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82 そういうこともあるものだなぁ

 バルフォア家は言うまでもなく豪邸である。

 門をくぐってレンガ畳みの道を進めば、左右に管理の行き届いた芝生が広がっている。

 当然の如く噴水があり、その奥には二階建ての屋敷が堂々と待ち構えている。

 二十室以上はあるだろう。

 その白亜の外壁は個人の家というより、まるで宮殿のようだ。

 裏庭にはプールまであるというから、貧富の差ここに極まれり、である。


「前にも遊びに来たことあるけど、何度来ても凄い家ね……」


 噴水の前に立ち、屋敷を見上げるセラナの顔は阿呆そのものだった。

 しかしタクトも人のことは言えない。きっと同じような顔をしているだろう。

 幾度か通りかかり、門の外から眺めたことはある。

 そのときは「豪華な屋敷だなぁ」としか思っていなかったが、こうして間近で見せつけられると圧倒されてしまう。

 無論、アジールだって立派な建物だし、不満があるわけではない。

 それでも、一度くらいはこんなところに住んでみたいと思ってしまうのが人情だ。


「ふふ、タクトさん。物欲しそうな顔をしていますね。わたくしのお嫁さんになれば、ずっとここに住めるのですよ」


「お断りします! というか無理です!」


 男であるタクトがお嫁さんになるのは物理的に不可能だ。概念が崩壊している。


「あら、まあ。何事も挑戦ですわ。どんなことでも頑張れば道は開けるもの。タクトさんだってきっと立派なお嫁さんになれますわ! いいえ必ずなれます。わたくしが保証致します!」


「保証はいらないし、別になりたくないし、むしろ絶対に嫌です」


 大きな屋敷には住んでみたいが、人間としての尊厳は守りたい。


「そうよ、タクトくん。シンシアのお嫁さんになっちゃ駄目!」


「誰の嫁かというのは論点ではなく、嫁そのものが嫌だという話なのですが……この話はもうやめましょう。それより家に入れてくださいよ、シンシアさん」


「それもそうですわね。ではどうぞ」


 シンシアが開けた扉の向こうには、赤絨毯が広がっていた。

 広い玄関ホール。

 真正面には階段があり、廊下は左右に伸びていく。

 何やら高そうな絵画や石像が飾られ、見上げるとシャンデリアが光を放っている。

 空間そのものが『この屋敷の持ち主は金持ちである』と主張しているようなものだ。


「ただいまですわ~~」


 シンシアがそう叫ぶと、二階から玄関ホールを覗き込む少女の顔が現われた。


「ああ、シンシア。お帰りなさい」


 そう言って少女はタンタンタンと軽快なステップで階段を降りてくる。

 金色のショートヘア。身長はあまり高くない。百五十センチを少し超えるくらいだろうか。タクトとそう変わらない。

 体つきもほっそりとしていて、まるで少年のようだ。

 年齢は、いくつだろう?

 仕草や外見だけを見れば十代半ばだ。

 しかし服装は落ち着いている。

 紺のワンピースは装飾もほとんどなく、地味とすらいえた。

 もっとも、素材はよいものを使っていると遠目にも分かる。ペンダントのダイヤも本物だろう。

 センスはよい。だが十代のものではない。

 若く見えるだけで、もしかしたら二十歳を過ぎているのだろうか。


「えっと……シンシアさんのお姉さん、ですか?」


 階段を降りて目の前に立った彼女に、タクトは質問をぶつけてみる。

 すると意外な答えが返ってきた。


「シンシアの姉? あなたは妙なことを言うのね。もうすぐ四十になろうというオバサンを捕まえて」


 彼女はこちらをからかうような笑みを浮かべ、腰に手を当てる。

 その様が妙に大人びていた。

 もうすぐ四十。そう言っていた。

 まさか。

 冗談であろう。

 どう多く見積もって二十代前半。それですら信じがたい。タクトと同じく十四歳だと言われてても納得する外見だ。

 きっと初めてこの家に来たタクトをからかっているのだろう――と思ったのだが。

 左手の薬指に、金色の指輪を発見した。


 こちらの世界でも、結婚指輪は左手の薬指につけるのが一般的だ。

 つまり彼女はすでに結婚、あるいは婚約している。


「タクトくん。ポカンとした顔になってる」


「ふふ、無理もないですわ。タクトさん。この人は、わたくしのお母様ですのよ」


 お母様……? お母様というのは母親のことか?

 この少女がシンシアの母親?

 どういうことだ。意味が飲み込めない。


「えっと……ちょっと二人で並んでみてくれませんか?」


 タクトは失礼だと思いながらもシンシアの肩を掴み、母親だという少女の横に移動させた。

 そして二人を比べて、よく観察する。


 髪色は同じ黄金だ。血縁なのだろう。

 顔立ちも似ている。血縁なのだろう。

 身長は……かなり違う。

 頭半分ほどシンシアの方が大きい。

 ゆえに、どちらが年上かと問われれば、答えは決まっている。


「妹さん?」


 タクトは彼女を指差し、そう口にした。


「いやいや。だから母親だと言っているでしょう。あたしの名前はアンジェラ・バルフォア。ええっと、タクトくん? 君はたしか、シンシアを校内トーナメントで助けてくれた子だったわね。ありがとう。一度、お礼を言いたかったのよ」


 アンジェラを名乗る彼女は、ケラケラと笑いながらタクトの肩をぽんぽん叩く。


「はぁ……どういたしまして」


 返事をしつつタクトはアンジェラを改めて観察する。

 やはり、どう見たってシンシアの母親には見えない。

 しかしアンジェラに冗談を言っている様子はないし、タクトを騙したところで得をするとも思えない。


「本当に……シンシアさんのお母さん?」


「そうだって言ってるじゃない。どうして初対面だと誰も信じてくれないのかしら? セラナちゃんも最初は疑ってたし」


 アンジェラがそう言うとセラナは「だってぇ……」と申し訳なさと不満を混ぜた声を出す。


「こんなにもソックリな顔なのに」


 それは、あなたが子供にしか見えないからです――とは流石に言えなかった。

 というか、本人だって分かっているはずだ。

 分かったうえでやっているのだろう。


「お母様。タクトさんをいじめるのもそこまで致しましょう。タクトさんはどうやら、我が家の書架に用事があるそうです」


「書架? 確かにうちには沢山の本があるけど、何を探しているの?」


 シンシア・ママの疑問に対し、タクトは説明を始める。

 長老の店が百年近く前『次元回廊の研究』という本を入荷したこと。

 その本はバルフォア家で買ったらしいということ。

 そして訳あって、タクトはその本を必要としているということを。


「なるほどねぇ。あたしはあんまり本を読まないからどこに何があるのか分からないけど……おじいちゃんなら知っているかも」


「ええ、おじいさまなら知っているはずですわ。この家にある本は全て読んでいますから。ただし、覚えていたら、の話ですが」


 おじいさま。つまりチャーリー・バルフォアのことだ。

 彼はタクトですら一目置く偉大な魔術師であるが、残念ながらすっかり認知症が進み、記憶がとても怪しい。

 もっとも、昔のことはボケてもなかなか忘れないというので、きっと大丈夫だろう。


「おじいさま、おじいさま」


 そう言いながら、シンシアは扉を開けて部屋に入っていく。

 タクトがそのあとを追いかけて行くと、予想どおり高そうな調度品が並ぶリビングがあった。

 そしてソファーに身体を埋め、のんびりと紅茶を飲んでいる老人が一人いた。

 チャーリー・バルフォアである。


「おや、シンシア。おはよう。今日は早起きだね」


「まあ、おじいさま。もうすっかり夜ですわ」


「そうか? うむ、どうやらそのようだ。そういうこともあるものだなぁ」


 朝と夜を間違えたチャーリーだが、特に気にした様子もなく、リラックスした表情のままだ。

 色々と心配だが、本人が幸せそうなので、多分これでいいのだろう。


「おじいさん、こんばんは!」


 そしてセラナも顔を出し、挨拶する。


「こんばんは、お嬢さん。シンシアの友達かな? ゆっくりしていきなさい」


「はーい」


 と、元気よく答えてから、セラナは小さな声で「前にも一回会ってるんだけどな……」と寂しそうに呟いた。

 無理もない。

 一度顔を会わせただけの人間を覚えていられる状態ではないのだ。

 タクトのことだって忘れているだろう。


「こんばんは、チャーリーさん。俺はタクト・スメラギ・ラグナセカです」


 いっそ、初めまして、と言ってしまおうかとも思った。

 しかし、それは悲しい。

 彼がアジールに来店してくれたという思い出が、消えてしまうような気がしたのだ。

 だが事実、彼の中からは消えているのだろう。と、思ったのだが。


「君とは……どこかで会ったような気がする……はて、どこだったかな?」


 チャーリーのその言葉に、タクトの心臓は高まった。

 まさか、覚えているのか?


「たしか、アジールの新しい店員だったかな? うん、そうだろう? いや、しかし私は随分前に魔術師を引退したのだが、何のためにアジールに行ったんだったかなぁ?」


 チャーリー・バルフォアは不思議そうに首を捻る。

 自分の記憶に自信なさげな顔だった。

 だが、間違っていない。

 それは正しい記憶なのだ。


「はい。俺はアジールで働いています。チャーリーさんは先月、来店して魔導書を一冊買ってくださいましたよ」


 自分の存在がチャーリーの中に残っていたということが光栄で、タクトは感激してしまった。

 セラナには悪いが、優越感すら覚える。


「そうだったか。ふむふむ。フラッと寄ったような気もするなぁ。クララメラ様はお元気かな?」


「ええ。相変わらず日々怠惰に睡眠しています」


「そうか、そうか。お変わりないようで何よりだ」


 チャーリーは懐かしそうな顔でティーカップを持ち、紅茶を一口飲む。


「ところでアンジェラさん。朝ご飯はまだかね?」


「はいはい。もうすぐ晩ご飯できますからねー」


 シンシア・ママは慣れた様子で対応する。

 間違いを指摘されたことに気が付いた様子もなく、チャーリーは「そうか」と呟いて、満足げに頷いた。

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