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81 悪魔の条件

「いいですか、シンシアさん。俺は男です。そこをまずハッキリさせましょう」


 タクトは可能な限り、ハキハキとした声で、聞き取りやすいように語った。

 いちいち言わなければ分かってもらえないというのも悲しいことだが、しかし説明する努力を放棄するのは怠慢だ。

 そのくらい言わなくても分かれ、とか、言わなくても察してよ、というのは身勝手な人間の主張。人はそれぞれ立場が違うのだから、見えている世界も違う。

 だからこそ言葉を交わして、理解を深め合っていくのだ。


「はぁ……そういえば……以前セラナからそう聞かされたような……」


 シンシアは相変わらずポカンとした顔のままだ。


「そうだよね、そうだよね! 私、教えたよね!」


「ええ。ですが、生物学的な性別など、問題ではありません。わたくしは気にしませんわ」


 気にしません――シンシアはそう声高らかに宣言した。

 その表情はとても自信に満ちている。

 真理を語る賢者めいていた。

 だが、意味はさっぱり分からない。

 どうしてだろう。タクトが哲学に詳しくないからか?


「えっと……生物学的な性別が問題ではないとしたら、何が問題なのでしょう……?」


「いいですかタクトさん。殿方というのは、もっと毛むくじゃらで、お髭も生えていて、体臭もするのです。そんな汚らわしい存在を女子寮に入れるわけにはいきませんわ」


「はい。それはよく分かりますけど……」


「タクトさんは殿方ではありません。ですから、女子寮に入っても大丈夫なのですわ」


「ん? んん?」


「つまり、タクトさんは生物的には男性ですが、殿方ではないということですわ! むしろ女子!」


 断言。圧倒的な断言。

 しかしタクトは理解不能。

 脳細胞をクエッションマークが駆け巡る。


「なるほど……私もなんだかタクトくんが女子な気がしてきた!」


 完璧に気のせいだ。

 そもそもセラナは空島でタクトの風呂を覗いたではないか。

 断固として男である。


「二人とも落ち着いてください。誰がどんな理屈を並べても、俺の性別は変わりません」


「ええ。タクトさんは女子ですわ。存じ上げております」


 話が通じない。


「あのですね……この際、生物学的な性別だけを語りませんか……?」


「何を仰るのです! そんなお可愛らしい姿をしていながら今更!」


 怒られてしまった。

 タクトは悪いことをしていないのに。

 理不尽である。


「ああ、タクトさん……見れば見るほどお可愛らしい……わたくし、もう我慢できませんわ!」


「うぇっ、ちょっと、シンシアさん!?」


 シンシアは潤んだ瞳でタクトを見つめたかと思うと、もの凄い勢いで飛びかかってきた。

 そして、そのままベッドの上に押し倒し、両腕でむぎゅぅぅと抱きしめ、ゴロゴロ転がる。

 これは何事なのか。


「あのねタクトくん。シンシアは可愛いものが大好きなんだよ。だから男の人より女の子が好きなんだってぇ」


「それは……とても危険な人ということでは……?」


「え、でも私もシンシアのこと好きだよ?」


 そう呟きセラナは小首をかしげた。

 しかしセラナの好きは、友達としての好きであり、シンシアの好きはまたベクトルが異なるような気がする。


「タクトさんもセラナも本当にお可愛らしくて……わたくし幸せですわぁ……」


 タクトに抱きついたままのシンシアは、恍惚とした声を漏らす。

 シンシアは文句なしに美人だ。

 そんな彼女に好かれるというのは光栄なことで、とても喜ばしい。

 流れるような金髪も、小ぶりだが柔らかい胸も、ほのかに漂う香水の香りも、全てが女性を感じさせる。

 悪い気はしない。むしろ、いい。


 だが、好かれる理由が『お可愛らしい』というのが、どうにも納得できない。


「むむむ……シンシアにタクトくんを独り占めされて腹が立ってきたわ! 私も混ざる!」


 そしてセラナまでベッドにダイブし、タクトにしがみついてきた。

 顔はシンシアの胸に埋まり、背中にセラナの胸が押しつけられる。

 金色と銀色の髪が混ざり合って、鼻先をかすめる。シャンプーの香りがした。

 女の子たちの柔らかい身体が、タクトをサンドイッチにして放さない。

 凄い。

 凄すぎる。


「タクトさん、撫で撫でですわ」

「私も撫で撫でぇ」


 いつもなら撫でられるとムッとするタクトだが、なぜだろう。

 今はむしろ嬉しい。

 あまりの心地よさに、だんだん意識が融けてきた。

 このまま眠ってしまいたい――。


        △


 ふと気が付くと、すっかり夕方になっていた。

 場所は見知らぬ部屋――いや、セラナの部屋だ。

 はて、いつの間に眠ってしまったのだろうか。別に疲れていたわけでもないのに。そう思いながらタクトは体を起こそうとした。

 しかし自分の左右から、静かな息づかいがすることに気が付く。

 更には、柔らかい感触と人肌の温もりも。


 何事かと見れば、タクトの両側でセラナとシンシアが眠っていた。

 二人ともローブを脱いで、白いブラウスとプリーツスカートだけになっている。

 ネクタイは外され、ボタンも二つ開いているので、首筋や鎖骨がよく見える。それどころか、もう少しで胸の谷間まで見えてしまいそうだ。

 またスカートも捲れ上がり、太股が顕わになっていた。


 セラナは制服を改造しているらしく、かなり短いスカートだ。

 それが更に際どいところまで裾が捲れているので、健康的な脚が丸見えだ。黒いニーソックスのおかげで肌の白さが際立っている。

 むしろスパッツも丸見えだ。よい。実によい。


 シンシアは黒タイツだ。お嬢様らしくて、これまたよい。

 スラリとした脚が一層引き締まって見える。大変貴重な眺めだ。

 なにせ、あのバルフォア家の娘だ。そのおみ足を至近距離から観察する機会など、もう二度と巡ってこないかもしれない。


「しかし……どうしてこんな、あられもない姿の二人が俺の両側で寝ているんだ……何が起きたんだ一体……」


 記憶がない。

 シンシアとセラナに抱きつかれ、ベッドに押し倒されたところまでは覚えている。

 そのあと、どうなった?

 まさか。

 いや、しかし。

 男女が同じベッドにいて、服が乱れているということはつまり、そういうことなのか?


「俺は知らない間に二人に……!」


 ああ、なんということだろう。

 これは大変だ。責任を取らなくては。


「ふぁ……あらタクトさん……おはようございます」


「シ、シンシアさん……」


 バルフォア家のお嬢様が、金色の髪を揺らしながら上半身を起こす。

 まだ眠そうに目を擦る姿はとても無防備で、タクトに全てを許してしまいそうな雰囲気があった。

 やはり、これは。


「あの、シンシアさん……俺たちは、その……」


「はい?」


「して、しまった……のでしょうか……?」


「はぁ? ええ、三人で仲良くお昼寝をいたしましたが、それが何か?」


 震える声のタクトに対し、シンシアは平然とした様子で答える。

 まるで、何も起きていないという感じだ。


「……お昼寝、ですか」


「はい」


「それだけ、ですか……?」


「それだけですわ。わたくしとセラナでタクトさんをむぎゅと抱きしめていたら、タクトさんが眠ってしまって。そのお可愛らしい寝顔を見ていたら、わたくしたちもお昼寝をしたい気分になったのですわ」


 シンシアはとても嬉しそうにそう語る。

 昼寝をしただけ。

 どうやらそれが真相で、タクトの心配はただの誇大妄想だったらしい。

 安心すると同時に、少し残念な思いだ。

 なにはともあれ、これで解決。

 タクトは肩まで使って大きく息を吐いた。


「あら、タクトさん。どうしたのですか? まるで『おそるおそる体重計に乗り、太っていなかったことを確認して安堵する乙女』のような表情になっていますわ」


「いや、その……昼寝していただけだと知って安心したというか……いや、何でもないです」


 タクトがそう答えると、シンシアは不思議そうな顔で首をかしげる。

 が、それも一瞬のこと。

 何やら思い至ったようで、ニヤリと笑った。


「あら。あらあらタクトさん。もしかして、わたくしたちでイヤらしい想像を?」


「いや、ちがっ! 違います!」


「ふふ……真っ赤になったタクトさんもお可愛らしいですわ。意外とおませさんなのですわね」


 シンシアはタクトの耳元で「いけない子」と呟く。


「……うぅ」


 大人っぽい外見の彼女にこのようなことをされては、ドキドキしてしまう。

 シンシアもそれを狙っているらしく、胸をタクトの腕に押しつけたり、超至近距離から顔を覗き込んできたりする。


「あの、シンシアさん……もう少し離れてくれませんか……」


「あら、いやですわ。タクトさんがこんなにドギマギしている姿は珍しいですから。もっといじめたいですわ」


 いじめられてしまうのか。

 タクトは年上の金髪のお姉さんにいじめられてしまうのか。

 それは、凄くいいかもしれない。


「ふふ……タクトさんったら、とても期待した顔になって……お可愛らしいのにえっちなのですね。セラナが知ったらどんな反応をするでしょうか」


 シンシアは小悪魔のような微笑みでそう呟いた。

 その瞬間、タクトはハッとする。

 なぜだろうか。今の自分の姿をセラナに見られたくない。

 まして、いかがわしい妄想をしていたなど、絶対に知られたくない。


「あの、シンシアさん……このことはセラナさんには秘密に……」


「あら? このこと、とは一体?」


「だから、その……俺が妙なことを考えていたということをですね……」


「妙なこと……つまり、いやらしいことを考えていたと認めるのですね?」


「認めます……」


「わたくしとセラナとで、えっちなことをしてしまう妄想をしたと白状するのですね?」


「はい……」


「ふふ、ふふふ……こんなにお可愛らしい顔なのに、心はちゃんと男の子なのですね。食べてしまいたいですわぁ。あらあら、そんなに真っ赤になってしまって……大丈夫ですわ。セラナには内緒。わたくしとタクトさんだけの秘密です。けれど、その代わり……」


 シンシアはタクトの耳元で、そっと囁いた。

 秘密にするための条件。

 小悪魔どころではない。それは悪魔そのものだった。


「嫌です! なぜ俺がそんなことを……!」


「まあ。ではセラナにバラしてしましましょう。タクトさんは隙あらば女の子を襲うことしか考えていない狼のような人だった、と」


「そ、そこまでは言ってないじゃないですか!」


 駄目だ。完全に弱みを握られてしまった。

 条件を飲むしかない。

 これほど屈辱的な状況に追い込まれたのは初めてだが、しかし他に手がないのだ。


「それでどうしますかタクトさん。わたくしのお願いを聞いてくださいますか?」


「……分かりました。ただし一回キリですよ。もし二度も三度もこのネタで脅してくるようなら……俺も腹をくくります。バルフォア家の安全は保証しませんからね」


 タクトはシンシアをジロリと睨む。

 それによりシンシアは、タクトの戦闘力を思い出したらしく「うっ」と短く唸った。


「そ、そんなことはしませんわ! 一度だけのスペシャルイベントですわ!」


 シンシアは声を震わせながらも、条件の撤回はしなかった。

 命にかけてもやりたいらしい。

 もの凄い情熱だ。

 何がいいのかタクトにはサッパリ理解できないが、約束は約束だ。

 一度だけつきあってやろう。


「うーん……あれ、タクトくんとシンシア……おはよう……」


 ようやく目を覚ましたセラナは、むくりと起き上がり、大きなアクビをした。


「おはようございます、セラナ。せっかく起きたところを申し訳ありませんが、時間も時間ですので、わたくしはもう帰りますね」


「えー。あんまり遊んでないじゃない!」


「ふふ、ごめんなさい。また明日遊びに来ますから」


 セラナは小さな子供のようにふくれっ面になっている。

 シンシアはその頭を撫でながら、なだめすかした。すっかり「お可愛らしいもの」を見るときの表情になっている。


「しょうがないなぁ。じゃあまた明日ね!」


「はい。ではタクトさんもご機嫌よう。例の件はまた後日」


 シンシアは怪しげな笑みをタクトに向けてから、セラナの部屋から出て行こうとする。

 恐ろしい相手なので、早くいなくなってほしい――などと思いながらタクトはその後ろ姿を見ていた。

 が、この部屋に来たそもそもの目的を思い出す。

 バルフォア家に行くため、セラナに仲介して欲しかったのだ。

 しかし、シンシア・バルフォア本人がいるのだから、彼女に直接頼んだほうが早い。

 気は進まないが――。


「あのシンシアさん。俺も一緒に行っていいですか? シンシアさんの家で百年近く前に、長老の店から一冊の魔導書を買ったはずなんですが、俺はそれを探しているんですよ」


 ぶしつけなお願いだが、断られる、という可能性は低い。

 むしろ危惧しているのは、喜ばれるということ。


「まあ! タクトさん、わたくしの家に来てくださるのですかっ? 今から!? ああ、なんて素敵なのでしょうか!」


 案の定だ。

 シンシアは金色の髪をなびかせてこちらに向き直り、目を輝かせて声を上げる。

 遠足前夜の小学生のような大興奮。

 このまま付いていけば、何をされるかは目に見えている。

 それでも行かなければならないのが辛いところだった。


「タクトくん、シンシアの家に遊びに行くの? じゃあ私も行く!」


 そしてセラナもベッドから勢いよく立ち上がり、テンションの高い声で宣言する。


「けどセラナさん。寮の門限はいいんですか?」


「門限とかはゆるゆるだから大丈夫! 厳しいのは異性を連れ込むことだけだから!」


「ふふ、なんならお泊まりしますか?」


「いいの!? やった!」


「一緒にお風呂に入って、一緒のお布団で眠りたいですわ~~」


 セラナはぴょんぴょん飛び跳ねて無邪気に喜ぶ。

 シンシアも怪しく喜ぶ。

 しかしタクトはお泊まりなどしない。

 ただ本を探したいだけだ。

 そのことは道中でハッキリさせておこう。

 もし監禁されそうになったら、そのときは実力で突破してくれる。

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