75 競売当日
次の日の午後。
早速シンシアの父親が、青年執事を引き連れてやってきた。
シンシア・パパはシルクハットとお髭が似合う紳士で、如何にもチャーリー・バルフォアの息子という感じだった。
「君がタクトくんか。私はシンシアの父親、アーサー・バルフォアだ。トーナメントでは娘が迷惑をかけたらしい。申し訳ない。そしてありがとう。それで、シンシアから聞いたのだが、ミスリルを売ってくれるんだって?」
昨日の今日でいきなり来るとは思っていなかったタクトは、面食らいながら奥からインゴット十本を持ってきて、カウンターに並べた。
するとシンシア・パパはそれを手に取り、しげしげと観察し、指でコツコツ叩いてみたりする。
「うむ、間違いない。本物のミスリルだ。アルバート、価格を計算しろ」
「御意に」
青年執事は持参した重量計で、十本のインゴットの質量を測定し始める。
「9924万5876イエン分です、旦那様」
「そうか。ではタクトくん。ここに一億イエン入っている。釣りはいらない。君には娘を救ってもらった上、グリモワールを預かってもらっているからね。その礼だ」
シンシア・パパはアタッシュケースを開く。
そこには札束がぎっしりとつまっていた。
これだけまとまった現金を見るのは久しぶりだ。まして、それが自分のものになるというのは初めてである。
タクトは思わず唾をゴクリと飲む。
「タクトくん。これで交渉成立かな?」
「は、はい!」
「結構。よい取引が出来て私も満足だよ。アルバート、インゴットをケースに」
青年執事は空のアタッシュケースにインゴットをつめ、そして二人は去って行った。
一億イエンが入ったアタッシュケースはいまだタクトの目の前にある。
目をゴシゴシ擦ってみたが、幻ではない。
嵐のような出来事だった。
「一日で現金一億を用意するなんて……お金持ちって、お金持ってるんだなぁ」
タクトはそんな当たり前のことを呟きながら、一億イエンをポカンと見つめていた。
それにしても、シンシア・パパにこうして一億イエンも稼がせてもらい、チャーリー・バルフォアには四千万イエンの本を売りつけた。
シンシアも昨日、十万イエンほど買ってくれたし、本当にありがたい。
もうバルフォア家に足を向けて眠ることが出来ない。
「ふぁぁ……今日は久しぶりにお日様が出ているうちに目が覚めたわ」
「にゃ……クララメラの抱き枕にされたら、マオもいつの間にかお昼寝しちゃったにゃ」
二階からクララメラとマオが目を擦りながら降りてきた。
まだ半分寝ぼけているような顔の二人であるが、カウンターの上に載せられた一億イエン入りアタッシュケースを見た瞬間、目をまんまるにする。
「まあ、タクト! あなたそのお金どうしたの!? まさか……偽札!」
「毎日イカのお刺身食べてもビクともしないようなお金にゃん!」
クララメラは絶叫し、マオは大喜びで駆けてくる。
「偽札じゃありませんよ、人聞きの悪い。さっきシンシアさんのお父さんが来て、ミスリルを全部買ってくれたんです。これはその代金です」
「あら、そうだったの。ごめんなさい。見たこともない大金があったから、驚いちゃって。それにしても、お金持ちって凄いのねぇ……」
女神様は頬に手を当て、感心したように札束を眺めた。
そして猫耳幼女もその隣で飛び跳ね、アタッシュケースを覗き込む。
「お金持ちは毎日お刺身食べてもいいのにゃ!?」
「お刺身どころか、ステーキだろうがケーキだろうが食べ放題さ」
「凄いにゃ! マオもお金持ちになるにゃ!」
マオはお金お金と目を輝かせる。
あんなに純心な子だったのに。
やはり金の魔力は人を狂わせるのだ。
恐ろしい。
しかし、これで競売には間に合った。
既に用意してある五千万イエンと合わせれば、長老のグリモワールも落札出来るはずだ。
楽勝である。
「よし。今夜はお祝いだ。また刺身を食べに行こう!」
「行くにゃー」
「あらー。私は外で食べるの久しぶりね。楽しみだわー」
かくしてタクトたちは三万イエンも使ってしまった。
だが、大丈夫。
なにせ、まだ1億4997万イエンもあるのだから。
△
ついにトゥサラガ魔導古書店組合の競売当日だ。
会場はララスギアの街にあるイベント会場。
もちろんビッグサイトのように巨大な場所ではなく、公民館程度の規模である。
入場者は組合に加入した店の関係者に限定されるが、それでも十三店も加入しているので、来場者は三十人を越える。
更に組合のスタッフを合わせれば四十人にもなり、それなりに賑やかだ。
長テーブルが並べられ、そこに各店舗が持ってきた魔導書が置かれる。
貴重な本は一冊ごとのばら売りだが、ほとんどの本は一箱いくらというように、まとめて扱われる。
買いたいと思ったらメモ用紙に希望金額を書き込む。終了時間までにそれより高い値段がつかなければ買うことが出来る。しかし競売だから当然、より高い値段でも買いたいという者があらわれることも想定される。
そうなれば戦いだ。
各店の損益分岐点が火花を散らす。
アジールも段ボール箱一つあたり十冊いれて、三箱出品した。
店番はクララメラとマオだ。
久しぶりに女神直々のお出ましということで、組合員も挨拶にやって来る。
しかし、クララメラは睡眠中だ。
「クララメラ様。お久しぶりです」
「むにゃむにゃ……はい……お久しぶり……すぴー」
「駄目だこりゃ」
いつもと変わらない女神の姿に、人々は苦笑する。
だが、今日はおまけがついている。
隣にちょこんと座る猫耳ホムンクルスだ。
「おや。君が噂のマオにゃんか」
「にゃーん。マオは噂になっているのかにゃ?」
「そうだよ。アジールに可愛いホムンクルスのお手伝いさんが来たって、業界じゃ有名な話さ」
「マオは有名人になってしまったにゃぁ」
噂のマオを一目見ようと、アジールのブースに人だかりが出来た。
しかし、買うつもりはないらしく、誰も本には目をくれない。
罰当たりな連中め。
女神の御前だぞ。
もっとも、今日ばかりは無理もない。
なにせ、これから檀上で特別な競売が始まるのだ。
長老の店の本。その全てがこれから売りに出される。
歴史ある長老の店が閉店してしまうのは悲しいことだが、それとこれとは話が別。
あの素晴らしい品々を自分のものとするため、全員が殺気立っていた。
マオにゃんは、いわば戦いが始まる前の、ちょっとした休息に過ぎないのだ。
「タクトくん。どう? お金集まったかしら」
そう言ってタクトに近づいて来たのは、魔導古書店キリガクレの店長、ローラだ。
今日もいつものように、首から上が馬の被り物になっていた。
そのくせ着ている服はガーリー系のゆるふわな感じなので、とてつもなく奇っ怪である。
ウケ狙いなら遠慮なく笑ってやるところだが、彼女は顔を見られるのが恥ずかしくて顔を隠しているのだ。
ゆえに笑うのを我慢しなければ。
「まあ、そこそこ集まりました。例の本はアジールで買わせて頂きます」
「ふーん。キリガクレだって負けないわよ。他の本は全て無視して、例の本だけに集中するつもり」
長老が出品する本の数は膨大すぎて、当日になってから品物を見て入札するという形式では、パニックが起きると分かりきっていた。
そこで組合のスタッフが、事前に本のリストを作り、加盟店に配布した。
その数、一万二千冊。
だが、本命はそれとは別。
配布されたリストにもしっかり書かれてある。
例の本――と。
これが最後に、単品で競りにかけられる。
おそらく、今日ここに来ている者のほとんどが、この例の本を狙っているだろう。
もっとも、予想落札価格が一億イエンを越えているので、最初から諦め、いつもどおり雑多な本を漁っている者もいる。
あるいは、そう見せかけて油断させようという作戦か?
どちらでも構わない。
タクトには1億4997万イエンがある。
これをぶちかますだけだ。
「皆さん、お待たせ致しました。これより特別競売を開始します」
壇上に上がった組合のスタッフが、拡声魔術を使って呼び掛けた。
全員の視線が彼に集中する。
いや、クララメラだけは眠ったままだが、それ以外はマオですら見つめた。
それだけ、今から始まる競売は特別な意味を持っているのだ。
「ご存じのように、我らが長老の店は惜しまれながらも三日前にその歴史に幕を閉じました。そして今日、長老の意志を皆さんに継いでもらうため、その蔵書一万二千冊を千二百冊ずつに分けて、オークションを行ないます。そして最後には……例の本を単独で出品いたします。では、まずはリストのブロック一を百万イエンからスタートです」
事前に配布された分厚いリストには、一万二千冊のタイトルが全てびっしりと掲載されている。
しかし、いくら長老の店とはいっても、その全てが希少本というわけではない。
むしろ店が大きいからこそ、どうでもいいような本も扱っている。
中には魔導書とは呼べないような啓蒙書も混じっていた。
そこで出品するときは、安価な本と高価な本を上手く混ぜて、十個のブロックにわけたのだ。
ブロック一つあたり、二千万から三千万イエン程度といったところだろう。
実際、参加している人たちも、それ以上の金額を出すつもりがないようだ。
「二千五十万イエン!」
「二千五十五万イエンだ!」
「二千二百万イエン!」
「現在、二千二百万イエンが最高額です。これ以上の方はいませんか? では、魔導古書店アルファオメガが最初のブロックを落札です。おめでとうございます。代金は一週間以内に現金か小切手で。品物は代金を受け取り次第、発送させて頂きます。では次のブロックです!」
タクトがオークションを見物していると、店番に飽きたマオが隣にやって来た。
「にゃーん。タクトは参加しないのにゃ?」
「俺は一番最後に出てくる本を狙っているんだよ。まだしばらくかかりそうだし……コーヒーでも飲んでくるか」
このイベント会場の入り口には喫茶店があった。
ここからすぐ近くだから、聴力強化魔術を使えばオークションの流れも分かる。
いや、例の本が出てくれば、その喧騒が勝手に伝わってくるだろう。
かりにタクトの予想よりオークションが早く進んだとしても、余裕で間に合う。
「行くにゃん! でも、クララメラはどうするにゃ?」
「店長は起きないだろ……」
「それもそうにゃ」
しかし黙っていくのも気が引けるので、一応、声をかけてみる。
すると予想どおり「むにゃむにゃ」と意味不明な答えが帰ってきた。
心置きなく女神を放置して、タクトとマオは喫茶店に向かう。




