87 媚薬で火照った三十路女
店を開けてから約一時間が経過したが、今日はまだ客が来ていない。
もっともそれはいつものこと。
仮に来たとしても雑談をするだけで何も買わずに帰る人が多い。
そんな人たちでも稀にまとめ買いしてくれるし、チャーリー・バルフォアのように数千万単位でお金を落としてくれる客もいる。
よって来客数はそれほど問題ではない。
どかんとデカイ客が一人来れば数ヶ月は安泰だ。
むしろ今はバルフォア家のおかげで何年も遊んで暮らせる状況にある。
そこに胡座をかいてニートになるつもりはないが、今のタクトは仕事に集中できる気分ではない。
「うーん……夢に出てきた人物から手紙が届くなんて……」
カウンターの上に手紙と、同封の地図。それから『次元回廊の研究』を広げ、手に入った情報を整理する。
まず、昨日の夢。
テルタン・テールフラは自らを大神――つまり五大女神やあらゆる動植物の創造主の一人であると自称した。
そして世界は無数にあり、そこから次元回廊に迷い込んだ者をテルタンが何らかの方法で捕まえ、この世界に呼び寄せているらしい。
その目的は『混沌を倒すため』と、そう言っていた。
漠然としている。混沌とは生存領域の外に広がる空間のことだ。現象そのものとも言える。
それを倒すとはどういう意味なのか。
戦いとして成立するのだろうか。
訳が分からない。
夢ではなく、現実世界でテルタンの元までたどり着けば詳しく教えてやる、という口ぶりだった。
そのテルタンの居場所は分からない。
しかし彼女から送られてきた地図と手紙がここにある。
手がかり、なのだろう。
テルタン・テールフラはタクトに向かって「強くなって」と言っていた。
よりにもよって、このタクトにだ。
なるほど、確かにテルタンは強かった。
対峙しているだけで、その魔力の膨大さが感じ取れた。
あれは女神をも凌駕している。
しかし――タクトほどではない。
両手の紋章を解放すれば、なんとか倒せる相手だ。
つまり「強くなって」とはテルタンより強く、という意味ではない。
それが「混沌を倒す」という謎めいた言葉に繋がるのかもしれない。
なんにせよ、テルタンを捕まえて聞くのが一番早いだろう。
ゆえにタクトは改めてテルタンの手紙を読み返す。
そこには、次元回廊を開いた際における、行き先の指定方法が書かれていた。
次元回廊を開くには、巨大なエネルギー同士の激突が必要だと『次元回廊の研究』に書かれていた。それは知っている。
だが、それだけでは、どの世界に飛ばされるか分からないとテルタンが言っていた。
よって、座標を指定する工程が必要となる。
手紙には、まさにその方法が書かれていたのだ。
まず材料としてクリスタルが必要らしい。
それも普通のクリスタルではなく、ライトクリスタルと呼ばれる、自ら発光するものが必須であると書かれている。
ライトクリスタルは、マナを持っているから発光しているわけだが、自然界ではなかなかお目にかかれない。
むしろ実在しているのかも疑わしい。
タクトは天然のライトクリスタルが市場に出回ったという話を聞いたことすらなかった。
人口的に加工して作られたライトクリスタルならまだ入手可能だが、手紙によれば天然物でなければ駄目だという。
普通ならここで頭を抱えるのだが、手紙に同封された地図の場所に行けばライトクリスタルが採れるらしい。
本当だろうか。いまいち信じがたい。
そして、ライトクリスタルに座標を記録し、それを触媒に次元回廊を開けば、狙った世界に行くことが出来る。と、手紙にはそう書かれていた。
座標軸にかんしては『次元回廊の研究』の百五十ページから百六十三ページを参照せよ、とのこと。
指定のページを開くと、確かにもの凄く細かい記号で術式が書かれていた。
虫眼鏡を使わないとよく見えないほどだ。
「この術式を使って次元回廊を開けば、テルタンがいる座標にたどり着くってことかな? この世界のどこかか、あるいは別の世界か……他に手がかりはないし、やってみるか」
幸い、地図はトゥサラガ王国内部だ。
いや幸いというか、テルタンが仕組んだことなのだろう。
「にゃにゃぁ、疲れたにゃーん」
タクトが地図を見つめていると、外で遊んでいたマオが帰ってきた。
なにやら随分と息が荒い。
よっぽど熱心に遊んできたようだ。
「おかえりマオ。一人で何して遊んでたんだ? かけっこ?」
「遊んでたんじゃないにゃ! トレーニングにゃ!」
マオは語る。
全てはこの森の王者、オオクワガタと戦うための修行である、と。
かつてマオはアジールの庭に吊したハンモックをオオクワガタに占拠され、その所有権をかけて死闘を繰り広げた。
しかし鼻を挟まれて敗北してしまった。
その雪辱を果たすため、厳しい特訓をしているのだ。
「シャドーボクシングに縄跳び。兎跳びもしたにゃ!」
「猫耳なのに兎跳びか……」
タクトは猫耳幼女がにゃんにゃん言いながら兎跳びしている光景を想像し、ほんわかしてしまう。
「とても疲れたからお昼寝してくるにゃ。店番は任せたにゃん」
と言って、マオは二階に行ってしまった。
元よりまともな店員はタクトしかいないので、頼まれるまでもない。
「さて。この地図は海の方だな……せっかくだからセラナさんを誘ってまた冒険に行くか」
タクトはそんな独り言を呟きながら、地図や本を片付ける。
するとそのとき、ドアベルが鳴って来客を知らせてくれた。
「いらっしゃいませ……って、なんだ、エミリーさんじゃないですか」
黒い三角帽子に黒マントの女性。見た目は二十歳前後だが、実際は三十歳を越えているはず。
もっとも本人は「永遠の十七歳」を自称しているので、真の年齢は誰も知らない。
謎多き魔術師だ。
「なんだとは酷いなタクトくん。私はこんなにも君を慕っているというのに」
「へえ、それは光栄です」
「はっはっは。清々しいまでに棒読みだなぁタクトくん。ところで今日は、アジールの客として来たんだ。買い取って欲しい本がある」
「それは珍しいですね。どんな本ですか?」
ひやかしならともかく、ちゃんとした客というのであれば、タクトは真面目に接客する。
相手が何者であろうとも、だ。
「ふふふ……私のとっておきの本。それは、これだ!」
エミリーは「ばばーん」と効果音を口に出し、カウンターの上に本を置く。
それは『究極!ポーションの作り方』というタイトルだった。
「へぇ、エミリーさんが持ってくる本だからどんなものかと警戒していましたが、まともじゃないですか。あれ? 付箋が挟まってますね」
真ん中あたりのページから、付箋が一枚飛び出している。
何気なく開いてみると、『強力な媚薬の作り方』という見出しがついていた。
「あ、はい」
「んん? どうしてドン引きしているんだいタクトくん。これはね、素晴らしい本なんだよ。そんじょそこらのインチキ媚薬とは違って、本当に効果がある媚薬を作れるんだ。しかし私はもう暗記してしまったから、アジールに売ってあげよう。さあ、査定するがいい!」
エミリーは小さな胸をはり、自信満々に語った。
だが正直、あまり欲しくない本だ。
こんなものを棚に並べると、アジールの品格が疑われる。
もっとも、本を売りたいという客を追い返すわけにもいかないので、適当に買い取って、次の組合競売に出すとするか。
「あれ、しかしエミリーさん。媚薬をいったい何に使うんです? まさかエミリーさん……好きな男の人ができたとか?」
「はははっ、とんでもない。現実の男なんて興味ないさ。官能小説の世界のほうが余程いい。もっともタクトくんは別だよ。君さえよければお姉さんと今夜――」
「そういう冗談はいいので」
「きついなぁタクトくんは。それはもちろん、自分で飲むんだよ。媚薬を飲んでから官能小説を読むともの凄い臨場感なのだぞ。君も試してみるといい」
「はぁ。そういう大人にだけはならないよう気をつけます」
「はっはっは!」
エミリーは笑っているが、割と本気で哀れだ。
そこそこ美人なのに。
どこで人生を踏み外すとこうなってしまうのか。
「ところでエミリーさん。今朝の五時半より前に、アジールのポストに手紙を届けたりしていませんよね?」
「五時半? その時間は媚薬の効果で朦朧としていたから私じゃないよ。いや、実のところ、今でも少し媚薬が身体に残っていてね。火照っているんだ!」
見れば確かに、エミリーの頬が赤い。
「そうですか。よかったですね。じゃあこの本は五千イエンで買い取らせて頂きます」
「むむ、もう少し高くなるかと思ったが……まぁいい! これで新しい官能小説が買えるぞ!」
媚薬で火照った三十路女は、五千イエン札を握りしめ、はぁはぁ言いながら帰っていった。
その後ろ姿を見ながら、人生は色々あるのだなぁ、とタクトはしみじみ思う。
「この本は目立たない場所に隠しておこう。マオの教育に悪いし……店長に見つかったら最悪だ。俺に飲ませようとするかもしれない」
クララメラには全科がある。
あれはタクトが六歳のとき。
クララメラはタクトのシャンプーに強力な育毛剤を混入させたのだ。おかげで、次の日の朝、目覚めたタクトの髪は腰の下まで伸びていた。あれは完全に女の子だった。
愕然とするタクトとは真逆に、それを見て喜ぶ女神。
タクトは迷うことなく双紋章を解放し、クララメラを押さえつけ、関節技の数々をお見舞いしてやった。
それ以来、こりたらしく、一線を越えるようなイタズラはしてこなくなった。
やはり、一度シメておくのも大切なのだとタクトは学んだわけである。
ハンモックの所有権をかけてクワガタと死闘するマオの勇姿は12月26日発売の書籍版で読むことができます(ステマ)




