魚たちには一切、影響がないのだ。
だが、森の外から侵入してこようとする者にとっては別。
先程までは、アジールと街を繋ぐ森道に侵入することからして不可能だった。
が、今は魔術師としてそれなりの腕前があれば、苦もなく歩けるようになっている。
「さて。今日は誰が来てくれるかな。ハウンド老とか最近見ないけど、元気してるのかな」
タクトは、この店の売上を支えてくれる常連たちの顔を思い浮かべ、今日もよい一日でありますように、と願った。
具体的には、五冊くらい売れますように。新規のお客さんも来ますように、と。
なにせアジールの常連客は、五十人程度しかいない。
そして一日の来店数といえば、その十分の一にも満たなかった。
来たからといって必ず買ってくれるわけでもなく、タクトと談笑したいがために来店する人もいた。
単純に客足を伸ばしたいなら結界強度を下げればよい。
しかしレベルの低い魔術師に魔導書を売り、それが元でトラブルが起きた場合、タクトは魔導古書店組合と魔術師協会から吊し上げを喰らう。
魔導古書店組合から破門されたら、仕入れが絶望的になる。
実のところ、来店した客から買い取る本の数などたかが知れており、仕入れのメインは組合員だけが参加できる競売だった。
なにせ古書店というのは古い知識を売る店。
そこにどんな知識をラインナップするかは、それぞれの店の思想に委ねられる。
客から買い取ったはいいが、自分の店に並べたくない本。
売れると思って並べたはいいが、実は客層とズレていた本。
そういった本を持ち寄って、古書店同士で売買するのが組合競売だ。
そこに参加できないというのは、古書店として致命的というしかない。
また魔術師協会は、魔術師全体の秩序を維持することを目的とした組織だ。
魔術師のイメージダウンになることをした者は容赦なくライセンスを剥奪し、場合によっては死刑にすることも辞さない。
こと魔術にかんしては、国家よりも上位の存在といえる連中だ。
そもそも渾沌領域を容易く横断し、五つの樹の特異点に跨がって活動できる組織など、魔術師協会と商業旅団くらいのもの。
つまり魔術師協会とケンカをするということは、死を覚悟しなければならない。
――まあ、俺は死なない自信があるけれど。
だからといって、ケンカをしたいわけでもなかった。
協会が定めたルールがあるからこそ、常人を越えた力を持つ魔術師という存在が日常にとけ込み、平和に暮らしていけるのだから。
「そして必然的に客足が遠のく……収入のほとんどがハーブ栽培とは情けない。まあ、昨日のグリモワールが売れたら一気に儲かるけど……あんな高い本はそうそう売れないし」
古書店の店員として、実に複雑な気分だ。
それでも、クララメラが一人でやっていた頃に比べたら、売上は各段に上がっている。
なにせクララメラは眠っている時間の方が長いというサボリ魔――ならぬサボリ神。
本人は「寝ている間はマナの制御をしているのよ。決して寝たいから寝ているわけじゃないのよ」と言っているが、どう考えても半分くらいは趣味で寝ている。
そんなやる気のない者が店長をしていては、売れる本も売れず、ホコリが貯まっていくばかり。まず店を開けないのだ。救いようがない。
アジールが魔導古書店としてまともに機能し始めたのは、タクトが切り盛りするようになった四年前からだ。
もっとも、クララメラの前の店長。すなわち初代店長の時代は、タクトより更に上手くやっていたらしい。
しかし、それは何百年も前の話であり、タクトのあずかり知らぬことである。
とにかく。
良質の魔導書を仕入れ、売って、また仕入れてを繰り返すしかないのだ。
そうしていれば、いつかタクトが求めている知識に辿り着けるかも知れない――と、淡い期待を込めて、今日もカウンターの椅子に座り、客を待つ。